聖書のなかの『創世記』にこういうものがあるという。
主は「あなたの子、あなたの愛してる一人子イサクを連れて、・・・・
・・いけにえとして丸焼きにしてイサクをわたしにささげなさい」
とアブラハムに伝える。
アブラハムはわけがわからないけれど、主の言われたようにしようとして、
我が子を殺そうとしたそのときに、天使が来てそれをしてはならないと止めた。
・・こういう話である。
アブラハムは悩みに悩んだと思う。最愛の一人子を殺すということを。
けれど、そうしよう!とした。そして止められた。
殺した、ではこの話は意味を持たないと思う。
アブラハムにとって一番出来ないと思うこと、それが我が子を殺すことだったのだと思う。
とてもとても“出来ないと思うこと”を「やる!」と決めたときに、
(しようとした瞬時に)
アブラハムの意識は180度変わったはずだ。
何の行動もしてないうちに。
何故こんなエピソードが聖書にあるのか・・・
聖書は不思議だ。いや、不思議でもなんでもないのかもしれない。
2000年も前に生きたひとたちが、私たちに何かを贈りたいと思ったとしか思えない。
聖書は私たちに宛てた手紙だ。とても不完全なものだろうけど。
完成させるのはそれを読む一人一人なのかと思う。
青い本と同じだ。
『ハイでなんでもやれますか』の問いを自らに問うたその時に、
その心はアブラハムと同じようになった。
主は「あなたの子、あなたの愛してる一人子イサクを連れて、・・・・
・・いけにえとして丸焼きにしてイサクをわたしにささげなさい」
とアブラハムに伝える。
アブラハムはわけがわからないけれど、主の言われたようにしようとして、
我が子を殺そうとしたそのときに、天使が来てそれをしてはならないと止めた。
・・こういう話である。
アブラハムは悩みに悩んだと思う。最愛の一人子を殺すということを。
けれど、そうしよう!とした。そして止められた。
殺した、ではこの話は意味を持たないと思う。
アブラハムにとって一番出来ないと思うこと、それが我が子を殺すことだったのだと思う。
とてもとても“出来ないと思うこと”を「やる!」と決めたときに、
(しようとした瞬時に)
アブラハムの意識は180度変わったはずだ。
何の行動もしてないうちに。
何故こんなエピソードが聖書にあるのか・・・
聖書は不思議だ。いや、不思議でもなんでもないのかもしれない。
2000年も前に生きたひとたちが、私たちに何かを贈りたいと思ったとしか思えない。
聖書は私たちに宛てた手紙だ。とても不完全なものだろうけど。
完成させるのはそれを読む一人一人なのかと思う。
青い本と同じだ。
『ハイでなんでもやれますか』の問いを自らに問うたその時に、
その心はアブラハムと同じようになった。