折から柿の季節である。柿は私の大好きな果物である。
柿には甘柿と渋柿がって双方ともに多くの品種がある。その数は日本・朝鮮・中国に凡そ200種とされている。
一般的に広く知られているところで幾つか挙げるとすれば、先ず、甘柿では、鎌倉時代に現・川崎市麻生区の禅寺・王禅寺において日本で最初に発見された甘柿「禅寺丸柿」であろう。禅寺丸柿の原産地は小田急線「柿生駅」に今もその名残を留めている。
次いで奈良県御所市が原産とされる「御所柿」。御所系統から改良された岐阜県瑞穂市発祥の「富有柿」。静岡県周智郡森町原産の「治郎柿」といったところだろうか。特に、森の石松で有名な遠州森町の治郎柿は弘化元年(1844年)松本治郎吉が太田川の堤防普請に出役した時、大水の後、寄せ洲に流れついた柿の幼木を見つけ、自宅の井戸端に植えたのが発端であり今でも原木が残っている。
渋柿では、会津の「身知不柿・ミシラズガキ」。岐阜県美濃加茂市蜂屋町の「蜂屋柿」。広島県西条市の「西条柿」。新潟県新潟市原産の「平核無柿・ヒラタネナシガキ」は「八珍柿」とも呼ばれ、栽培地によって「庄内柿」や「おけさ柿」となっている。他にも色々な柿の品種はあるが限がないのでこの辺で端折っておく。
さて、今回の本題は「山柿」である。これは品種というより野生種の柿である。我が国の本州、四国、九州並びに韓国(済州島)、中国の山地に自生するカキノキ科カキノキ属の落葉高木で樹高は十五メートルくらいまでになる。
果実は四センチくらいの扁球形で鈴なり状態にたくさん生る。私の田舎では「猿泣かせ」と呼ぶほどの渋柿であるが、皮をむいて干し柿にしたり、醂して渋抜きをすれば十分美味しく食べられる。
蛇足ながら「醂す・さわす」という言葉には、渋柿の渋みを抜く。水に浸してさらす。黒漆を艶の出ないように薄く塗る。などの意味がある。渋抜きは蔕に焼酎を塗ったり、柿全体に噴霧して密閉状態で保存することによって柿渋の正体であるタンニンをアルコールと反応させるのである。この方法を「樽抜き」といい処理した柿を樽柿という。渋抜きの方法は温湯に浸す「湯抜き」や炭酸ガスによる方法などがある。
また、山柿は生薬名を「柿蔕・してい」または「柿の葉」と呼んで血圧降下やしゃっくり止めに薬効があるとされている。蔕や葉に含まれるタンニンやウルソール酸などの成分が血圧降下に作用するのであるが、詳しい処方の記述については医師でも薬剤師でもないので遠慮する。
山柿は私の田舎の山の雑木林の中にも点々と混在していた。紅葉が済んで雑木林の葉が散ると山柿の実が際立って見えるようになる。長い竹竿の先をV字形に作った柿取竿を持って出かければ子供でも容易く採ることができた。
小さな柿の皮を剥くのは結構面倒であったが、勉強などは一切せずにひねもす遊びほうけていたのであるから時間は充分にあった。青竹を割って作った籤(ひご)に刺して日当たりのよい軒下に吊るせば後は干し柿の出来上がりを待つばかりである。剥いた皮も莚の上に広げて干した。これも結構甘くなって食べられたのである。
私の田舎には山柿のほかにも猿柿というのもあった。信濃柿、豆柿、黒柿、貧乏柿などと呼ばれるものと同じ種類らしい。これは山の茶畑の隅にあって二センチくらいの小さな柿が枝にびっしりと並んで生っていた。この柿は祖父の代に柿渋を取るために植えたもののようである。柿渋は手揉み製茶の焙炉(ほいろ)などに塗って使ったようである。
渋くて小さくて誰も手を出す者はいないのであるが、やがて霜が降りる頃になると皮がほとんど黒く変色してくる。これを摘まんで葡萄を食べるように中の果肉を啜ると実に美味いのである。
私が山柿や猿柿を食べたのはもう五〇年ほども前のことである。
