ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「ハゲ」・・・自然と人為

2012-09-05 18:35:08 | ひとの幸福
「自然と人為を基調とした思想」なんて聞くと、

この地球の自然と人間の都合とを調和させる、ふうについ高速思考してしまう。

だが、待てよ、彼の云うその言葉は単にそういうことなんだろうか・・?

やっとこういう疑問が浮かんだ。

すらーっと読めなくなってきたぞ。よしよし。

この言葉が出てくるのは、彼の思想体系の実態を述べる前の「まえことば」の、

「自己弁明」の中・・ということは・・

・・彼の思想体系の実態についてのこと・・?


この「自然」というのは広辞苑にもあるように、自ずとそうなっているさま。

人為が加わらないさま。「ひとりでに」の意味もある。


例えば、相手を非難、否定する気持ちなどこれっぽちもなく、

単なる普通名詞のように「ハゲ」と言った時に、

禿ていることに劣等感を持ってる人は、

冷笑されているように思ってしまうという心の状態は、

その人のその時点では「自然」と云っていいかと思う。

いわば、“自動的”に傷つく。

いま、そこに傷つけた他者がいないのに、“ひとりでに”傷つく。

そういう心の状態は『歪んだ自然』と云っていいかもしれない。


歪んでない『本当の自然』とは・・?

真善美を希求してしまう心の状態。それほど大袈裟?に言わないでも、

美しい花を見て美しく感じてしまう心とか、

映画の感動的なシーンを見て思わず涙がこぼれてしまう心とか、

優しい気持ちで行なうと快適に感じてしまう心とか、

よくないと思いながら何かをする時に後ろめたさを感じてしまう心とか、

人を責め立て、後でそれが間違いだったとわかった時に、

きまり悪さを感じてしまう心とか、

そういうのも自動的、ひとりでにそうなる、心だ。

さっき書いたのと違って、それは歪んではいない自然といえる。


自然と人為を基調とした思想・・とはどういうことなんだろか?

「人為」の意味は①人の力で行なうこと。人間の仕業。

②自然のままでなく、人手を加えること。人工。

最初に書いたハゲの例の『歪んだ自然』は、

②の意味のように“人手を加える”必要がある。

人手であって猿の手や犬の頭じゃない。

それも、「自然と人為を基調とした思想」ということなんだろうと思うんだけど・・・

ポカリのペットボトル知らない?

