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天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

自然本能

2020-10-18 22:51:00 | 神と人
令和2年9月16日
[愛は自然本能に発する]


『愛とは何か』は機会あるごとに説かれています。しかし、愛ということばは、文字に表すと実践、実行したつもりになったものです。それでは結果を見ることができないので、落胆したこともあります。

ここで見えなかったのは『偏愛者としての気づき』がなかったことです。つまり、反省も当然ないので、結果がでるはずもありません。そこに、前回の人間愛の不完全とかさなるわけです。

どこかに自分の都合で『これだけしているのに』とか、それによって『不平不満がくすぶり、憎みとがめ』がうまれてきます。

『これだけ理解してあげているのに、何が気に入らないのか』と、暗く悩ましいことになります。これは自分を愛する『自己愛であり、偏愛』でもあります。

『神が無差別の愛ならば』『人間もその霊性に愛の源泉がある』といわれます『自然本能の中により生まれる』ものです。だからどんなに対立しても、相手が倒れた瞬間、自然に手を差し伸べ助けようします。

そこに『愛の霊性をみる』のです。『愛は神の特性の一部を示すのではなく、神すなわち愛であり、愛は神の別名である』ともいわれています。だから、『人間関係において、好き嫌いの差別愛』に気づかない限り、運命の転換を果たすことはできないでしょう。

あすこそは、明日こそは、と期待をかけても、明日は夏の道路の逃げ水と同じです。『偏愛をやめ、愛されるより愛する人になる』ことです。神と人との通い路の道普請(みちふしん)をお願いします。やります!
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今の中の過去

2020-10-18 21:02:00 | 生命力
令和2年9月15日
[過去を忌み嫌うは 現在を忌み嫌うことなり]


過去の意味もさまざまですね。人間関係から、仕事上の失敗、病気のこと、病弱、借金苦、必ずきっかけがあるものです。

トラウマになり今でも似たことがらに出会うと、心が折れそうになることもあります。
特に父親、母親のどちらかとうまくいかなければ、これは過去の何かを引きずって今にあるわけです。

いったい原因は何からきているのか。しっかり向きあって原因の処理が必要です。
気持ちを過去のどこかに置き忘れたままだと、身体の働きに明らかに現れてきます。

顔の表情、言動の厳しさ、表情の硬さがみられます。まさに陰のオーラが全開です。
知らない間に人を遠ざけることになります。

人は運を運んできてくれます。ニコニコ顔の人は幸運を、配達してくれます。
しかし、過去の事柄を嫌うというのは、離れたい、忘れたいの反動でしょう。
でもあなたの心にしっかりと生きています。

だから、今日という日が見えなくなっています。
過去の姿を、今に見るわけです。『運は寂しがり屋で誰かに寄り添いたい』のです。
寂しがり屋とは言いながら、『運には幸運と不運』があります。

『過去が大好きが不運』『今を好きなのは幸運』です。
それで幸運さんは、『過去にこだわる人を忌み嫌う』というのは、人間的観点からの表現だとこうなります。やります!
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前途に希望を

2020-10-18 20:56:00 | 生命力
令和2年9月14日
[人間愛は不完全にして持久力なし]

『情は心の問題、愛は表現の問題』
なぜ人間の愛はかくも不完全といわれるのか、それは結果に心奪われるからでしょうね。

そこに合掌の信念を借りる必要があります。常に揺らぐのが心だからです。
『私がこれだけしているのだから、もういい加減お返しして欲しい』の求め心に走りやすいのも現実です。

このことを称して、『心はコロコロ転がるから、心』といわれたりします。
『信念のくさびは、相手を思う一念』です。同情は相手に対する上から目線でしょう。

『真の神に真似した愛』は、『相手の幸せを喜びきる』ことを、重ねて身につくものです。
『無差別愛は神の如き人』時々、出会うことがあります。

そこに人間の弱さを見ます。前途に希望を持つ人には、年齢に関係ないエネルギーがうまれるもの。
神の如き奇跡の現象に恵まれるはずです。やります!

