ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

保母さん(保育士さん)

2012-09-06 16:21:06 | 日々の暮らし・思い出
若い頃、仕事していたので、産休明けから子どもは昼間、保育園で過ごした。

そのことに罪の意識も持ったことないし、

子供が可哀想だなんて思ったこともなかった。

専門家に見てもらうのですごく安心感があった。

子供にとって、友だち、仲間がいるというのもすごくあった。

私一人で子育てする自信も気もなかった。

ここなら安心して見てもらえると思える所がみつかるまでは必死で探したけど。

よく保母さんに「私ならこんな時にイライラしちゃうけど、

保母さんは凄いですよね~!」って言ってた。

そうしたら「私も我が子にはこういうわけにいかないんですよ(^^)」

っていう言葉が返って来たことがあった。

そのときはそのわけがわからなかった。

前も介護職のことで書いたけど、

それを仕事にしてる人は、何かの行為をする時に今ここで何を実現したいのかに、

はっきりと自覚がある、それが私と違ってたのかと思う。

食事時間のとき、遊んでいる時、着替えの時、

どんな時でも今ここでその子供が~なるようにと働きかけてる。

目的がその時その時はっきりとしてたのかと思う。

そして、出来なかったら出来なかったで、続く、っていう見方があったと思う。

放して見えるプロだから。

母親の私よりそれ以外の情報に引きずられてない心の状態に、

あったのだと思う。

この世の仕事の中で、どれも尊いものと思うけど、

一番は保母さんだと思ってる。わたし。



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瞞着(真実の世界)

2012-09-06 13:17:34 | 本を読んで
瞞着なんて日常使わない言葉だけど、

その意味はあざむくこと。ごまかすこと。人の目をくらますこと。

日常の行為でごまかすことやってるよ、わたし。

特に義父に。やってない事をやったと言ったり、

具合が悪くてもいいよと言ったり。

けども、そういうのは義父に何かを安心して貰うためのもの。

なので、彼の文章の中の「うそ偽り瞞着の無い事」はもっと違う意味合いなのかと思う。

以前にもそんなこと書いた記憶があるんだけど、

今の自分でまた、読みたい。

「誰の心のうちにも、社会組織にも、うそ、偽りや、瞞着の無い事が肝要で、

判らない事を、架空的な、こじ付け理論で組み建てた社会等は、

やがては崩壊する惧れがあり、真実の世界ではありません。」

・・・誰の心の“うち”にも、とあって、「心にも」という表現じゃない処に、

やはり何らかの伝えたいものがあるように思う。

それを受けて、「社会にも」じゃなく、社会“組織”にも、も何かあるぞ~

・・で、思うんだけど、これは人間観のことなんじゃないか・・・?

うそ、とひらがなで書いてあるのも、嘘も方便ということもあるわけで、

なので、ここでは、うそ偽り瞞着がいけませんよと云っているわけじゃないのだろうと思う。

人間は誤魔化すものだ、ひとというものは他人を悪意で欺くものだ、

というような人間観が無い事が非常に大切だと云っているんじゃないのかな。

謂わば性悪説から真実の世界は生まれないと云っているのではないかと。

「判らない事を」とあり、

わからないや分らない、解らない、という表現ではなく、

判らない、と云うからには、判断できないという意味かと思う。

架空的な、こじ付け理論で・・・

架空とは根拠のないこと、事実でないこと、なので、

人間はひとを欺いたり、悪意で誤魔化して、

何かをするものだというような人間観に立って、物事を行なうのは、

人間というものはそういうものだという確信がそこにあることを示している。

それは根拠のない、こじ付けであり、

こうした人間観で物事を行なう人の心の状態や、

それで出来上がっている社会は、

やがては崩壊する“惧れ”があり、この惧れは危惧するという意味かと思う。

真実の世界ではありません。

という感じじゃないかなと思ったよ。

ひとつひとつの行為をする、その時その時にどんな人間観で行為してるか、

ということで、

大雑把に私の人間観はコレコレです、なんていう顕在意識のことじゃなくて。
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金の多寡

2012-09-06 10:22:30 | ひとの幸福
給料の多寡で仕事する時の気持ちが変わったという経験は無いし、

結構みんなそうなのかと思う。

でも、そのことと給料明細見てがっかりする、こととは次元の違う問題と思う。

・・・こんなことを書いた。

書いて思い出した。

青い本のどこかに、表現は忘れたけど、

給料の多寡で仕事する時の気持ちが違ってないような人は、

その事に関しては心が解決済みで、

あとは物の解決が出来れば物心共に幸福になる・・・というような奴。

表現は違うけど、こういった内容の文章があったと記憶している。

この記憶もポカリのペットボトルと同じかもしれないけどね~

今、探すのが面倒なので、後にする。

その、物の未解決というのがこのお金社会というシステムかと思う。

これも、そのシステムが変化していくには長い時間がかかるのかもしれないけど、

目に見えない心の状態が変化して行くことで、

目に見えるシステムは変化していくもの。

どんな現象も最初は一つの心から始まるのは当然なんだろう。
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