ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

無くなってもいい

2012-09-13 16:37:39 | ひとの幸福
「・・自分の生命・生活さえも無関心になれて、

有れば着る、無ければ着ないし、

・・家も財産もある間は使うが、無くなっても惜しくない、

無くなることを当然と心の用意が出来て、・・」

死ぬのは恐いとか、不安感なんかは無い状態かな。

期待心もないというものか。

どうなってもいい、という安心感がそこにはあるんだろうな。

一番底。

無くなる不安というものはきりがない。

ものすごく大金持ちでもそういうのがある人もいるだろう。

あるから安心の世界は、無いと不安の世界だ。

やはりこの文章が云うのは、

心が相対の世界から、絶対の世界になっているということなんだろう。

敲かれる

2012-09-13 11:43:30 | 本を読んで
「・・・敲かれようが真実に生き通せて、

「敲く」の意味は、つづけて打つ。物に強く当たる。ぶつ。なぐる。

打診する。質問する。軽蔑的に喋る。値切る。いためつける。攻撃する。

非難する。強盗をはたらく。

これ、「敲かれようが」、はかなり誤解されている状況を云っているんだろうな。

誤解する人たち、この前書いたけど(9/1burogu)

非難してくるひとたちのことを、

そういうキメツケ、トラワレに操られている気の毒な人と、

彼は観ていたのかと思う。

そう観ていたら、ちっとも恐くないはず。

敲かれる=恐ろしい になってたら、とてもとても・・という感じになるけども。

「真実に生き通せて」、って、

そういう言動・現象になった、成り立ち、プロセスがわかっていることによって、

相手の言動に一喜一憂しない様を云っているのかもしれない。

特別頑張ってることでもなく、当たり前の状態なんだろうな。

とてもとても・・

2012-09-13 10:59:56 | 本を読んで
こういう文章を読むと、ついつい引いてしまう自分がある。

とてもとても・・なんて。

こういう反応は、ここで書かれてあるようなことはよいことである、

それが出来て無い自分はダメである、

というような善悪の観念に縛られていることを表わしている・・のだろうと思う。

読むということは純粋にその内容を知ることであって、

自分のモロモロは関係ないのに、すぐに自分を持ってくる悪い癖がある。

その上、そういう悪い癖を持ってる私はダメなんだぁ、というおまけも付いてくる。

本当に善悪の観念はしぶといもんだ。


そして、これが本当に何を云っているのかわからなければ、

それに対しての対応など出来ないはずだ。

とてもとても・・というような対応をしてるところを見ると、

私はここで彼が云っていることが全部わかっているということになる。

???・・わかってない。わかってないからこそ、

ここへそれを写したんだ。よし、怯む自分は置いといて・・・

「・・敲かれようが真実に生き通せて、

自分の生命・生活さえも無関心になれて、

有れば着る、無ければ着ないし、

家も財産もある間は使うが、無くなっても惜しくない、

無くなることを当然と心の用意が出来て、

食もあれば食べる、無ければ食べない、他からの奉仕やお付き合いの寄進とわかれば、

箸もつけない厳しさが実践出来る人でなければ、資格はありません。」

・・これ。