2012-09-05 16:44:34 | 日々の暮らし・思い出
夫が「ポカリ入れたペットボトル知らない?」と聞いて来た。

「私、動かした記憶ないから、あなたが置いた所にあるんじゃない?」と私。

冷凍庫をごそごそ探している夫。

私がもう一つの冷凍冷蔵庫の冷凍の引き出しを開けたらあった。

夫は「そこに置いた記憶がないんだけどなぁ~」と。

私も動かした記憶が無いと言ったけど、怪しい。

「もしかして私が動かしたのかもしれないね~」と夫に言った。

この頃ホントに何かをやったか、やらなかったかの記憶があいまい。

なので、そういうことの記憶に自信がない。

本当に自信がないから、そういうことに突っ張らなくなった。

以前はそんなことも「わたし、そんなことしてないもん!」とか、

「ちゃんとそこに置いたよっ!!」って自信たっぷりだった。

老化のせいなのか、なんなのかわからないけど、

確かに、本当に、かなり、ひどく、記憶があいまいなこと多い。

夫に「記憶の自信がないって、突っ張らなくていいね~(^^)」と言ったら、

夫は綾小路きみまろのトークを真似して、

「無い、鍵が無い・・・あ、あったわ・・(手の中に)」という台詞を上手に言った。

二人で笑った。楽しかった。

プライド ★

2012-09-05 10:42:40 | ひとの幸福
「プライド」で広辞苑を見ると、誇り。自尊心。自負心。矜持。とある。

「自尊心」で見ると、それとは違うものが出て来る。

辞書というのは、その言葉がどのように実際社会で使われているか、

という観点で編纂されたものなんだろうと思うんだけど、

日本人が「自尊心」ではなく、「プライド」という言葉を使うのはどういう状況かというと、

「あの人はプライドが高いから・・」に続くのは、

ちょっと気をつけて付き合わないと・・・とか、

付き合いにくい・・とか、面倒くさい・・とか、

そういう感じかなと思う。

「誇り」の意味にある、自慢に思うこと。

引用に「誇りを傷つけられる」があるけど、そういう感じ。

自慢に思っていることを貶されても、心が傷つく人と傷つかない人とがある。

「あの人はプライドが高いから・・・」というニュアンスは、

あの人はそれで心が傷つく、ということを周りは知っているということなんだろう。

当人はそれがわかってないからこそ、そういうふうで在るんだろう。

プライドを持っているひとは、そのことは自慢できるほど高い能力がある、

ということと思う。

けど、ひとに「あのひとはプライドが高い・・」と思わせるひとは、

他者を見て、その能力が自分より低いと観ると、その他者に優しく接し、

この他者は自分の持つ能力よりももっと高いものを持っていると、感じると、

一気に牙を剥くということをする。

それは自分の能力を自慢できなくなってしまうという恐れが、そうさせる。

当然の現象かと思う。

攻撃は最大の防御というけど、守らなくちゃいけない弱さが自分に在ると、

無意識的にはわかっているので、

その弱さを守るために牙を剥くということになるのだろう。

弱い犬は吠えるのと同じだ。

ひとは弱いものに優しいから、あの人はプライドが高いから、気をつけて付き合いましょうねと、

その人の弱さをそのまま認め、それなりに付き合う。

青い本の中に、

「・・初めは迎合して来て、会得しかけると、理想社会も何もない、

・・・犠牲者が出ようが、かまわずに人を突き倒しても、

近欲に狂奔する人に対しては、口が堅くなるばかりです。」というのがある。(15頁)

この文章はプライドの高いことについてのものなんじゃないかと思う。

「近欲」という言葉は広辞苑にないし、通常使われてないもので、

彼の造語かと思う。

それは「自分さえよければいい」という心の状態を表わしているものと思う。

自分の高い能力を自慢のためのものとし、

それさえ守られれば、ひとのことなど知ったこっちゃないという獣性かと思う。

そういう獣性は放っておけばいいのかと思う。

親和・協力の人達が栄えると、やがて自滅解消し、相共の人に更生するものなので。

行なう人

2012-09-05 09:55:41 | ひとの幸福
「・・・何からでも、誰からでも方法手段を以て、理想社会を実現することが出来ます。

・・・云う人はあっても、行なう人は稀で、

云う人が如何に多くても、行なえる人が多くならねば、

画餅・口頭禅に終わります。」

・・行為は年がら年中している。

誰でも何処でも(職場でも家庭でも地域でも)行為の連続だ。

機会は山とある。

「理想社会の縮図」

2012-09-05 09:35:56 | ひとの幸福
なんであれが理想社会の縮図なのか、ずーっとわからないでいた。

ヒナがお腹が空いた時にすぐ傍に食堂がなく、遠くにあることで、

足腰が鍛えられて丈夫な鶏に“なる”

ヒナが食べる食堂のご飯が離乳食みたいに柔らかく出来てない。

それしか食堂にないし、空腹だから固い物ではあるけれどそれを食べる。

そのことでお腹が丈夫に“なる”・・とかとか。

その他にもいろいろあるんだろうけど、専門外だったし、

あまり関心もなかったので具体的にはよく知らないんだけど、

~こう“なる”ことを描いて、~こう用意したら、

~こう“なる”という仕組みだったのかと思う。

そこが理想社会に“なる”には

“なる”だけのシステム、仕組みが仕組まれてあった。

犠牲や忍耐などが生まれようもない慈性、利他性がどのように引き出されるかは・・

他に慈性が引き出されるのは自の慈性によるし、

他に利他性が引き出されるのは自の利他性による。

ひとは自分と同じものを相手に観る。それが理だからだ。

自分の前に居る人の心には自分の心が映る。

そういうもの。それが自他一体の理という言葉に表わされているのかと思う。

人間はそうなっているので、それを利用するだけで、

理想社会も非理想社会も出来上がる。

勿論、自の獣性によって他に獣性が引き出されるし、

自の利己性によって、他に利己性が引き出される。

自分の周りにどんな世界を築きたいか、自分の思いのまま。