小さな子供と親のやりとりをこの間いろいろと見る機会があった。
昔の自分を思いだすのもあれば、
私はこういうことはしなかったなぁ、と思うこともあった。
それが「トラブル事前回避」。
私はとにかく平和主義者なのか超面倒くさがり屋なのか、
子供となんやらかんやら揉めるのがイヤだった。
子供が駄々を捏ねたりするのは自分が面倒だったので、
そういう展開にならないように、自分に都合よく動いていたなぁと思う。
これからアレをしよう、というときに、
それ以外の、子供が興味を引くようなものは周りに置かなかったり、
子供がそれ以外のことに関心が向かないように意識してたなぁと思った。
小さな子連れである自分が今これをしたい、(風呂入れとか、炊事とか何かの用事とか)
ということがはっきりある時に、
それを実現出来るのは子供もそれに協力体勢になって居るという状態が必要だ。
その時子供が駄々を捏ねたりしていたら、
その時自分がしたいことが出来ない。
また、後でこうするからねなんて、その場の子供を騙して、
ツケを後に回すことも後が面倒くさい展開になるから避けてたなぁ。
かといって、子供を願い実現の為に犠牲にしたということでもない。
関心を持っているものがそこにあるとわかったら、
好奇心旺盛な子供がそれを触りたい、遊びたい、に“なる”に決まっている。
そう“なるように”仕向けておいて、
いけませんだの、やりたいだの、とわぁわぁ交戦するのが本当にイヤだったから、
とにかく穏便に和やかにやりたいことが展開するように配慮してたなぁと思う。
偉そうに言ってるんじゃないよ。
そうじゃないことも実際たくさんあったと思うけど、都合よく忘れたんだろう。
嫌な事は忘れるのも私は得意みたいだ。
でも、この事も憶えていたわけじゃなかった。
我が家から離れていたこの間のその時、
そうじゃない人たちのやり取りを見て、思い出したんだ。
揉めないように(“ならないように”)してた、というのは確かにあるなぁ。
あぁ、なんでそんなことをこの場で言うんだろ???
トラブりたいのかなって普通に思った。
小さな子供の特性である好奇心旺盛なこと、やりたい気持ちがたくさんあること、
そういう面が在ることを考慮して動いていた自分だったのかと思う。
いや、そんなふうに意識的に思ってたわけじゃない。
当時はとにかく自分が楽したいから、イヤな思いをしたくないから、
やりたいことをスムースに実現したいから、だけだったんだろうけど。
でもその方法は周りに居る人(この場合小さな子供)と共に、でなければ、
そう“ならない”ことだなぁと思うよ。
この、共に、というのは存在の特質をその通り受け入れ、それを活かす、ということだろうか・・
子供はやりたい気持ちいっぱいなこと、
好奇心旺盛なこと、生命力の固まりなこと、
そういう面が在ると観察し、認識し、それを活かして願いを実現する方法かなぁ。
昔の自分を思いだすのもあれば、
私はこういうことはしなかったなぁ、と思うこともあった。
それが「トラブル事前回避」。
私はとにかく平和主義者なのか超面倒くさがり屋なのか、
子供となんやらかんやら揉めるのがイヤだった。
子供が駄々を捏ねたりするのは自分が面倒だったので、
そういう展開にならないように、自分に都合よく動いていたなぁと思う。
これからアレをしよう、というときに、
それ以外の、子供が興味を引くようなものは周りに置かなかったり、
子供がそれ以外のことに関心が向かないように意識してたなぁと思った。
小さな子連れである自分が今これをしたい、(風呂入れとか、炊事とか何かの用事とか)
ということがはっきりある時に、
それを実現出来るのは子供もそれに協力体勢になって居るという状態が必要だ。
その時子供が駄々を捏ねたりしていたら、
その時自分がしたいことが出来ない。
また、後でこうするからねなんて、その場の子供を騙して、
ツケを後に回すことも後が面倒くさい展開になるから避けてたなぁ。
かといって、子供を願い実現の為に犠牲にしたということでもない。
関心を持っているものがそこにあるとわかったら、
好奇心旺盛な子供がそれを触りたい、遊びたい、に“なる”に決まっている。
そう“なるように”仕向けておいて、
いけませんだの、やりたいだの、とわぁわぁ交戦するのが本当にイヤだったから、
とにかく穏便に和やかにやりたいことが展開するように配慮してたなぁと思う。
偉そうに言ってるんじゃないよ。
そうじゃないことも実際たくさんあったと思うけど、都合よく忘れたんだろう。
嫌な事は忘れるのも私は得意みたいだ。
でも、この事も憶えていたわけじゃなかった。
我が家から離れていたこの間のその時、
そうじゃない人たちのやり取りを見て、思い出したんだ。
揉めないように(“ならないように”)してた、というのは確かにあるなぁ。
あぁ、なんでそんなことをこの場で言うんだろ???
トラブりたいのかなって普通に思った。
小さな子供の特性である好奇心旺盛なこと、やりたい気持ちがたくさんあること、
そういう面が在ることを考慮して動いていた自分だったのかと思う。
いや、そんなふうに意識的に思ってたわけじゃない。
当時はとにかく自分が楽したいから、イヤな思いをしたくないから、
やりたいことをスムースに実現したいから、だけだったんだろうけど。
でもその方法は周りに居る人(この場合小さな子供)と共に、でなければ、
そう“ならない”ことだなぁと思うよ。
この、共に、というのは存在の特質をその通り受け入れ、それを活かす、ということだろうか・・
子供はやりたい気持ちいっぱいなこと、
好奇心旺盛なこと、生命力の固まりなこと、
そういう面が在ると観察し、認識し、それを活かして願いを実現する方法かなぁ。