ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

トラブル事前回避

2013-07-06 17:08:20 | ひとの幸福
小さな子供と親のやりとりをこの間いろいろと見る機会があった。

昔の自分を思いだすのもあれば、

私はこういうことはしなかったなぁ、と思うこともあった。

それが「トラブル事前回避」。

私はとにかく平和主義者なのか超面倒くさがり屋なのか、

子供となんやらかんやら揉めるのがイヤだった。

子供が駄々を捏ねたりするのは自分が面倒だったので、

そういう展開にならないように、自分に都合よく動いていたなぁと思う。

これからアレをしよう、というときに、

それ以外の、子供が興味を引くようなものは周りに置かなかったり、

子供がそれ以外のことに関心が向かないように意識してたなぁと思った。

小さな子連れである自分が今これをしたい、(風呂入れとか、炊事とか何かの用事とか)

ということがはっきりある時に、

それを実現出来るのは子供もそれに協力体勢になって居るという状態が必要だ。

その時子供が駄々を捏ねたりしていたら、

その時自分がしたいことが出来ない。

また、後でこうするからねなんて、その場の子供を騙して、

ツケを後に回すことも後が面倒くさい展開になるから避けてたなぁ。

かといって、子供を願い実現の為に犠牲にしたということでもない。


関心を持っているものがそこにあるとわかったら、

好奇心旺盛な子供がそれを触りたい、遊びたい、に“なる”に決まっている。

そう“なるように”仕向けておいて、

いけませんだの、やりたいだの、とわぁわぁ交戦するのが本当にイヤだったから、

とにかく穏便に和やかにやりたいことが展開するように配慮してたなぁと思う。

偉そうに言ってるんじゃないよ。

そうじゃないことも実際たくさんあったと思うけど、都合よく忘れたんだろう。

嫌な事は忘れるのも私は得意みたいだ。

でも、この事も憶えていたわけじゃなかった。

我が家から離れていたこの間のその時、

そうじゃない人たちのやり取りを見て、思い出したんだ。

揉めないように(“ならないように”)してた、というのは確かにあるなぁ。

あぁ、なんでそんなことをこの場で言うんだろ???

トラブりたいのかなって普通に思った。

小さな子供の特性である好奇心旺盛なこと、やりたい気持ちがたくさんあること、

そういう面が在ることを考慮して動いていた自分だったのかと思う。

いや、そんなふうに意識的に思ってたわけじゃない。

当時はとにかく自分が楽したいから、イヤな思いをしたくないから、

やりたいことをスムースに実現したいから、だけだったんだろうけど。

でもその方法は周りに居る人(この場合小さな子供)と共に、でなければ、

そう“ならない”ことだなぁと思うよ。

この、共に、というのは存在の特質をその通り受け入れ、それを活かす、ということだろうか・・

子供はやりたい気持ちいっぱいなこと、

好奇心旺盛なこと、生命力の固まりなこと、

そういう面が在ると観察し、認識し、それを活かして願いを実現する方法かなぁ。
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潮騒のメモリーズのユイちゃん

2013-07-06 15:49:08 | テレビを見て
朝の連ドラ『あまちゃん』見てる。

ここのところナンダカンダと見ない日もあったけど。

ミス北鉄の足立ユイちゃんが荒んですっかり変わった・・けど、

今日辺り、だいぶ快復でなにより。

父親が倒れ、良妻賢母?の母親が何故か行方不明になり、

何故かユイちゃんは荒んだ。

昨日見なかった私は夫からあまちゃんの母(小泉今日子演じる)と、

ユイちゃんのやり取りを聞いた。

全くキョンキョンの言う通りで、荒むより東京に行けばよかったのだけど、

ユイちゃんは何故か荒むことを無意識のうちに選んでしまったのだろう。

何故そうしたか???・・・

ユイちゃんがそうなるのも無理ないという見方も出来る。

僻み根性の強い私はわかる気がする。

そういう時って、自分を被害者に仕立てる方が楽なんだと思う。

自分を被害者にして、加害者(この場合行方知れずになった母親?)を恨んでいればいい。

自分を、被害を被った可哀そうな人にしておけば楽なんだ。

被害者だから荒んで当たり前という免罪符を手に入れて、

堂々と荒んでいたのだろうと思う。

自分のそういう時の心をよ~く観察すると、

こういう場合の被害者的心情ってなんだか微妙にえらそうになる。

誤解のないようについ言いたくなるけど、自分がまるで何も悪くないのに、

いきなり後ろの車に追突されて怪我するようなのは本当の被害者と思うけど、

ユイちゃんのような場合、そりゃ母親がこんなときに行方知れずになるのは大ショックだけれど、

きっと母親には何かわけがあるに違いない・・・

幸い父親もだいぶよくなったし、兄が居るから私は行きたい東京に行こう・・・

と、なって、自分の意志を遂行できる展開も可能性としてはある。

(荒んだユイちゃんは父親を看なくなった。

東京に行っても看なくなるのは一緒だ)

けど、ユイちゃんは荒む方を選んだ。悲劇のヒロインを選んだ。

いいことなにもないのに・・・

・・僻み経験のたくさんある私はついついこんなお節介を思ってしまう。

心情的被害者を選ぶ心理って確かにあると思う。

母が居ないのに兄と病後の父を置いて東京に行くことは、

あのユイちゃんにとって、彼等を自分の被害者にすることだったのだろう。

加害者になるより、被害者を選んだ、無意識的にそういう行動をとったのかと思う。

私も交通事故の加害者になるより、被害者になった方が気が楽と思う・・・

ひとが自分の運転ミスで(何の悪意も無く)死んでしまうなんて辛すぎる。

そんな経験と自分が何の非も無く交通事故に遭って死ぬ経験とどちらか選べるんだったら、

殺すより自分が死ぬ方が気が楽なんじゃないかな。

こんなの想像でしかないのは勿論だけど、

過失致死罪という“加害者”は選んでなるわけじゃないけど、

ユイちゃんの例でいうと、

加害者(実際は加害者でもなんでもないけど)になるには強い意志がなければ出来ない。

東京に行ってアイドルになるという自分の意志より、

加害者になりたくないという意志が強かったのだろう。

ひとがどう言おうとやりたいことをやるという意志がちょっと足りなかったのかもしれない。

・・・全く勝手な解釈ではありますが、

こんなことを思った私でした。
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告別式

2013-07-06 09:58:48 | 日々の暮らし・思い出
火葬場へ遺体を運ぶ前、棺にみんなで花を入れた。

娘や姪っ子たちはおばあちゃんへと書いた手紙を入れた。

母が可愛がっていた猫の写真も姪が入れていた。

その場で普段涙など見せない兄や弟が泣いていた。

兄嫁さんも姪もいとこも夫も涙していた。

私もなんだかわからない涙(そのとき)が止まらなかった。

悲しくてたまらないという涙じゃなかった。

兄たちもそうだと思う。

愛した、愛された、その記憶の全てがひっくるまって一瞬に自分にやって来る・・・

そんな感じの涙だったのかと今は思う。

告別式なんて要らないんじゃないかなんて思ったこともあったけど、

こんな涙の為にそれはあるんじゃないかと思った。


・・・友人が昨日のブログを読んでメールをくれて、それの返信をしてるときに、

こんな思いが出てきたんだ。

書いているうちにそうなった。やっぱり書くことは面白い。

表現て、(表現しよう)として、するんじゃなくて、

内にあるものが自然と表に出て来る現象なんだと思った。
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