昨晩は、痛み止めや胃薬、睡眠導入剤を服用し
毛布にくるまって、眠りについた。
なんせ、寒気がおさまらなかったのだ。
今朝は、なんと!
さわやかに目が覚めた!
で、10時間近く、眠っていた・・・計算になる。
ここからは、昨晩、書くはずだったお話しになる。
8日の午後2時から、図書館で歴史講座が開催されたんだそうな。
講演の表題は
《「満蒙開拓」の事実から学ぶもの~人々はなぜ満州へ渡ったのか~》
講師は満蒙開拓平和記念館 専務理事 寺沢 秀文氏である。
話の内容は、タミヨさんいわく、
最後の満蒙開拓団が終戦の年の8月2日に
敦賀港から出航した・・・という。
講演の後、タミヨさんは
「8月2日に敦賀港から出航した船はなかったはずだ」
「海軍の武官府(漢字あってるかな?)に勤めていたから、
その当時のことはよく覚えている」
(註:海軍の武官府は現在の市立博物館にあった)
と講師に言いにいったそうだ。
講師のかたの話では、
満蒙開拓団で満州へ渡った人の手記が見つかり
その手記に15年8月2日に敦賀港を出航した・・・という
記述があったらしい。
タミヨさんの話では
敦賀港から沖縄へ、兵士を送ろうとしていたけれど、
それさえできなかったのに、
開拓団の船が出航できるわけがない・・・
日本海は、敵の潜水艦に取り囲まれていたし
毎日のように、グラマンが飛んできて、日本の船を見つけると
ことごとく沈めていたのに・・・とのこと。
この時期、すでに敗戦の影が忍び寄っていたというし、
海軍の船さえ、出航できない状態で
開拓団の船を出すというのは、無謀極まりない。
しかしながら、手記にそう書かれていたのも
事実だろうと思う。
タミヨさんの記憶に間違いがあるかもしれないし・・・
71年前の歴史の証言でさえ、こんなにも食い違うのだ。
はてさて真実は?
気になるなぁ・・・