ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

母は死んだ

2013-07-05 16:26:44 | 日々の暮らし・思い出
30日に母の入院した病院に夫と着いた。

部屋に入った時は上気した顔をしていた。肺炎で熱があったのだろう。

着いて15分後くらいの時、無呼吸状態になり、あっという間に真っ青な顔色になり、

30秒ほどで弱々しく息を吹き返し、

また30秒位してから、無呼吸になり、少ししてくっと息を吸い、

それきり二度と息を吐かなかった。

別れの言葉も言わないうちに母は逝ってしまった。

「来たよ~」と言って、顔をなでたり、頬擦りしたり、冗談を言っただけだった。

そんなに早く逝ってしまうと思っていなかった自分だった。

亡くなってすぐにその場に居た姪が「叔母さんが来るのを待っていたみたい」と言った。

そんな言葉を聞いて余計に涙が溢れた。

石垣島から私が戻った晩に急変し、翌朝入院して、

それから三日目の死だった。

兄も弟も近くに住んでいたけど、死に目に会えたのは遠い地に住む私だった。

面白い現象だと思った。

姪っ子二人と兄嫁さんと夫と私の5人と看護士さんがその場に居た。

後でその看護士さんがこんなふうに家族が見守る中で息を引き取ることは

本当に少ないんですよ、と言っていた。

運というものを感じた。


母と私。なかなか面白い組み合わせの二人だったなぁ。

兄と弟と私の3人兄弟で私は真ん中。中学生くらいの時だったか、

「あんたは知らないうちに育ってた」と母が言ったことがあった。

ということは、私以外の兄や弟にはそれなりの関心があった・・ということだろう。

それを聞いた時に寂しい思いをしたのを憶えている。

そのくらい母にとって関心を持たれない存在だったのだろう。

あまり干渉を受けなかったのだと思う。

賢かったとか、可愛かったとか、悪さばかりしたとか、

そんなふうな私ではなかったからなのか、そのわけはよくわからないけれども。

意識的に母が私にそうしたということじゃないのは勿論だけど、

そんなふうな環境だったことは私にとって有り難かったなぁと今は思う。


告別式で久しぶりに会った母方のいとこが叔母さんはバイタリティがあって、

さっぱりしていた、と言っていたけど、

母はいとこの前でもそういう人だったんだろう。

生前元気だった頃の母の話を何人からか聴いた。

同居していた姪っ子は「たくさんのみよこ語録があるよ」と言っていた。

そんなのを聴けたのも楽しかった。

母の事はなんか書きたいことがいっぱいある気がするけど、

今日はこれで終わりしにしよう。