ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「命までも打ち込んで」!?☆

2012-09-12 12:40:52 | 本を読んで
「命までも打ち込んで」なんて聞くとちょっとギョッ!としてしまう。

でも、わざわざカギカッコがしてあるのはどうしてなんだろう?

彼のエピソードで、「命がけ」というのはどういうことか?と聞いたら、

電車に乗るようなもんだ、

というような返事があったという話がある。

電車に乗るとき、運転士がどういう運転をするかは運転士の意思でやるもの、というか、

それは相手に任せているという暗黙の了解があって、乗っている・・

あーしてくれ、こーしてくれ、と言っても、

それをどう受け取って、どうするかは相手がすることなので、

電車に乗るのは命を完全に預けている状態なんだろう。

それも運転士だけでなく、

踏み切りで突っ込んでくる車というのも無いとは言えないし、

踏切を走るドライバーにも命を預けているし、真上を飛ぶ飛行機のパイロットにも命を預けている。

自分以外の人間のことはその人がする、というはっきりとした自覚のことを

云っているのかと思う。

相手の行為は相手が選んでいる、という納得がある、ということかと。

そういう意味で、乗るということ自体、

命を打ち込んでいるとも言える。

・・とすると、カギカッコ付きの、「命を打ち込んで」は、

他のことは他に完全に任せているというニュアンスなのかと思う。


地位も名誉も、あるある・・

2012-09-12 11:18:32 | 本を読んで
物や、地位や、名誉等を考えずに・・

・・地位なんてないわ、なんて思ってるけど、

念のため「地位」を調べてみると・・

くらい。身分。立場。存在する場所。位置。とある。

立場ならある。位置もある。存在する場所もある。

こっちの立場も考えて欲しいわっ!なに考えてんだろっ!・・なんてのはありそう。

名誉もきっとあるんだろうな。

「名誉」の意味は、ほまれあること。よい評判を得ること。

名高いこと。

道徳的尊厳が他人に承認・尊敬・賞賛せられること。

・・ようするに、ちょっとしたことでも見返りを求めてしまう心性のことかな。

これもあるある。夫の衣類がほつれたりした時、

言われる前に繕っておいたような時でも、

それしといたよ、って言わずにはおれないような心性のことかと思う。



心のデザイン

2012-09-12 10:43:50 | 本を読んで
概要があって、それには真実の世界とか、法で縛らぬ社会とか、

いろいろと説明があって、

彼のいう“理想の心状態”の概要はコレコレでというのが書かれてあるのかと思う。

概要の次が構成になってるわけなんだけど、

その“理想の心状態”へと構成する(組み立て、つくる)のが、

幸福・研・・会であって、その説明が幾つかあって、その次に

「感情を害しないこと」と「命令者は居ない」がある。

このどちらもがやはり心の状態を表わしている。

この二つのことは前に書いたけど、

周りが如何であろうと心は傷付かない、という心状態。

周りが命令という気持ちで接しようと、自分の中には命令者は居ない心状態。

・・そういったものでその心は組み立てられている。

一言ではうまく言えないけど・・

(だからこそ、彼はあんなに頁を使ってあーだこーだと云っている)

『般若心経』も心の状態を表してあるものと思うけど、

そういう境地に行く行き方を彼はこの本で伝えたかったのかと思う。

仏教界ではいろんな修行したりお経の研究とかいろいろしてるんだろうけど、

実際のこの世に直接的なその効用というのは現状を見ても、

現われてないように見える。

それなりの効果はあるんだろうけど。

彼の「宗教に非ず」の中に、“哲学的に、現実的に、真理と方法を探究し合って、行動する、”

という文章がある。

この青い本を題材にしながら、皆で共に哲学し、

究められる真理を究め、具体的な行為・行動も探求し合えれば、

そういう境地にも行き着けるし(一日何時間とか、何分とか、半日とか、完全とか)

その分だけ実践出来るようになるよ、

そして結果的に世界は幸福状態になるよって、

彼は云っているんじゃないかと思う。

誰とも喧嘩しない!

2012-09-12 09:48:36 | 本を読んで
親愛の情、それが社会の構成員を結びつけて、社会をつくりあげている条件だと彼はいう。

怒りや疑いが少しでも介在(両者の間に他の物がはさまってあること)

していては不完全とも云っている。

「誰とも喧嘩しない、仲良し一家の集まりです」(42頁)

「誰とも喧嘩しない」が「仲良し一家」にかかる形容詞なのか、

「仲良し一家の集まり」にかかるのか・・これは両方なのかな・・?

どっちにしろ、誰とも喧嘩しない!だ。

形で他人と喧嘩しなくても心の中で喧嘩してる、というのもあるから、

それも入れないといけない。

自分とも喧嘩しない・・そうだね~

自分をダメだ、良くないとしてるのも、そういうことなんじゃないかな。

「誰とも喧嘩しない」は誰とも喧嘩しないだ。

無理に、そうするんじゃなくて、そうしたくなってて、そうする、わけだ。

そう“なる”が理想だ。

誰とも、夫とも家族とも親とも友人とも近所とも、

野田首相とも岡田さんとも前原さんとも、

谷垣さんとも石原さんとも石破さんとも、

オバマさんともロムニーさんとも、

金正日さんとも金正恩さんともシリアの大統領とも、

韓国大統領、中国代表とも。みんなみんなと。

こう並べると、価値観が同じだったら、なんてわけがないね。

でも同じものがある。

みんな人間だし、共通のものを持ってる。

それがあるからこそ、

喧嘩なんか起こらない結果になる方法はあるよって彼は云ってるのかな。