病床の子規。明治33年4月5日
2017年10月頃の日本棋院のHPをみると、正岡子規が第14回囲碁殿堂入りしたという。子規は日本の野球殿堂にも入っている。なんでも最初に始めた人はハッピーである。晩年、結核性の脊髄カリエスという死の病に冒されていたが、子規庵で精力的に文芸活動を続けいていた。また無類の碁好きで、病床に碁盤を持ち込んでいたそうだ。その子規は、たくさん碁の俳句をつくった。それらを可能なかぎり集めてみた (ただしインターネット収集なので「全集」での確認が必要である)。
涼しさや雲に碁を打つ人二人
短夜は碁盤の足に白みけり
碁丁々荒壁落つる五月雨
蚊のむれて碁打二人を喰ひけり
修竹千竿灯漏れて碁の音涼し
共に楸枰(しゅうへい)に対し静かに石を下す *(楸枰は碁盤のこと)
碁の音や芙蓉の花に灯のうつり
勝ちそうになりて栗剥く暇かな
月さすや碁を打つ人の後ろまで
碁にまけて厠に行けば月夜かな
焼栗のはねかけて行く先手かな
蓮の実の飛ばずに死にし石もあり
昼人なし碁盤に桐の影動く
蚊のむれて碁打ち二人を喰ひにけり
碁に負けて偲ぶ恋路や春の雨
真中に碁盤据えたる毛布かな
月さすや碁をうつ人のうしろ迄
明治31年新年ある日の子規庵(下村為山画昭和10年)河東碧梧桐の思い出が書かれている。
追記2024/10/03
子規が野球で遊んだ上野公園の野球場は子規の名前がついている。「打者」「走者」「飛球」などの訳語を考えたのも子規である。