ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

迷い

2012-09-26 16:41:21 | ひとの幸福
さっき書いて、気が付いた。

迷い は正しさを求めているときに出て来るということ。

どっちがいいか?ということはどっちが悪いか、だ。

自分の気持ちがどうなのか、は後回し。

ラーメンにするか、ソーメンにするか、聴くのは自分の気持、自分の腹にだ。

それを迷うのは?・・頭で迷う・・?



 
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昔のわたし

2012-09-26 16:30:44 | 日々の暮らし・思い出
娘と話していると、昔の私がいろいろと出て来る。

すっかり忘却の彼方に行っているものが飛び出してくる。

あの時、お母さん、こんなだったよ、

あの頃、お母さん、こんなだったよ。

今の娘とそうたいして変わらない若かった私。

でも、こんなだったよ、ということは今の自分とは違う、ということでもある。

うろうろ迷って、躓いて、こけて、ご面倒を掛けました。

これからもあるかもしれないけど、よろしくお願いします、という感じ。

今朝の毎日新聞の書籍広告欄にお母さんを選んで生まれてきた・・とかいう本が載っていた。

他の本でそういった内容の本を読んだことがある。

小児科のドクターが編集した本だったと思う。

小さな子が話す言葉を書き溜めたもの、だった。

真偽はわからないけど、そうなのかもしれないなぁ、と思う。

親が成長するために子供はやって来てくれる・・

自分の経験ではそう思う。

そして自分は今は寝たきりの母を選んで生まれて来たんだろうか・・

あの母でよかった、と思う。私の選択?は間違ってなかった。そう思う。

でも、母が成長したか、それは母に聞かないとわからないなぁ。
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無い答え

2012-09-26 16:03:42 | 日々の暮らし・思い出
東京の娘が遊びに来ている。

昨夜は二人でずーっと話していた。

娘も結婚して7年になる。いろいろと夫婦の話しも出てきた。

いろいろなことがあったけど、今、娘夫婦は仲がいい。

娘がこんなことを言った。

今、自分が急に夫の前から姿を消したら、

夫がどんなに悲しむか、喪失感があるか、どうなるかと思って涙が出て来る、って。

本当に涙っぽくなった。

いや、実際、彼がどうなるかはわからないけどね・・・とも言ったけど。

その話しを聞いた時、はっと思った。

前の夫と離婚が成立する前に、そんなふうな思いになったことが一度もなかったことに初めて気が付いた。

なかなか離婚の決心が付かなかったんだけど、

娘のような思いが浮かんだことは一瞬も無かった。

離婚するということはいけないんじゃないか・・

~すべきなんじゃないか・・そんなことばかりが脳裏をよぎった。

彼が悲しむか、どうなるか、なんてこと浮かびもしなかった。

私は自分がどう“したらいいのか”どういう行動をとるべきなのか、

・・・そういったことばかりに気が行っていた。

そう・・・正しい答えはなんなのか、そればかりを探していた。

自分さえ正しかったらいい・・そんなふうだったんだ。

そう意識していたということじゃない。そう“なっていた”。

無い答えを探して、ずーっと迷っていた。


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神さまのご褒美

2012-09-26 15:59:31 | テレビを見て
今朝の「梅ちゃん先生」で、梅ちゃん先生がこんなことを言っていた。

『神さまのご褒美』という言葉。

「生きていればきっといいことがある、

きっといつか神さまがご褒美をくれる」・・・

・・戦後すぐの頃、戦災孤児のヒロシに梅子は言ったのだった。

ヒロシ青年はその言葉で頑張って来た。

「でも、神さまは何もご褒美をくれない。だから、もっともっと頑張らないといけないんです。」

・・そう青年は言う。自暴自棄みたいになってる。

梅子は、もういい、もういいのよ、頑張って来た。立派だった。言いっ放しでごめんなさい、と言って涙をこぼす。

「他に何をしたらいいか思いつかなくて・・・

お母さんのおはぎ美味しいのよ・・・

こんなご褒美じゃダメかな。」梅子は母親に来てもらっておはぎを作ってもらっていた。

それをヒロシ青年と食べる。

こういう梅子の言葉の奥に在るもの、を感じたんだろうと思う、わたし。

涙が勝手に出て来た。

自暴自棄になっていたヒロシに向かってその言葉を発したのは、

梅子に在る愛が表現を求めて、「神さまのご褒美」という言葉になって出て来たんだろうし、

今日も梅子に在る愛が表現を求めて、

「他に何をしたらいいか、思いつかなくて・・・おはぎ・・・」

という言葉になって出て来た、そんなふうに思った。


それにしても、神さまのご褒美ってなんなんだろう?

いわゆる神、GODはご褒美をくれない。そう思う。

お前はこうしたから、これを褒美にやる、こうしなかったら罰をやる、

そんなことはGODは出来ない。


愛が表現される時、そういう表現の一つとして暴力的な言葉遣いというのもある。

馬鹿野郎!や、アホ!という言葉が愛の表現の場合もこの世にはある。

昔、兄に「何やってんだ!」という非難、怒りの言葉を浴びた事があるけど、

その言葉をその時、発さなくちゃならなかった兄に、私に対する愛を感じて、

すごく嬉しく思ったことがある。

愛を表現する時、愛を表現されたと受け取った時、愛の表現を見たと受け取った時、

その意識、心がご褒美そのものなんじゃないのか・・

大文字の“GOD”ではなく、小文字の“god”である人間。

(聖書には厳然とその違いが記述されているようで)

ご褒美は小文字のgodである自分の心が、

自分にくれるものなのかと思った今朝の私でありました。
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