ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

利他の心

2013-07-12 15:58:53 | ひとの幸福
利他の心は誰でも生まれつきみんな持っている。

それを人間から取り去る事は出来ないようになっている。

人間の芯には何故かそれが在る。

在るのだから、他から「利他行をせよ」なんて言われなくとも、

やるつもりがなくても、やってしまうものだ。

放っておけばいいんだ。

放っておけず、あれこれ口出ししてしまう。

釈迦が生きていたら、こういう現象に苦笑しているだろうか・・・

2013-07-12 09:58:05 | 本を読んで
去年読んでた「せいめいのはなし」の中で養老先生の発言の一部のコレ。

「どうして脳が秩序を持ちたがるのか前から不思議に思っていました。

しつこいんだけど、どうして意識は止まった物(ここでは漢字の“物”になっている)しか扱わないんだろうか。

情報のことを問題にし始めた以来いつも思うことです。

意識は起こっている現象自体を扱わないというよりも、扱えないんですね。

ランダムでも秩序的でもいいんですが、

世界があって意識はそれをとらえる。

そのとらえ方として、止まっているもの(ここではひらがなの“もの”になっている)しか扱えないから、

動的平衡の平衡状態を拾うようになっている。

進化的にいえば、そのほうが合理的です。

平衡状態になったらすぐに意識が拾う。

でも、平衡にしてしまうと時間の問題が消えちゃうんですよね。」

そしてそれに福岡ハカセは「そうなんです。そこなんです。」と返している。


養老先生もしつこいんだろうけど、私もしつこいな。

いや、ここで何を云っているのか、わかってない、というのが

頭のどこかにしまわれてあったんだろう。

なので、何かのキッカケでそれは「こういうことなのか!?」がやって来ることがある。


「平衡状態になったら意識がすぐに拾う。

でも平衡にしてしまうと時間の問題が消えちゃうんですよね。」

平衡になったら意識がそれを拾う、ということは、

顕在意識に上がって来るものは動的平衡の姿ということ。

そして意識は常に「今ここ」に在る。

過去の事を思い出しているのも「今ここ」の意識であり、

過去の意識なんて言ってもそれを思い出しているのは「ジャスト今ここ」。

時間の問題が消える・・とはよく云ったものと思う。

意識は「今ここ」にしか無いということだろう。

どうして脳が秩序を持ちたがるのか?という養老先生の?は

意識が「今ここ」にしか存在し得ないからなんじゃないか・・

なので、当然、浮上する意識は常に平衡状態を表わすことになる。

時間というものはひとや宇宙の動きを表わすために、人間が作りあげた観念だから、

絶対の世界に在るわけじゃない。

(考える)という相対的にしか出来ないシステムの中で(考える)ことをすると、

時は消えてしまう・・絶対の世界では無いということになる・・のは凄く面白いことだ。

考える・・・のはこれだから面白い。

ひとからなんと言われようと ③

2013-07-12 09:23:35 | ひとの幸福
なんでこんなタイトルなのかと言われそうだけど、

自分が加害者だと人から思われる・誤解されることの恐さを覚悟するとはどういうことか・・

考えたくて書いているわけなんだ。

ミス北鉄のユイちゃんは加害者になるより、被害者になることを選んだ。

勿論無意識的にだと思うけど。

それは加害者になることが恐かったから。

母が失踪したこんな状況だけれども、私は東京に行きたいと父や兄に言ったら、

父や兄が猛反対するか、賛成するか、渋々賛成するか、

どうなるのかはやってみないとわからないことではあるけれど、

こういう状態で行くと言えない自分だと、

自分でわかっていたのだろう。

それを言うことが頭に浮かんだけど、出来なかったのかもしれない。

こういう場合の加害者意識は(人を傷つけたくない)という優しさから始まる。

(自分だけしたいことをするのは自分勝手なことである)というプログラムもあるのかもしれない。


一昨日書いた、釈迦についての解釈(他の文献から)である、コレ。

釈迦は自分の心の問題を解決したいと、妻や子や国を捨てたような、

“とんでもなく自分中心主義者”だった。

そんな釈迦より、ユイちゃんは自分中心主義者じゃなかった。

長い目で観ると、自分中心主義者で居る方が結局のところ、

周りも幸福になるのかと思われる。

このことがもっとポピュラーになるといいんだけどなぁ。