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見えない風

2020-10-18 20:49:00 | 運命と心
令和2年9月13日
[船は見えても風は見えず]

ドイツの哲学者、ニーチェは19世紀を代表する哲学者です。
晩年は心身を病み、『疲れているときは、反省をしたり、振り返ったり、まして日記を書くものではない』といっています。

疲れきったときの反省は、鬱への落とし穴というわけです。
そこには、運命の実態を知らない苦悩がうかがえます。

船とは体のことであり、体に現れた症状ばかりに囚われるのが人間です。
荒波を見ても原因は不明です。しかし、その原因は風にあるといわれます。
風は目には見えず、波浪に弄ばれる船しかみえません。

凪ぎの海、波静かなりです。運命の激浪も風にありです。
そこで『心は運命の製造者なり』心の風がやまない限り、体に現れた波、すなわち病いも事情もまた解決できないのです。

風が波を起こす、その風とはひとことでいえば、自他対立によって生まれる不平不満にあります。
その人間関係に人の欠点、欠陥が見えてしょうがない人は、嵐の前の静けさに日常的に晒されているということになります。危ない!やります!

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試練の先に

2020-10-18 20:34:00 | 運命と心
令和2年9月11日
[人間そのものを こよなく愛せよ]


私はさまざまな試練を、幼少期から受けてきました。そして今もなお試され続けています。
それは何のためなのか?
人生振り返って最近気付いたのは、あんなに嫌いな人がいたのに、周りには嫌いな人が一人もいなくなっていることです。

この道の究極の目的は、不幸せを、病気を治すだけでなく、嫌いな人がいなくなるだけです。人を好きになることです。

自分の性格ゆえに、周りから人が離れていくことも知らず、孤独を好むようになってしまった自分。
御神尊様は幾多の修行の中でただ一つ「孤独に慣れることは出来なかった」と述べられています。

今は、さまざまな趣旨の集まりや、人々とお付き合いしています。
それは多くの友人、知人と交わることで、自分の性分を抑えて、相手に合わせながら欠点を修正できるからです。

しかも若い方から、声をかけてもらうのも大きな喜びです。
老楽男女、寄り添い合う生き方で人生を豊かにしましょう。
やります!

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両刀使い

2020-10-18 15:00:00 | 信仰と生活
令和2年9月10日
[あなたは一刀流ですか 二刀流ですか]


幸せになるのに時間はかかるが、不幸になるのに時間はかからない、と言った人がいます。

しかし、私たちは心の使い方次第で、不幸にも、健康にもなるとおしえられました。
だから心の使い方を誤らなければ、運命開拓意の如しです。

心の使い方の極意を体得すれば、幸せも手にとるようなものです。
けさは、あなたは『我』という一本の刀を振り回してきた、過去があるのではといわれます。

あくまで刀のことではなく、日常生活に喩えてみれば、『俺が、私がの我に執着して、負けたくない』の一点張りを表現したものです。
この『我という悪習慣をやめて』こそ、『瞬時に幸せ』となるのです。
では刀ですから、あなたにはもう一本の刀を添えて、二刀流になっていただきたいものです。

[具体的に]❶言うを知って、言わざるを知らないこと。❷言うを知って、聞くを知らないこと。❸叩くを知って、さするをしらないこと。❹切るを知って合わせるを知らないこと。❺我の念強くして詫びるを知らないこと。

我を捨てて、新しい生き方、和やかで喜びの生まれる極意がここに示されています。さて、あなたは二刀流を修行しますか。やります!

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言葉の選択

2020-10-18 14:55:00 | 運命と生活
令和2年9月9日
[人はいうを知って いわざることを知らぬ生活]


明石家さんまさんは、8月の日航機墜落事故の便に予約を入れ、直前に予定が早まり、1便前の飛行機で難を逃れたそうです。それからは『生きているだけで丸もうけ』を座右の銘にしているそうです。

『人生、生きて生かされているだけで幸せ』といいたいところです。
私も脳内出血で死線をさまよったときと、立ち上がるきっかけを掴み、『生きて生かされていることの喜び』で、生まれ変わった気がしたものです。

『見るもの、聴くもの、すべてが新鮮。でも、命までかけずに救われたいものです。

しかし、人間関係の渦にいることで、とんでもないことをしでかすものです。
特に人には『言うことを知って、いわざる事を知らない』そこからが運命の始まりです。

ほとんどの人は、『自分の言いたいだけのことを、言う生き方』をしています。
『言ってはならないことがあるのを知らない』のが現実にあるのです。

『これは言っておかなければ』『しかし待てよ。これはいうとおしまいじゃないか』と自分を制御できれば、大丈夫ですが、機嫌気色の良い時だけのケジメ、機嫌が悪いと見境いがなくなります。

