ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

教えるよりも・・

2012-09-03 16:34:54 | 本を読んで
この章の最後の文章がこれ。「教えるよりも、哲学的に、現実的に、
 
真理と方法を探究し合って行動する、真理実践の社会活動体です。」

やはりこれも人の心や意識と人間のこと。

真理を実践するのは社会ではなく、人間だから。

前にも引用したけど、認識の真理性はそれを実践に適用して検証されるという立場で、

実践の意義を明らかにしたのはマルクスとプラグマティズムである、という意味での

真理実践という言葉かと思う。

教えるよりも、哲学的に、現実的に、

真理と方法を探究し合って・・・が研・・会や自己研・・や対話研・・なのかと思うし、

ソクラテスの対話や禅の問答なんかもそういうものかと思う。


自由意志

2012-09-03 15:37:06 | 本を読んで
この前書いたベンジャミン・リベットの実験によって明らかになる、

「~しないという自由意志」という、潜在意識からの要請を切っての、

自由意志というのもあるけど、

ひとが自分に「これをやってくれ」と声かけてきたときなど、

「そう言われたのでやった」というような思考は、

自由意志でやったとの自覚がない場合といえる。

他とのやりとりによって、その気に“なり”、

自分でそうしようと意志してやった・・という意識プロセスという事実を知らず、

あの人に言われたのでやった、という思考になっている場合なんかは、

それがうまいこと行かない時には“ひとのせいにする”という思考になるもんだ。

“自由意志と能力によって行動が出来る仕掛け”とは、

自分の意識の動きに自覚がある状態かと思う。






人情

2012-09-03 12:45:12 | 本を読んで
「又道を尋ねられても自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、

実は“社会”が自分一人限りのものでなく、

必ず何かで他の人と関連があり、

人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、

帰結する処、他との保ち合いで人生が有意義になります。

本当に人間は一人になり切れるものでなく、

そこに人の情が自ずと湧いて来るものです。」

・・・この“社会”もやはり、心・意識を云っている。

個人主義も、とあるのもそういうことだからだろうし、

社会が一人限りのものでなく、なんて表現は通常しない。

誰も社会は一人“限りのもの”なんて思ってないだろうから。

世界は二人のために♪という歌はあったけど、

一人のためのものじゃない、と云っているわけじゃなく、

一人限りのものでなく、とは他との相互作用で意識は変化していくもの、と云っているのかと思う。

自分ごとだけど、特・・研・・会や、自分を知るための研・・会や、

実践・・研やらの『考える場』を用意してもらったことが、

どんなに大きなキッカケになったか、と思う。

それら無しではこんなふうに考えるようにならなかった。

それ以外でも、いろんな本を興味が湧くままに読んで、考えてきたことも、

他との相互作用の一つだと思う。

この地でそれまで会ったこともないような人たちと会え、付き合ったことも

本当に得がたい体験だったし、

これからだっていろいろあるだろうことは楽しみだ。

・・なんやら、計らずもこんな文章になってしまったよ。

「・・そこに人の情も自ずと湧いて来るものです」

この言葉で思うけど、元々涙もろいけど、年のせいというのもあるかもしれないけど、

やたら涙もろくなってる。

日本語には『血も涙も無い』という表現があるけど、

人情のことだろうと思う。

カッとなって怒る湯沸かし器人は結構涙もろかったりする。

自分のその時の思いをそのままを出せるからだろう。

冷静に怒りを“抑制”するように“なって来た”人は、涙ももろくないような印象がある。

そういうのも他との何らかの相互作用で、

抑制能力が必要以上に肥大して来てしまった現象なのかと思う。

そういうのも他との相互作用で抑制が簡単に外れることもあるから、

本当に人間は一人に“なり”“切れる”ものでない、のだろう。

水路 ★

2012-09-03 11:59:36 | 本を読んで
「水には水の、流れ、溢れぬ、水路を、

人には人の、自由に安全に通れる大道を設け、

自動的に円滑に、他に迷惑を与えないで、

各自の自由意志と、能力に応じた行動が出来る仕掛けにします。」

水路というのは勾配があることによって、水が流れる。

高い所から低い所に流れるという水の自然の働きを利用したものが勾配なんだろう。

そういう意味で、人が自由に安全に通れる大道を設け、・・・“仕掛け”にします、という表現は、

人間の真実の意識の性質が真実のままに発揮されるようになることを

“仕掛け”と云っているのかと思う。

ひとは自発性、自主性、自立性、自律性をもつもの。

ひとは他から動かされるのではなく、

自らの意志で行為・行動するもの。

真善美を希求してしまうもの。

ひとはひとと共に存在するもの。

・・ひととはこのようなもので在ると知り、

そういう心を引き出す在りようになることが、彼の云う、

“各自の自由意志と能力によって行動が出来る仕掛け”と云えるのかと思う。


自分の中から法が消える

2012-09-03 10:00:50 | 本を読んで
性悪説のような人間観からの、人間が幸福になる?方法が、

権利義務観念を基にした法律かと思う。

真実から発したものじゃないから、それが完璧なものでないのは当たり前で、

万人に重宝するものになりえない。

法律もそうだけど、社会常識もそういうものは多い。


「次の世界では悪の起こる原因をなくし、・・」

・・悪の起こる原因それは、そのものを悪と観る心の在りよう。

そう観ておいて、その結果生じたものを罰するなんて、

「蛆虫がわくようにしておいて、蝿を追うようなもの・・」

とは本当にぴったりな表現だ。


「権利・義務のみで、凡てを片付けるハエタタキ法律書は空文になります。」

・・なんてスカッとする文章だろう。

空文の意味は(何の役にも立たない文章。

特に現実に役立たない規定や法律の条文。)それに“なります”とある。

そう。なるんであって、する、します、じゃない。

そう、なるべくしてなる。当然そうなる。

ひとや自分にあーせよ、こーするべきという法が

自分の中から消える。