ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

アブラハム

2012-09-20 13:38:48 | ひとの幸福
聖書のなかの『創世記』にこういうものがあるという。

主は「あなたの子、あなたの愛してる一人子イサクを連れて、・・・・

・・いけにえとして丸焼きにしてイサクをわたしにささげなさい」

とアブラハムに伝える。

アブラハムはわけがわからないけれど、主の言われたようにしようとして、

我が子を殺そうとしたそのときに、天使が来てそれをしてはならないと止めた。

・・こういう話である。

アブラハムは悩みに悩んだと思う。最愛の一人子を殺すということを。

けれど、そうしよう!とした。そして止められた。


殺した、ではこの話は意味を持たないと思う。

アブラハムにとって一番出来ないと思うこと、それが我が子を殺すことだったのだと思う。

とてもとても“出来ないと思うこと”を「やる!」と決めたときに、

(しようとした瞬時に)

アブラハムの意識は180度変わったはずだ。

何の行動もしてないうちに。

何故こんなエピソードが聖書にあるのか・・・

聖書は不思議だ。いや、不思議でもなんでもないのかもしれない。

2000年も前に生きたひとたちが、私たちに何かを贈りたいと思ったとしか思えない。

聖書は私たちに宛てた手紙だ。とても不完全なものだろうけど。

完成させるのはそれを読む一人一人なのかと思う。

青い本と同じだ。

『ハイでなんでもやれますか』の問いを自らに問うたその時に、

その心はアブラハムと同じようになった。






抵抗ある

2012-09-20 12:46:21 | 日々の暮らし・思い出
押入れに要らない物が入っている。

これらがゆるゆるガラ空きになったらどんなに気分が爽快だろう。

で、今日、ある程度の量、他の場所に行ってもらった。

やっぱり抵抗はある。行った先で役立ったらどんなに気が楽か。

こういう心理はどうして出てくるんだろう。

冷蔵庫にもう食べる気にならない食品が入っている。

でも食べられない物ではない。

毎日冷蔵庫を開けると、それを開けて、クンクンとニオイを嗅ぐ。

ちゃんと腐敗臭がして来たら、安心して捨てる。

・・こういう話をどこかで聞いたか、読んだか、したことがある。

腐るまで置いたことには抵抗はない、ということか?!・・・

食品は必ず腐るから、時間が経てば安心して処分できるといえば言えるけど、

衣類や雑貨はあまり腐らないから、処分する時どうしても抵抗心が残る。

これはどうしようも出来ない、穴だらけ、シミだらけ、というようなものなら、

何の抵抗も無く処分できる。でもそんな物は少ない。無い。

捨てるんじゃなく、誰かがそれを使ってくれたら、一気に抵抗はなくなる。

嬉しくなる。

自分も他の役に立ちたいし、物も他に役立って欲しい、という本能のようなものが

やっぱりあるのかなと思う。

役立つものを捨てる、というのは抵抗があって当たり前なんだと思う。

そういうのを感じたくなかったら、

手に入れる時に本当に吟味して手に入れることだ、というのも聞いたことがある。

気にいっているものはとことん使うから。

うん、なるほど、と思う。でも途中で気が変わることもある。

人生が変わる魔法の片付けという本では一つ一つに、

ここに来てくれてありがとう、と言ってお別れをする、ようなことを確か言ってた。

あなたが居なかったら、今の私じゃない・・

そう言ってたか、言ってなかったか、忘れたけど、

そうとも言える。

物とも一期一会だなぁ。今日さよならしたもの達の冥福を祈ろう。


ダイエットと同じ

2012-09-20 11:01:54 | ひとの幸福
誰とも喧嘩しない、というのがあったけど、

夫婦や親子が喧嘩しない、仲良い、というのが一番のバロメーターになるのかと思う。

自分を観るのに。

自らが我慢もせず、犠牲にもならず、相手にもそうさせず、表面的だけのものでなく、

心の底からそんなふうにやれる夫婦、親子、隣人、仲間。

そんなのをやりたい。

その場で機会は幾らもある。事欠かない。

オレがやらずに誰がやる、今やらないでいつやれる、という、

ちょっと一見勇ましい感じのフレーズがあったけど、

自分にしか出来ないことって、自分の内側を観ることかと思う。

それはオレがやる以外他の誰も出来ない。

今やらなかったら、いつの今もやれない。

ダイエットと同じだね~