ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

乙姫様からの玉手箱

2013-07-09 11:20:03 | 日々の暮らし・思い出
石垣から戻ってもう10日以上経つんだけど、

昨日義父がこれを書いたから読んでくれとノートを持って来た。

石垣島でのあれこれは心が満足するものだった・・・

人生最高の時間だった・・・

この旅が老齢の自分には不安ではあったけど、ドクターのオーケーやら、

皆の賛成で来ることが出来てよかった・・・

まるで竜宮城に連れられた浦島太郎のようだった・・・

ということは、乙姫様から貰った玉手箱を開けるとあっという間にお爺さんに

なってしまうから、決してそれは開けてはならない・・・

いや、既にお爺さんなんだけど・・・

健康で長生きするのは玉手箱を開けないことだ・・・

というようなことがもっと美文調にもっと情緒的に書かれてあった。


さっき書いたブログみたいに、

早くに我が家に帰って来たかった義父と認識してた私は、

彼にとって石垣での時間が楽しくなかったんだろうと勝手に思っていたんだけど、

彼なりにその時間を満喫していてくれてたのかと思った。

石垣に着いたその晩、彼の次男と孫夫婦と花嫁になる孫娘と私たち夫婦とで、

居酒屋で夕食を共にしたんだけど、

ざっくばらんな雰囲気で皆で話したり笑ったりとても楽しい時間だった。

その時の義父はビールの大ジョッキとお代わりに中ジョッキも所望され、

とてもいい笑顔をしていた。

私が今まで見たなかで、一番の笑顔のように感じた。

それ以外にも遠くに住んでいる孫娘やら曾孫たちやら息子たち一同に会えて、

いっぱい言葉をかけてもらって、嬉しかったのかなぁと思う。


玉手箱を開けるということがどういうことなのかわからないけれど、

不注意で開けないようにしないとなぁ。

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こころの落ち着き

2013-07-09 09:19:45 | ひとの幸福
「あ~、そうなっているんだ」というつぶやきはなんて落ち着くんだろう。

こちらから見てびっくりするような事でも、

この地方(この国)では、そんなふうになってるんだって・・・

なんて聞くと、あ~そうなんだ と落ち着く。

そうなっているわけはわからなくても、そうなっている、と聞くと、

妙に心が落ち着くのはどうしてなんだろう???



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義父の石垣

2013-07-09 09:13:41 | 日々の暮らし・思い出
外は暑い石垣で式やらなにやらの用事以外はホテルの部屋に籠もっていた義父は、

石垣での何日が過ぎた後、毎朝のように「今日は帰るんか」と。

何日に帰ると説明はしていたんだけど、

帰りたい気持ちが強かったのか、その説明が届かなかったよう。

そんなある日、夫がナンヤラの用事でもう少し居るから、もうちょっと帰るのを待ってくれと、言った。

義父はその話を聞き間違えたのか、

沖縄では結婚式の後、そういうシキタリがあるのかと思ったようで、

ここではそうなっとるんやなぁ、と納得したようだった。

それからはいつ帰るのかと言わなくなった。

どんな理由であれ、そこに居ることを納得してる方が義父にとっていいと思ったので、

彼の聞き間違い?を訂正せずにいた。

“そうなっているものは受け入れる”という彼の在りようによって、

彼自身の気持ちが落ち着いたのかと思った。

“そうなっているもの”は世の中にいろいろあるし、

人によってもそれは違うだろう。

その事がどんなに良くないと見える現象でも、

よい事でも、“そうなっている”ということには違いない。

(なっている=在る)ので、

「在るものは受け入れる」と彼はなっているのだろう。

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震災で我が子を失い・・・

2013-07-09 08:39:48 | ひとの幸福
震災で自分の小さな子供を失った女の人がこの前テレビのドキュメンタリーに出ていた。

その人は後に新しい子供を授かって暮らしているんだけど、

その子供に集中したり、冗談に笑ったり、楽しく感じたりするとき、

死んだ子供に申し訳がない、といった罪悪感に襲われるという。

子供だけ死んで、自分が生き残ってのうのうと幸福でいいんだろうか・・・

笑ったりしてていいんだろうか・・・

喜んだり、楽しんだりしてはいけないんじゃないか・・・

・・そんなことを思う、と言っていた。

わかる気がする。

けれど、多分、亡くなった子供はあの世でそんな母親を責めたりしないだろう。

そういうことを思う、そのことがその子の魂が成仏しないことになる・・・

そういった内容の本を読んだことがある。

鵜呑みにするわけじゃないけど、ひとの苦しみを喜ぶ魂なんてないと思うので、

そういった見解はもっともかなと思ってる。

まだ死んでないから実際のところわからないけどね。

自分さえよければいい、なんてその母親は思ってないのは勿論で、

だからこそ、幸福を感じる自分に罪悪感を持ってしまうのだろう。

自分さえよければいい、というように人間は元々なってない。

そう思う。本質的にそうだ。

だって、(自分さえ)という在りようがこの世では成立しない。

観念の世界にだけ、それはあるのだろうけど、

事実の世界には存在出来ない。
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