京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

悪口の解剖学:酒飲みが歴史を変える?

2024年10月03日 | 悪口学

酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで ( 2021) 原書房

ブノワ・フランクバルム (著), 神田 順子 , 村上 尚子, 田辺 希久子 (訳)

 

  この著は人類の飲酒が歴史ではたした役割を軽妙な語り口で述べている。これを読むと西洋史に登場する重要な人物(男)のほとんどはアル中のように思えてくる。たとえば、第4章に書かれているアレキサンドロス大王も酒乱の人で、宴会において酔った勢いで口論のあげく大事な部下のクレイトス(この男も結構な酒乱だったが)を槍で突き殺してしまう。酔いが醒めて、えらい事をしたとオロオロしても後悔後に立たず。

 

 過度のアルコール摂取は体に良くないし、精神にも障害を与える事が多い。抑制が解けて言わないでも良いことを口走り、人間関係が大抵、悪くなる。酒は「気違い水」といわれるいわれる故である。作家アーサー・ケストラーの自伝「The invisible writing」にも、親友であったピーター・チャールズ・ミッシェル卿と酒の上で決定的な仲違いをした事件が次にように書かれている。

 私たちはかなり景気がついていた。突然、ピーター卿が「あの小説(真昼の暗黒)は好きになれないよ。たった30枚の銀貨でわが身を売るとは、君も情けない男だね」私は、最初、彼が冗談を言っているものと思った。だが、それは冗談ではなかった。ワインが彼に私について思っている事を言わせたのである。私たちはガタガタと音を立てる地下鉄の中でかなり大声を出して言い合った。「よそうよ。そうでないと僕たちはもう会えなくなってしまう」 だが彼は止めようとしなかった。結局、私は途中で地下鉄を降りた。それがピーター卿の見納めとなった。

 しかし、たまには飲酒が人間関係で生産的な事もおこすという。その例として、第13章「マルクス主義は10日間続いた酒盛りの結実だ」がある。1844年にマルクスとエンゲルスははじめて知り合ったが、パリでのビールの酒盛りで意気投合し生涯の友情を得た。この出会いの10日の酒盛り議論をもとに書き上げたのが有名な「聖家族」である。もっとも、この頃はマルクスもエンゲルスも、根っからのアルコール漬けの生活で、エンゲルスは売春婦を相手にしていたという。そのような証拠を示す手紙が残っている。この本の著者は、もともとマルクス主義なんか認めてないので、結局は二人の淫蕩な生活を暴露する悪口を書きたかったようだ。

 ここからは庵主の試論。人はアルコール(エタノール)を代謝するのにALDHという酵素を必要としている。これにはI型とII型がある。II型は活性が強くI型は弱い。遺伝的にII型をホモで持つ人は酒につよい。ヘテロの人やI型のホモの人は弱いか全然飲めない。とくにI型ホモの人はちょっと飲むだけで気分が悪くなる。ようするに、この遺伝子型の人々は飲んでも楽しくはならない集団である。日本人や中国人などのモンゴロイド系ではII型ホモの人は56%でI型ホモは5%である。残り39%がI型とII型のヘテロタイプである。一方、白人や黒人は、ほぼ100%がII型ホモで、どいつもこいつも酒に強い。フランス人なんかは、子供でも水がわりワインを飲んでいる。

 ようするに、「なんでそんな酒ばかり飲んで」と批判したり馬鹿にする抑止力集団が社会に存在しないので、とことん飲んでしまうことになる。なにせ、庵主を含めてII型ホモにとって酒は飲んでるときは無闇に楽しい。ここでは酒に強いことが一元的な価値基準なのだ。スターリンの宴会パーティーの話(18章)のように、酒豪が政治的勝者になるケースが多い。

 遺伝学者のマシュー・キャリガンによると約1000年前に人類の祖先が、II型酵素(変異型)を手に入れたそうである。サルの仲間には自然発酵した果実を好むものがいる。日本ではII型ホモのアルコール耐性群(A群)とI型ホモ、ヘテロの不耐性型(B群)がほぼ半々まざっているので、話が複雑になる。AとBの会食ではだいたいBの方が寡黙になってAの人々だけが乗りまくって話をしている。これが男女の婚姻や親子関係、会社や組織の人事構成に影響なしとはいえないのではないか。夫がA型で妻がB型の場合(A=B型)の離婚率はA=A型やB=B型より高いのではないだろうか?

 

  カール・ジンマーの著わした「進化:生命のたどった道」(2012 岩波新書 長谷川真理子訳)によると、アルコールの選好選択によってショウジョウバエを、そうでないものとわけて累代にわたり遺伝的にわけていくと、アルコール好きの系統ができる。これは、そうでない集団と生殖隔離がおこるらしい(P215)。はたして人間社会ではどうなっているのか?酒好きどうし、酒嫌いどうしが結婚する傾向があるのか?その子孫への影響は?

 こういった事を述べた酒飲みの社会学とかいう本はありませんか。

 

参考図書

アーサー・ケストラー「真昼の暗黒」中島賢二訳 岩波文庫



 

 

 

 

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絶望的状況を生き延びた人々の記録:抵抗 La résistanceー風は自ら望むところに吹く

2024年10月03日 | 絶望的状況を意志の力で生きのびた人々の記録
 
1956年フランス映画:ロベール・ブレッソン(Robert Bresson、1901- 1999)監督、脚本。1957年カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品。
 

 
 
 1943年リヨン。第二次大戦中、実際にフランスであったレジスタンス闘士の脱獄劇をドキュメント風に描いている。映画は白黒画で観るべしと思わしめる佳作の一つである。
 
 素人を俳優にしてモノログで淡々と話が展開してゆく。独房の壁越しに主人公が隣の囚人とモールス信号で連絡することや、窓越しに下の中庭の仲間を観察する光景はアーサー・ケストラー著「真昼の暗黒」 (1944年)に出てくる挿話でもある。私服の男と大男の軍人が囚人の尋問や連行に登場する場面も同じ。全体主義の特務機関は同じシステムのようだ。この映画ではクローズアップを多用し、短いカットをつなぎあわせることで死と隣り合わせの緊張感を描く。巨匠ブレッソンの「シネマトグラフ」を代表する作品である。 
 
 ただ不自然なシーンもいくつかある。ろくに食い物も与えられず栄養失調でヘロヘロの主人公が、素手でドイツ軍の歩哨を殺して脱走する。この場面では主人公が画面から消えさった通路の壁を映すだけで映像は出て来ない。スタローンのランボーでもあるまいし、これはいくらなんでも無理だろう。それと、独房の下の広場にいる別の囚人と、窓越しに結わえた袋で物を交換する場面。厳しい監視のもとで、とてもありえない話だ。
 
 脱出に成功した主人公と同房の少年の二人は鉄道の線路沿いに、悠々と歩み去るが、あんな格好ですぐに捕まらなかったのは、仲間のレジスタンスと連絡がついていたのだろうか?主人公が何度もつぶやくように「運がついていた」ということであろうが、ともかく大事なことは、殺される前に逃げよ!ということ。逃げても失敗するかもしれないが、逃げなければ100%殺される。どの人も人生では一度はそれに類した切所はある。
 
 追記:ケストラーの「真昼の暗黒」は「ブハーリン裁判」をモデルにした政治小説である。庵主はむかしこの作者の「サンバガエルの謎」という科学ドキュメントを読んだことがある。ケストラーは「権力は必ず腐敗する」という原理をテーゼにしていた(石破茂が総理になった途端に「石破」でなくなったように)。彼はヒトラーやスターリンの全体主義を憎悪するとともに、ブルジョワ民主主義の堕落をも透視し、庶民や一般大衆を美化するのを止めていた。
 
 
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