「自然と人為を基調とした思想」なんて聞くと、
この地球の自然と人間の都合とを調和させる、ふうについ高速思考してしまう。
だが、待てよ、彼の云うその言葉は単にそういうことなんだろうか・・?
やっとこういう疑問が浮かんだ。
すらーっと読めなくなってきたぞ。よしよし。
この言葉が出てくるのは、彼の思想体系の実態を述べる前の「まえことば」の、
「自己弁明」の中・・ということは・・
・・彼の思想体系の実態についてのこと・・?
この「自然」というのは広辞苑にもあるように、自ずとそうなっているさま。
人為が加わらないさま。「ひとりでに」の意味もある。
例えば、相手を非難、否定する気持ちなどこれっぽちもなく、
単なる普通名詞のように「ハゲ」と言った時に、
禿ていることに劣等感を持ってる人は、
冷笑されているように思ってしまうという心の状態は、
その人のその時点では「自然」と云っていいかと思う。
いわば、“自動的”に傷つく。
いま、そこに傷つけた他者がいないのに、“ひとりでに”傷つく。
そういう心の状態は『歪んだ自然』と云っていいかもしれない。
歪んでない『本当の自然』とは・・?
真善美を希求してしまう心の状態。それほど大袈裟?に言わないでも、
美しい花を見て美しく感じてしまう心とか、
映画の感動的なシーンを見て思わず涙がこぼれてしまう心とか、
優しい気持ちで行なうと快適に感じてしまう心とか、
よくないと思いながら何かをする時に後ろめたさを感じてしまう心とか、
人を責め立て、後でそれが間違いだったとわかった時に、
きまり悪さを感じてしまう心とか、
そういうのも自動的、ひとりでにそうなる、心だ。
さっき書いたのと違って、それは歪んではいない自然といえる。
自然と人為を基調とした思想・・とはどういうことなんだろか?
「人為」の意味は①人の力で行なうこと。人間の仕業。
②自然のままでなく、人手を加えること。人工。
最初に書いたハゲの例の『歪んだ自然』は、
②の意味のように“人手を加える”必要がある。
人手であって猿の手や犬の頭じゃない。
それも、「自然と人為を基調とした思想」ということなんだろうと思うんだけど・・・
この地球の自然と人間の都合とを調和させる、ふうについ高速思考してしまう。
だが、待てよ、彼の云うその言葉は単にそういうことなんだろうか・・?
やっとこういう疑問が浮かんだ。
すらーっと読めなくなってきたぞ。よしよし。
この言葉が出てくるのは、彼の思想体系の実態を述べる前の「まえことば」の、
「自己弁明」の中・・ということは・・
・・彼の思想体系の実態についてのこと・・?
この「自然」というのは広辞苑にもあるように、自ずとそうなっているさま。
人為が加わらないさま。「ひとりでに」の意味もある。
例えば、相手を非難、否定する気持ちなどこれっぽちもなく、
単なる普通名詞のように「ハゲ」と言った時に、
禿ていることに劣等感を持ってる人は、
冷笑されているように思ってしまうという心の状態は、
その人のその時点では「自然」と云っていいかと思う。
いわば、“自動的”に傷つく。
いま、そこに傷つけた他者がいないのに、“ひとりでに”傷つく。
そういう心の状態は『歪んだ自然』と云っていいかもしれない。
歪んでない『本当の自然』とは・・?
真善美を希求してしまう心の状態。それほど大袈裟?に言わないでも、
美しい花を見て美しく感じてしまう心とか、
映画の感動的なシーンを見て思わず涙がこぼれてしまう心とか、
優しい気持ちで行なうと快適に感じてしまう心とか、
よくないと思いながら何かをする時に後ろめたさを感じてしまう心とか、
人を責め立て、後でそれが間違いだったとわかった時に、
きまり悪さを感じてしまう心とか、
そういうのも自動的、ひとりでにそうなる、心だ。
さっき書いたのと違って、それは歪んではいない自然といえる。
自然と人為を基調とした思想・・とはどういうことなんだろか?
「人為」の意味は①人の力で行なうこと。人間の仕業。
②自然のままでなく、人手を加えること。人工。
最初に書いたハゲの例の『歪んだ自然』は、
②の意味のように“人手を加える”必要がある。
人手であって猿の手や犬の頭じゃない。
それも、「自然と人為を基調とした思想」ということなんだろうと思うんだけど・・・