ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ミス北鉄のユイちゃん 

2013-07-11 17:37:55 | テレビを見て
NHK朝の連ドラ「あまちゃん」に出て来るユイちゃんの荒み(すさみ)について

何日か前に書いた。

荒むのって、加害者にはない態度なのかもしれない・・

(被害者なんだから荒んで当然という免罪符を手に入れて堂々と荒んだ・・云々)とか書いた気がする。

自分の僻み根性ととても似ている。

自分が可哀相だと思って泣いた事もあるんだよ、私。

その涙ってなんか偽物っぽかった気がする。

私は不当な被害を受けている被害者なんだから、それに抗議する気持ちや、

悲しむ気持ちになって当然・・・

当然な気持ちを表に出して何が悪いのっ!!・・という感じ。

第二次大戦下、ナチスによる不当な被害を受けた人たちは“荒んだ”んだろうか。

自分たちを可哀相な人たちだと堂々と“荒んだ”んだろうか???

「荒む」っていう言葉がユイちゃんの最近の様子にぴったりなんだけど、

「荒む」って本来どういう意味なんだろう???が今浮かんだ。

広辞苑を見てみると・・・面白い・・

[荒む・進む・遊む]とあるよ!

①湧いてくる勢いの赴くままになる。

②詩歌などを吟ずる。

③心をとめて愛する。

④⑤とあって⑥は荒れてこまやかさがなくなる。荒廃する。

他に、苦しめ痛めつける。“心に留めて愛する”。いとい捨てる。きらい避ける。

⑥の(荒廃する)が意味として一番相応しいとは思うのだけど・・・

ユダヤ人が迫害されたときの心の様子と、

ユイちゃんの心の様子とではまるで違うものがあると感じる。

そんなの当たり前だよってすぐに決めないでね。

ユダヤ人のその時の感情は“荒む”・・というようだったんだろうか・・?

ユイちゃんや僻んで泣いた時の私は⑥の荒廃するという意味じゃなくて、

⑥の中にある“心に留めて愛する”や③の「心をとめて愛する」の方にも近いと感じる。

ナルシシスト系みたいな・・そうだ、自己陶酔!

可哀相な自分に酔っている。

これは本当の被害者じゃない。

本当の被害者は自己陶酔なんかしない。

ユイちゃんや僻んでいる時の私は、自ら被害者になることを選んで、

それを楽しんでいる。

楽しくって笑ってはいないけど、自分をそう仕立て上げて、それに酔っている。

迫害されたユダヤ人とはまるで違う。

当たり前だよ、ってやっぱり言われそう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとからなんと言われようと・・②

2013-07-11 12:12:35 | ひとの幸福
他に被害を与えても、相手がそれを被害と捉えなかったら、被害者はいないことになる。

簡単な例で言うと、赤ちゃんだ。

よく登場願っているイブとアダムという小さな子供たちの例で書くね。

3才のイブが0才のアダムに蹴りを入れたり、叩いたりしても、

0才は身体が傷みを感じたら泣くけど、痛みがそれほどでなかったら、

勿論泣きもしないし、蛙の面にしょんべん状態、屁の河童状態。

目の前で何度もそういうのを見て来たよ。

(こういう態度は自分を苛めているということである)というプログラムがないから、

なんとも思わない。心は傷つかない。

もうじき4才のイブは散々「そういうことしちゃダメ!」と言葉や顔つきで教育されているから、

頭には既にそういうプログラムが鎮座している。

加害者も被害者もいる。

元々はなかったはずなんだけど、社会の中でそうなって来た。

そういうことなら人という社会の中で違う在りようも可能性としてあるはずである。

周りの人の在りようで加害者も被害者のない心の世界が培われるはず・・・

と思うんだけど・・・





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ひとからなんと言われようと・・・」

2013-07-11 09:47:51 | ひとの幸福
「ひとからなんと言われようと・・・」という言葉がある。

ひとから賞賛の声を浴びて、そういう思いが湧いてくるということはあまりない。

人から非難の声を浴びて・・・ということだろう。

何故そういう声を浴びるのかというと、

自分が何かの加害者になっていると人から思われ、糾弾されて。

故意に人を傷つけたひとは加害者。

被害を受けたと思ったら、相手は加害者。

被害者がいるから加害者がいる。

ミス北鉄のユイちゃんのことでも書いたけど・・・


心のことで考える・・・先ず心が先で身体はその後だと考えてるから。

本当の被害者って在るのか????

故意に人から心を傷つけられたら被害者と言える・・・

でもこれも怪しい・・

それ以前にその人は今回の加害者に何か被害を与えたという場合もあるかもしれない。

被害と加害のサイクルだ。

サイクルには終わりがない。だからこそサイクルだ。

サイクルを止めるには・・・?

心の被害者という存在は本当の本当は在り得ないんじゃないか・・という仮説を持っている。

全ては繋がり合って存在しているのが事実なら、

加害者も被害者もないのが本当だから。

具体的に考えると・・・

ず~っとこんなことばかり書いているから、察しのいい人はもういいよ、

と言うかなぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする