令和3年1月2日あさのことば
(ライン日記、人生の処方箋)
[行は病人にたいする同情心の養成であり 人間的意思の養成なり]
御神尊様は、昭和10年代30歳ごろは西国から四国へ、そして九州各地へ修行の旅路でした。
その眼目はもちろん『運命の道理解明のため』でしたが、疑問の根本を知るために病者の枕辺にはべり、添い寝をして助けたこともありました。
それはひとえに病気を通じて『病人の心中を理解する』ことにありました。私たちにいわれるのは、病人を差別するのではなく、なぜそのような病気にならなければならないのか。
その責任の半分は夫にあり、妻にも家族の人間関係にあることを説かれます。
御神尊様は『私の若い時(20歳)佐賀県は天山に、深夜登山の修行を行ったが、その時の願いは『私に病気をください』だったが、とうとう神は病気をくれなかった』『そこで病人の心中を知るために、体行を通じて悟りを開こうとした』とかたりました。
それが、何と20年の長きにわたることになるのです。その間、戦争を挟みさまざまな、障害に前途を遮られました。実家の御神殿に20年の修行を誓ったので、途中放棄、挫折も許されない心理的状況に、たびたび追い込まれました。
その根幹の『意思の養成』には、『心のなかの親に対する孝養の一念』にありました。その思いが結果的に挫折の危機も乗り越えて、運命の道理解明につながるのです。『継続は力なり』といいますが、それを支える動機が運命開拓のエネルギーです。やります!