天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

支えあう

2021-01-14 08:46:00 | 運命と生活
令和3年1月12日人生の処方箋
[合掌はとは、人の支えとなるらしい]

コロナという正体不明の伝染病に悩まされています。
怖れたお相撲さんが辞めたてしまいました。
人類の歴史は伝染病との闘いであり、医学もそれにつれ進歩をとげてきました。

それだけではなく戦争が、あいだにありました。戦前、戦後はハンセン氏病、結核で戦後は、母をはじめに叔父、叔母、などが、続けて亡くなりました。

先の戦争では、300万の日本人の兵、一般人を含め、亡くなっているのです。
あの時は、仕事、食料、着るもの、住むところが無い、ときもありました。

人間の忘れることも、特性のひとつでありがたいことです。
先人のおかげで、今日があるのにコロナ差別に走る人が出ています。
つい最近までなんでも出来ていたときは、漫然と生活して緊張を強いられると、もう我慢ができず騒ぎ始めています。

今しばらくは自重しながら、何に向かうのか。あなたの合掌心を発揮して、家族や隣人と支え合うことにあるでしょう。
お互いに支え合いが必要なときがきました。『あなたの人を支える力』が問われています。それが『あなたの免疫力』なのです。
『支えるは愛』とありましたね。やります!
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人と共に

2021-01-14 08:43:00 | 神と人
令和3年1月11日、人生の処方箋
神は神によって 知ることはできない

このコロナ時代、神にすがって、一挙に封じ込めたいものです。
しかし、今起こっている現象を通じて、一人と共に伴走してこそ、神の慈悲をうることができるといわれてます。

だから、神との都合のよい直接交渉より、人との交渉こそ、神に繋がる道です。

それが、願いの実現となります。
うまく、和やかに笑顔の交渉力こそ、神の期待されるところです。

この時代、神の期待に応えて、神と家族と人とが手を取り合い、困難を伴走してまいりましょう。
きっと、良い方向にいくはずです。
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口の役割

2021-01-14 08:39:00 | 運命と生活
令和3年1月10日人生の処方箋
[生活を楽しく暮らすには、ものをいって暮らすこと]

年初は何事かを誓うには、キリがよくてもってこいの月です。
特に昨年来より、変わろう変わろうとして、果たすことのできなかったクセなど。
わかってはいるけどやめられなかったことなど。

何かひとつ変えましょう。
コロナ時代だから、生活様式をのみ変えようとしているのも、悪いことではありませんが、『心の問題』(性格、精神、生活これは人間関係のこと)が一番です。

何を変えたらいいのでしよう。今朝は、私の年来の無口を取り上げて見ました。
機嫌がいいのか?悪いのか?よく正体が見えないのが無口です。
しかし、おおかたは、機嫌が悪いと評価され、評判になります。

運命的には、不運に行き合うことです。太鼓判です。
もののいい損ないは、取り返しがつきますが、もの言わない人は簡単にいきません。
寄り付きにくい、仕事の悩みも打ち明ける人がいない、上司にも無視されて逃げ出す人さえいます。

御神尊様は1番の不幸せといわれています。あいさつさえもできない子供のような人もいます。
とにかく、このように今年はこれに挑戦するときめることです。
人間関係、夫婦親子の情は、ものをいって暮らすところにあります。

そこで朝から晩までものをいえとは云わないが、常に顔に笑顔を失わず顔とことばで、豊かな日暮らしの年にしましょう。やります!

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こなれる

2021-01-14 08:35:00 | 運命と生活
令和3年1月9日人生の処方箋
[餅になれ餅にならねば、助かりはせじ]ライン日記

昭和30年代の正月、三が日は本庁に泊まりで御神尊様のお話を聴きました。
とにかく、何よりも楽しみにしたものです。当時は、20歳から25〜6才のころでしょうか。

その折に語られたことです。餅ですから、当然正月にちなんだお話です。
餅米と白米の違いから説き起こされ、白米はどんなに蒸しても臼でついても、白米は混じることはありません。

餅米は蒸して臼と杵でつけば、いつの間にやら一粒、一粒が練り合わさって餅になります。
餅米は自分を犠牲にして合わせようとするから餅になるのです。

人間も餅のように我をはらず、練り合わさってひとつにならなければならないということです。
比喩でいえば、『教えを聞くことが、蒸す』であり、『その実行がこねて練り合わせる』にあります。

精神の面からいえば、難解も理解の努力の積み重ねで、家族の団欒が生まれることを教えられました。
本庁に泊まりを重ね御神尊様のおことばが胸に心中深くきざまれました。
そして、今日の79才があります。やります!

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