ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

広辞苑で・・

2012-09-04 15:16:02 | 本を読んで
青い本の最後の文章「そうして、親和・協力の人達が栄える事は、

利己的な人が自滅・解消して、

相共の人に更生する事になり、親愛の情に充ちた幸福社会が訪れます。」

「親和」の意味は、

親しんで相互に仲よくむつみ合うこと。

親しく結びつくこと。

「協力」の意味は

ある目的のために心をあわせて努力すること。

(ある目的のために、ということは

その時その時の目的が自覚されていることを示していると思う)

「利己的」とは、

他人の迷惑を顧みず、自己の利益だけを追求するさま。

「自滅」とは

自然に滅びること。

自分の行為が原因となって自分の身を滅ぼすこと。

「解消」とは、

従来あった関係を消滅させること。婚約解消とか。

「相共」“あいとも”と読むんだろうけど、広辞苑にはないようだ。

人は相、共に在るもの、という意味合いかと思う。

相互関連作用の中に在るもの。一体であるもの、ということかと思う。

「更生」とは「更正」と違うよ。

「更生」の意味は生き返ること。よみがえること。

反省・信仰などによって、心持が根本的に変化すること。

「親愛」とは親しみ愛すること。人に親しさを感じ、

愛情をいだいていること。

「充ちる」はいっぱいになる。欠けた所のない完全な形になる。

「訪れる」は元々は音がするという意味らしいけど、

ここでは(ある時期・状況などが)やってくる。という意味かと思う。

・・・広辞苑にほとんど仕事してもらいましたという感じ。


これも非公開にしてたもので、公開することにした。
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料理

2012-09-04 09:16:18 | ひとの幸福
日本ではお店の人が無愛想だったり、感じが悪い、

というのが致命傷になる場合もあるのかと思う。

どんなに美味しい料理を出されても、不機嫌そうに給仕されたら、

又あそこに行こうという気持ちになりにくい。

そういう感覚が日本では当たり前とされているように思う。

愛想が悪いという行為は店が潰れる結果を齎す事もあるというのは、

なんか、考えると凄いことのように思う。

料理を食べるというのは空腹を満たすためだけという考えだったら、

そこに居る人がどんな人だろうと構わないはずだけど、

料理を通して、作る側、給仕する側、食べる側、

それぞれが楽しい気分になるということが出来たら素晴らしいことだ。

全部関連してその世界が現われる。

やりたい人がやりたいことをやりたい気持ちでやる。

食べる人も食べることでそれをする。

そういうのって、自分ひとりの世界じゃないなぁ~

作る側は給仕する側、食べる側、素材を提供する側、なんかに心を寄せ、

他の側もいろんな側に心を寄せる。

その側というのも時と場合で一人がいろんな側になる。

(変な稚拙な表現だけども)

結果的に皆で楽しい世界を共につくってる。

一方通行がいっぱいあって、自分はそっち方面に一方通行してなくても、

そっちからの一方通行がやって来たりする。

一方通行ばかりのグジャグジャ道が世界だったらどんなにいいだろう。
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労働観

2012-09-04 08:47:27 | 本を読んで
昨日読んだ本(「日本の文脈」中沢新一氏と内田樹氏の対談)に、こういうのがあった。

ユダヤ・キリスト教的視点からみると、

労働とは、人間が神との接触を失ったために額に汗して、

自らのパンを稼がねばならないという一種の『罪』である、というもの。

日本では逆に、労働を通して神との接触が成り立ち、

維持され、保ち続けられる、というもの・・・だという。

労働を神との接触なんてこと思ったことも無いけど、

面白いもの、遊びと共通するもの、というのはすごくある。

ねばならない・・が出てくるのはお金の問題と、

自分の能力を越えるものをやらなくちゃと思ってしまうという心とか、

そういう仕組みがあることでそうなるのかと思うけど。


時給850円とかで全力で楽しげに働いている人は多いと思う。

実際自分でも、給料の多寡で仕事する時の気持ちが変わったという経験は無いし、

結構みんなそうなのかと思う。

でも、そのことと給料明細見てがっかりする、こととは次元の違う問題と思う。


昔、ソ連時代、デパートの店員なんかが超仏頂面でいやいや仕事している、

という話を聞いた事がある。自分が’73に行った時も、

そういう先入観があったせいなのか、

たまたま自分がその日、見た人たちがそうだったのか、

その時の気分でその時はそういう表情をしていたのか、

わからないことではあるけれど、

日本では見たことのない、感じたことのない雰囲気を感じた。

デパートの店員さんはニコリともしてなかった。

あまりに不機嫌そうで、ぶっきらぼうでイヤイヤやってます風が漂っていた。

なかにはそうじゃなかった人も勿論いたかもしれないけど。

いくら働いても給料は同じ、というのでそういうことになると聞いたけど、

まぁ、それも一人一人のその時その時の不機嫌そうなわけはわからないけれど、

傾向というのはあったのかもしれない。

日本では派遣社員と正社員と給料なんかの待遇が全然違っても、

派遣社員のひとたちもつい生き生きと仕事しちゃう傾向はあるんだと思う。

その仕事自体を楽しんでしまうというのはあると思う。

差別待遇は無いほうがいいに決まっているけど。

そのことが労働を通して神との接触が成り立ち、

維持され、保ち続けられる、というもの・・・?

これは又、別に考えてみたいと思ったよ。

ソ連時代ではなくなって、今あの土地のデパートで働く店員さんは

どんな顔をして立っているんだろう。

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