天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

幸せの扉

2020-11-20 09:08:00 | 運命の認識
令和2年11月19日
[人間の運命は、人間関係のふれあいより生まれる]

けさのことば、今ではしごく当然のように聞こえるでしょうね。当然そこは『実践があってこそ』です。
そこに『運命の良し悪し』がかかっています。

その日、その日で運命は、不可思議に映るほど違うものです。調子の良いときは、人はその運命については考えないように、あえて忘れているように見えます。

ところがどうにもならない局面に追い込まれると、そこで『初めて運命とは何か』『何で自分が』『自分だけが』『自分の家だけが』『こんな目に遭うのか』真剣に考えはじめるのです。

そもそも不可解な問題を考えても、行き着く先は、因縁ばなし先祖のせいにするのがせいぜいです。

これはまさに、学ばざる無知からくるものです。御神尊様は実にシンプルに『運命の生まれどころは、人間同士の心の触れ合いにある』ことを教えています。

これが、なかなか簡単ではありません。好き嫌いだけ取り上げても、レベルは上から下までさまざまです。
嫌いな理屈もついています。そのことと運命が、あなたの両足と歩調を合わせてきます。
『わかっていることと、実践とが別々』になってませんか?
だから『幸せの扉を開けることができず』にいます。
嫌いは誰ですか?。短い人生です。
心の手を繋ぐように努めましょう。やります!





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善神

2020-11-20 09:03:00 | 運命と生活
令和2年11月18日
[進は善なり 止まるは悪なり]

現実のことを、善隣の道では生活と表現します。その生活が感情に左右されれば、直ちに運命的現象になります。
もっぱら不幸せの原因を外の人間関係のせいにし、家の中では感情のコントロールができず、出しっぱなしにして運命の転換を図ろうとしても無理があります。

天地は動き続けていくのも、自然というあり方です。秋空の突き抜ける青さは格別です。それに紅葉の赤が色を添えて、自然の働きの素晴らしさ、感動を与えてくれます。これを一円玉天気というそうです。これ以上クズしようがないの意味だそうです。

人間の心も季節の変化のように、絶えず変化しています。つまり人間の精神は、動き進み続けていてこそ運命も喜び楽しい展開になるものです。

しかし、どんなに意思強固な人でも、ひっかかる瞬間があるものです。これは進んでいる間は善人、止まれば悪人だから、心のコントロールが乱れれば、善人も悪人に豹変することになります。そこに合掌の力が必要になるのです。やります!

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心の転倒予防

2020-11-17 20:34:00 | 信仰と生活
令和2年11月17日
[神の救いを 手で受けるなかれ 足で受けるなかれ ]

テレビのCMなどで、高齢者に転倒予防を警告しています。
でも、逆転の発想で倒れる稽古を、毎日やる方法もあります。
私は武道をしていましたから、受け身を取る稽古をかなりやりました。

稽古は、投げられて技を覚えます。そのおかげで、つまずいて倒れたことがありますが、スローモーションのように倒れるから、怪我をすることはありません。

たとえ手や足に、目や耳を病いに侵されようとも、自分の体のことを考え心配するよりも、まずは夫の為、妻のため、親、子のため人の為に合掌してください。

つまり、心(で)受けること、心(に)受けることです。
一般的に、体の心配が先立つものです。
習い性となる、その言葉どうり、習性になって、見えていません。
この習性を変える努力が、祈りに優る近道です。

赦すことができないのは、変われないのが原因です。
過去に対するこだわりが障害になっています。
心も体を心配するぐらい、倒れては立ち上がる稽古を積めば、必ず変われます。
やります!

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生き方を定める

2020-11-17 12:41:00 | 信仰と生活
令和2年11月16日
[人生は浮雲に似てその生涯や定まらず]

最近テレビで俳句の番組があり、よくもまあ、俳句が番組の企画で成り立つものと感心しています。

そして少年時代は、(俳句を詠む人に憧れて、放浪していく人生をすごいなあ)と、その奥の苦悩も分からずに読んだものです。

私は、四国で遍路の旅をしながら、俳人たちの運命を思ったものです。
四国の札所のお寺にお世話になっていた俳人がいました。中国地方から、九州に向かい酒を友としながら、放浪、漂泊の旅路の人もいました。

同じ放浪でも御神尊様のように、どうすれば苦しむ人々の人生を救うことができるのか。
野宿や墓地を宿として、道を求めての旅路。ひとりの歩く人生の方向がかくも違うものか。

放浪者の共通項は、育ちに見ることができます。
親子の縁が薄く、経済的困窮に出会い家を捨て、浮雲のように生涯定まらず、風にまかせ気まかせの人生です。

そこに幸せでありたい、健康でありたい、親はどうしているのだろうか?
兄弟は?などは心配はしてはいるのでしようが『自分自身の運命を保障する力』がないのです。

『自分の人生を保障するのは、合掌の力しかありません』
そして『心は運命の製造者にして生活は運命の製造所なり』これの実践により、エネルギーはここから生まれます。
立派な業績を残し評価されながら、放浪の果てに倒れていく方の終末が残念です。

やります!

