去年読んでた「せいめいのはなし」の中で養老先生の発言の一部のコレ。
「どうして脳が秩序を持ちたがるのか前から不思議に思っていました。
しつこいんだけど、どうして意識は止まった物(ここでは漢字の“物”になっている)しか扱わないんだろうか。
情報のことを問題にし始めた以来いつも思うことです。
意識は起こっている現象自体を扱わないというよりも、扱えないんですね。
ランダムでも秩序的でもいいんですが、
世界があって意識はそれをとらえる。
そのとらえ方として、止まっているもの(ここではひらがなの“もの”になっている)しか扱えないから、
動的平衡の平衡状態を拾うようになっている。
進化的にいえば、そのほうが合理的です。
平衡状態になったらすぐに意識が拾う。
でも、平衡にしてしまうと時間の問題が消えちゃうんですよね。」
そしてそれに福岡ハカセは「そうなんです。そこなんです。」と返している。
養老先生もしつこいんだろうけど、私もしつこいな。
いや、ここで何を云っているのか、わかってない、というのが
頭のどこかにしまわれてあったんだろう。
なので、何かのキッカケでそれは「こういうことなのか!?」がやって来ることがある。
「平衡状態になったら意識がすぐに拾う。
でも平衡にしてしまうと時間の問題が消えちゃうんですよね。」
平衡になったら意識がそれを拾う、ということは、
顕在意識に上がって来るものは動的平衡の姿ということ。
そして意識は常に「今ここ」に在る。
過去の事を思い出しているのも「今ここ」の意識であり、
過去の意識なんて言ってもそれを思い出しているのは「ジャスト今ここ」。
時間の問題が消える・・とはよく云ったものと思う。
意識は「今ここ」にしか無いということだろう。
どうして脳が秩序を持ちたがるのか?という養老先生の?は
意識が「今ここ」にしか存在し得ないからなんじゃないか・・
なので、当然、浮上する意識は常に平衡状態を表わすことになる。
時間というものはひとや宇宙の動きを表わすために、人間が作りあげた観念だから、
絶対の世界に在るわけじゃない。
(考える)という相対的にしか出来ないシステムの中で(考える)ことをすると、
時は消えてしまう・・絶対の世界では無いということになる・・のは凄く面白いことだ。
考える・・・のはこれだから面白い。