大通寺
飯田線
長篠城駅
長篠城駅ホーム
さかさ桑
電車が来ました。
歓迎 湯谷温泉
馬場信春の墓近くの豊川(寒狭川)
中央構造線長篠露頭
中央構造線長篠露頭 新城市天然記念物
内帯 領家帯の花崗岩源断層岩 マイロナイト
中央構造線(断層)
外帯 三波川帯の結晶片岩
豊川
中央構造線長篠露頭
弾正曲輪
弾正曲輪
愛知が誇る!日本100名城
犬山城・名古屋城・岡崎城・長篠城
続日本100名城
小牧山城・古宮城(ふるみやじょう)・吉田城
古宮城は知らなかった。新城市設楽原歴史資料館で資料をもらった。
古宮城は武田信玄が元亀3年(1572)頃に築城し、その縄張りは馬場信春が設計したと考えられています。
元亀4年に武田信玄が逝去すると、当地の領主であった奥平定能・定昌親子は徳川家康に内通して武田軍は奥平親子を捉えようとして争いになり「古宮城の戦い」が起こりました。この時、奥平親子の援軍として駆け付けた徳川家康軍は手薄となった古宮城にも攻め入り、一時、城内から武田勢を撤退させたと伝えられています。
天正2年(1574)、古宮城には武田勝頼の命を受けた小幡与一らが作手城番として入城したことが知られています。しかし、その翌年の天正3年に「長篠・設楽原の戦い」で勝頼が織田・徳川連合軍に敗北すると、当地における武田方の影響力は失われることとなりました。
古宮城が武田の拠点として存続した期間は、わずか3年余りでした。
(史跡)蟻塚
(史跡)馬場美濃守信房(信春)の墓