『言ってはならないことをいわず』にいれば、夫婦円満、親子も調子が良いことになります。
これを弁えた生き方を修練できれば、天地に守られて丸もうけの感謝が身につくというものです。
やります!
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神の掟

2020-10-18 14:52:00 | 運命の原理
令和2年9月8日
[幸福と健康の収穫あり]

宗教的にいえば、『理由の如何、事情の如何にかかわらず、人を憎みとがめてはならない』という大原則があります。これは侵すことのできない『神の掟』といわれています。もちろん、御神尊様の身命を賭しての修行から、出た唯一無二のことばです。

つまり、『いかなる事情にもひっかからず』『とらわれもさけること』当然『悩やまないこと』です。そこには、『奮(ふん)、静(せい)、沈(ちん)という三つの状態』があります。その中で『奮、と沈とをやめ、静にいきる』ことです。

奮は、興奮して激すること。沈とは、事情にのまれて落ち込むこと。これは合掌もって直ちに、『静を取り戻し切り替えること』にあります。その結果、[常に明るく楽しきところ、不幸なし、病なし]と結ばれています。やります!
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循環の理

2020-10-18 14:48:00 | 新陳代謝
令和2年9月7日
[人間の運命は偶然のものにあらず 当然にして不思議なし]


最近、90才といわずに100才までもと、励ましをこめて言われるようになりました。
書店に立ち寄ったら『90才なにがめでたい』佐藤愛子さんの本がありました。

かつて江戸時代の佐賀藩で藩主が領内見回りをしていると、90才の高齢者がいるのでお声がけくださいと、村の案内役がお願いしました。

ところが、領主はなにが長命でめでたいのか。その年になるまで、どれだけ身近の人と別れてきたものか。どれだけ涙を流してきたかを考えたとき、とても顔を見ることはできないと会わずに帰ったそうです。

私も子供たちから、誕生日に長生きしてね、といわれると、みんなが元気でいなければ意味がない。と答えたものです。

そうなんです。『人間の運命に偶然』はありません。長生きは長生きの天命があるように思います。また、逆にこの世を足早に走り去る人もいます。幽界の使命があるのでしょう。

それぞれの身の上に現れる『運命に偶然』はありません。もし、当然ならば、今のうちになんとか予防したいものです。その手がかりに『循環の理』にあります。その『認識に立てば偶然で片付けよう』とする必要はありません。

『偶然なり』とするのは、それは迷いにほかなりません。『循環の理にまなこを開く』とき、運命は当然の結果でありどこに滞りがあるのかで、瞬間に道がひらけるでしょう。やります!

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停滞不要

2020-10-18 14:45:00 | 新陳代謝
令和2年9月6日
[健康の原理は循環の2文字に尽きる](循環シリーズ❹)


コロナウイルスには手も足もでずにいます。あるのは恐怖だけ。
ただし、コロナは無生物、自ら自己増殖もできないが他の生物に寄生すれば増殖できるようです。
その点では生物的であります。

人間、私たちにも神にすがり人にすがり、人のせいにして事情を生む責任の転嫁をはかるきらいがあります。
しかし、『幸せも健康も循環が順調』であってこそ失うことのないものです。

その循環には、
❶精神的循環 ❷家庭的循環 ❸社会的循環、があります。
❶は人間個々の心の問題 ❷は家族全体との心のやりとり、 ❸は近隣の社会との心のつながりをいいます。

人間の『昨日と今日の考え方』は変わらなければなりません。
また変えるべきです。したがい、10日、1か月前の考えと、今日は大きく変わり、まして1年前とはまるで変わっているはずです

ところがそれがなかなか変わらず、後生大事に持ち続けている人もいるのです。
こうした『囚われ心が悩みになり、捨てきれない』ところから、『循環が狂い始めて更なる苦悩をうむ』ことになります。

これは人間本来のあるべき姿ではなく、『精神的循環への大きな反逆』です。
ここから不幸せがうまれるのです。これに家族間、近隣社会が加わるのでやっかいです。

停滞をさけるためには、絶えず考えを新たに、『昨日から今日へと移りつつある天地自然の法則』に忠実である限り健康は保たれるものです。やります!



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