天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

迷わない心

2021-01-23 17:00:34 | 運命と心

令和3年1月20日

[初心に帰れ 初心忘るべからず]

 

ところで『初心ということば』の始まりは、室町時代1336年以降から使われていますが、能の観世流、世阿弥を始まりとしています。

 

『初心は最初のころの新鮮な気持ち』を表現することばです。

さらにこれに年齢を加えると、何事によらず未熟さ、つたなさが見えてくるものです。

 

若い頃の未熟さを忘れず、経験を重ねても決して油断をしてはならないと、戒めのことばに変化します。さらに老後になっても『初心』は人間的レベルの高さにつながることでもあります。

 

御神尊様は不思議なお方で、私たちが体調の不良やちょっとした気の緩みが出ると必ず呼び出され、その場にいなくてもわかるみたいだったと、いわれました。

 

そこには迷いが、姿かたちを通じてあらわれるもの、初心を失わずにいれば行動に迷いもありません。

 

おかげで、私は今日まで御神尊様とのご縁を心に刻んで、人生の階段を登ってこれました。そして『初心に帰れ、忘れるな』に導かれています。皆さんの初心はどこにありますか?やります!

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喜怒哀楽

2021-01-23 16:52:19 | 新陳代謝

令和3年1月19日  [人間の一生は喜怒哀楽の旅]

 

一生幸せで終われば最高ですが、そうはいきません。喜怒哀楽に左右され、千変万化するのが人間の歩む道です。

そうはいいながらも幸せでありたいもの。それもこれも『心の改善、生活の改善』以外に道はありません。努力には惜しみがあり、おかげは簡単に手に入れたいものです。

しかし、努力抜きには考えられません。それは『喜びの時間を、伸ばしていく心がけ』『腹を立てる時間を短く、とらわれる落ち込みから、素早く立ち直る』そこに重なるのが、自ら苦難を背負って見せた御神尊様にならうことで、時間を短くすることができるはずです。

 

そして『運命開拓とは、いいかえれば笑顔の生活の習練』にあります。

喜怒哀楽に任せたままでは、苦しいだけです。

単に幸せや健康のことだけではなく人生の問題です。

怒りは6秒こらえれば収まるという学者がいます。つまり、自分が変わることをさしています。私たちには神と妙合する『やります』があります。

 

これさえあれば、大丈夫。

『嬉々楽々』として『喜怒哀楽』ともおさらばです。さあ やります!

 

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切り札

2021-01-23 16:26:52 | 新陳代謝

令和3年1月18日

[汚すは罪なり 洗わざるも罪なり]

 冬の気候は荒れることが多いものです。

それにコロナが加わり、さらに心を重くしている人もいるはずです。でも明けない夜はないのです。

歴史は、何度も人類の危機を乗り越えてきました。今は時間でいえば、『未明は』0時から3時まで、明け方は3時から6時まで、朝は6時から9時までです。今は未明でしょうか?

『心の汚れ』とは、ものを『聞いた瞬間、見た瞬間、思う瞬間、語った瞬間』朝から晩まで心は動き続けています。これの反応が感情の動きです。

御神尊様は『感情の赴くままを罪』また『心を洗わないのも罪』であり、不幸せの元ともいわれています。

感情は好き嫌いをうみます。それは相手よりも自分自身を傷つけてしまい、身体も傷つけてしまうことになります。

だから、絶えず心を清め自ら助からなければなりません。そのための切り札は『人の幸せを祈り合掌の心』で『その日その時の感情』を流していくことです。やります!

 

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感情の峠

2021-01-23 16:03:11 | 運命

 令和3年1月17日

[懺悔は勇気の母体なり]

何か心に気になることがあれば、それからくる不安は、そのままにしておくと増幅します。最近あることから、一喜一憂しました。そしてとらわれている自分を自嘲したものです。

その心の底には根強い不安の素が、解決されずにあるからです。これからも解決されずに、行く可能性があります。

そのためには不安を一掃する行動にでる必要があります。

そこから不幸せや病いがやってくるわけですから、目に見えない峠です。そもそも、人間は見たいものしか、気になることしか目にはいらないものです。

事情を作る日常に見えない峠がひそんでいるわけです。その苦悩を転換するためには、プライドを投げ捨て、自分の非を認められかにあります。

相手がいるから待つのではなく『こちらから懐に飛び込む積りがなければ、峠は越せない』といわれます。『その勇気こそ、やります』であり、それ以外にありません。

不幸せ病いは神にお任せして、『ただひたすら人に受け入れられる、喜ばれる人になろう』との一途さがあれば道はひらくのです。あなたの峠は目の前にあります。『勇気を振るって懺悔をもって越される』ことです。やります!

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