「ひとのことを何とかしようとするな。
その人のことはその人がやる。
その人に委ねたらいい。
人の行為を問題と観るから、それを解決しようとなって、
行為が起こるから、問題に“なる”
何もしなかったら問題にならない。
よかれと思って口出し手出し。
善意あるから、そうせずには居られない。
わかっちゃいるけどやめられない。
こういう心がのさばっている間はこういう世界が続く。
こういう心が“何とかしようとしない”“ひとのことはその人に委ねる”へと、
変わる為の方法が青い本にも書かれてある。
それ以外の本でも結構ある。仏教にもある。
在るがまま(思い・行為)を認め合う=委し合い
こういった内容の本は青い本が出版された時代より飛躍的に増えている。
けど、青い本ほどしつこいわかりにくいものは少ない。
青い本はわからないからいい。
彼の思いをわかりたい、幸福になりたいという情熱だけがそれを読み解かせる。
世界の幸福を思うなんて流行らないかもしれないけど、
それに繋がる道は全ての自分という一人一人が幸福になるということ以外にない。
他と共に存在しているのが人間だし、生命はすべてそうなっている。
個に全が見え、全は個に影響を与える。
そのサイクルはどんなこともそうだ。
他者の、自分の、何とかしようとするという思い、そこから起こる行為をも、
それをなんとかしようとする思いで観てないか?
それをなんとかしようと行為してないか?
そのときその時の自分の意識を観察すること。
それはそれぞれの自分にしか出来ないことだ。
いま、自分の意識がどうなっているのか、自覚していること。
そうしないと無意識からの命令に服従するロボットだ。
過去から来る次に繋げたくない思考・見方にストップをかけるのは、
自分の意識に留意することから始まる。
注意してないと、スルスルっと自動的に出たがる。
頭の中にあるものの整理。そして、自分への手紙だ、コレ。
手のひらにマジックで『自覚』と書いておこうかな。
目立つのもいやだから『JIKAKU』か『JI』とか、
流行の「じぇじぇ」をもじって『JJ』もいいかも。
いや、それもいいけど、『喋るな』もいいだろうな。
特に夫との間では、ぱっとすぐ喋るから。
その人のことはその人がやる。
その人に委ねたらいい。
人の行為を問題と観るから、それを解決しようとなって、
行為が起こるから、問題に“なる”
何もしなかったら問題にならない。
よかれと思って口出し手出し。
善意あるから、そうせずには居られない。
わかっちゃいるけどやめられない。
こういう心がのさばっている間はこういう世界が続く。
こういう心が“何とかしようとしない”“ひとのことはその人に委ねる”へと、
変わる為の方法が青い本にも書かれてある。
それ以外の本でも結構ある。仏教にもある。
在るがまま(思い・行為)を認め合う=委し合い
こういった内容の本は青い本が出版された時代より飛躍的に増えている。
けど、青い本ほどしつこいわかりにくいものは少ない。
青い本はわからないからいい。
彼の思いをわかりたい、幸福になりたいという情熱だけがそれを読み解かせる。
世界の幸福を思うなんて流行らないかもしれないけど、
それに繋がる道は全ての自分という一人一人が幸福になるということ以外にない。
他と共に存在しているのが人間だし、生命はすべてそうなっている。
個に全が見え、全は個に影響を与える。
そのサイクルはどんなこともそうだ。
他者の、自分の、何とかしようとするという思い、そこから起こる行為をも、
それをなんとかしようとする思いで観てないか?
それをなんとかしようと行為してないか?
そのときその時の自分の意識を観察すること。
それはそれぞれの自分にしか出来ないことだ。
いま、自分の意識がどうなっているのか、自覚していること。
そうしないと無意識からの命令に服従するロボットだ。
過去から来る次に繋げたくない思考・見方にストップをかけるのは、
自分の意識に留意することから始まる。
注意してないと、スルスルっと自動的に出たがる。
頭の中にあるものの整理。そして、自分への手紙だ、コレ。
手のひらにマジックで『自覚』と書いておこうかな。
目立つのもいやだから『JIKAKU』か『JI』とか、
流行の「じぇじぇ」をもじって『JJ』もいいかも。
いや、それもいいけど、『喋るな』もいいだろうな。
特に夫との間では、ぱっとすぐ喋るから。