◆ 酒に酔わせて渋柿醂す 白兎
柿には甘柿と渋柿がって双方ともに多くの品種がある。その数は日本・朝鮮・中国に凡そ200種とされている。
一般的に広く知られているところで幾つか挙げるとすれば、先ず、甘柿では、鎌倉時代に現・川崎市麻生区の禅寺・王禅寺において日本で最初に発見された甘柿「禅寺丸柿」であろう。禅寺丸柿の原産地は小田急線「柿生駅」に今もその名残を留めている。
次いで奈良県御所市が原産とされる「御所柿」。御所系統から改良された岐阜県瑞穂市発祥の「富有柿」。静岡県周智郡森町原産の「治郎柿」といったところだろうか。特に、森の石松で有名な遠州森町の治郎柿は弘化元年(1844年)松本治郎吉が太田川の堤防普請に出役した時、大水の後、寄せ洲に流れついた柿の幼木を見つけ、自宅の井戸端に植えたのが発端であり今でも原木が残っている。
渋柿では、会津の「身知不柿・ミシラズガキ」。岐阜県美濃加茂市蜂屋町の「蜂屋柿」。広島県西条市の「西条柿」。新潟県新潟市原産の「平核無柿・ヒラタネナシガキ」は「八珍柿」とも呼ばれ、栽培地によって「庄内柿」や「おけさ柿」となっている。他にも色々な柿の品種はあるが限がないのでこの辺で端折っておく。
さて、今回の本題は「山柿」である。これは品種というより野生種の柿である。我が国の本州、四国、九州並びに韓国(済州島)、中国の山地に自生するカキノキ科カキノキ属の落葉高木で樹高は十五メートルくらいまでになる。
果実は四センチくらいの扁球形で鈴なり状態にたくさん生る。私の田舎では「猿泣かせ」と呼ぶほどの渋柿であるが、皮をむいて干し柿にしたり、醂して渋抜きをすれば十分美味しく食べられる。
蛇足ながら「醂す・さわす」という言葉には、渋柿の渋みを抜く。水に浸してさらす。黒漆を艶の出ないように薄く塗る。などの意味がある。渋抜きは蔕に焼酎を塗ったり、柿全体に噴霧して密閉状態で保存することによって柿渋の正体であるタンニンをアルコールと反応させるのである。この方法を「樽抜き」といい処理した柿を樽柿という。渋抜きの方法は温湯に浸す「湯抜き」や炭酸ガスによる方法などがある。
また、山柿は生薬名を「柿蔕・してい」または「柿の葉」と呼んで血圧降下やしゃっくり止めに薬効があるとされている。蔕や葉に含まれるタンニンやウルソール酸などの成分が血圧降下に作用するのであるが、詳しい処方の記述については医師でも薬剤師でもないので遠慮する。
山柿は私の田舎の山の雑木林の中にも点々と混在していた。紅葉が済んで雑木林の葉が散ると山柿の実が際立って見えるようになる。長い竹竿の先をV字形に作った柿取竿を持って出かければ子供でも容易く採ることができた。
小さな柿の皮を剥くのは結構面倒であったが、勉強などは一切せずにひねもす遊びほうけていたのであるから時間は充分にあった。青竹を割って作った籤(ひご)に刺して日当たりのよい軒下に吊るせば後は干し柿の出来上がりを待つばかりである。剥いた皮も莚の上に広げて干した。これも結構甘くなって食べられたのである。
私の田舎には山柿のほかにも猿柿というのもあった。信濃柿、豆柿、黒柿、貧乏柿などと呼ばれるものと同じ種類らしい。これは山の茶畑の隅にあって二センチくらいの小さな柿が枝にびっしりと並んで生っていた。この柿は祖父の代に柿渋を取るために植えたもののようである。柿渋は手揉み製茶の焙炉(ほいろ)などに塗って使ったようである。
渋くて小さくて誰も手を出す者はいないのであるが、やがて霜が降りる頃になると皮がほとんど黒く変色してくる。これを摘まんで葡萄を食べるように中の果肉を啜ると実に美味いのである。
私が山柿や猿柿を食べたのはもう五〇年ほども前のことである。
◆ 酒に酔わせて渋柿醂す 白兎