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心を縛るもの

2020-11-15 10:32:00 | 運命の原理
令和2年11月15日
[あなたにとっての魔物]

昨日、人間関係に悩み苦しんでいる人に出会いました。どうしても赦すことができないといわれます。
事情があるようですが、悩みはどこまでいっても、相手と交わることはありません。
『どんな事情でも解くか、捨てる』かです。

まして、永遠に怨むことなどできません。なぜなら命には限界があるからです。
また、『怨みは寿命を縮めるもと』でもあります。
拝むもの、合掌するものがあるにせよ、ないにせよ。念ずる力も弱いからです。

『人を恨むは邪念』『これは相手が自分より上の人格者である』ならば、『その念はブーメランで本人に返ってくるから怖い』まさに魔物、自覚なしにこの念を使うと、天地への反逆の苦を招くことになります。

あなたを不幸せや病気に陥し入れる悪魔がいるとすれば、『怨み、不平不満、敵対感情』。
この思いが念となり、あなたの心を縛り、一気に坂道を転がるように、どん底に突き落とされてしまうのです。

『あなたの苦しみを超える』ためには、相手に裏切られたとしても『赦してみる、自ら手助けをする』などの、行為を『明日とはいわず、今すぐに直ちに考え方』を変えれば、魔物退散。必ず即決に救われるものです。やります!


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無条件

2020-11-14 21:33:00 | 運命の原理
令和2年11月14日
[神に祈る気持ちで 人に祈る]

御神尊様が最も厳しく指導されたところです。
世間を見れば、相も変わらず条件付きの合掌をみうけます。

『人間には純粋に理屈を超えて、無条件になる瞬間がある』ものです。
理屈を言って我を張る一瞬もない、命ギリギリの場に立たされると、誰もが思わず合掌するものです。

『この瞬間の合掌こそ、本当に純粋な祈り』です。また何かの災いや難を逃れた時、ひとりでに合掌の姿になります。

これも無条件でもあります。
このような『純粋で無条件の心境で、人のために幸いを祈る』これこそ『救われるための1番の近道』といわれます。

『自分の心にわだかまるものを一切捨て』『純粋無垢、雑念を払った』『あなたこそ天地を動かすもの』です。やります!
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修練

2020-11-14 21:28:00 | 運命と心
令和2年11月13日
[人と切れて離れたところへ 居る間は神に遠し]

スポーツ界で素晴らしい活躍をした選手を見ると、感動しながら、皆様は何を思うのでしょうか。
そこが気になるところです。

才能の問題はあるにしても、それぞれの立場、目指す人生の目標。なぜ満足のいかない結果に出会うのでしょうか。

彼らは毎日同じストレッチ、同じランニングにそれぞれの種目の練習や学習を、繰り返しているだけです。

基本的には同じことの繰り返しです。しかし、私たちはどうかすると、簡単に解決する道を求めがちです。ことを急ぎすぎるのです。

一流の選手ほど、『当たり前のこと』にこだわって、淡々と日々繰り返しています。
そんな時、夜の街に出かけていく選手も多いとネットにありました。

私たちは『自分ひとりの幸せではなく、家族や隣人と共に幸せの道を歩きたい』のです。
そのためには『教えられたことは何としても、身につけなければなりません』

絶対に避けなければならないのは、なぜ人と切れて離れるのか。
そこを『切れて離れることのない精神力』この『1点さえ身につければ、この人生怖れる』ものはありません。

それのコツは『自分自身がどんなに正しかろうと、無条件に相手を受け入れることの修練』からが始まりです。
あなたも一流アスリートの仲間入りですね。やります!





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幸せの近道

2020-11-14 21:21:00 | 運命と生活
令和2年11月12日
[ただ人間かくあらざれば 生きるに生きられず]

天地の道理は、なかなか見えないものです。まして自分の心となれば、客観視できないでしよう。
でも、絶対の道は目には見えないけれど、『かくあらざれば生きられない法則』の中に生かされていると、御神尊様は説かれています。

宗教的には、なにかと病気治しや厄除け、などの特効薬のような見方をされます。
つまり、事情しだいで神は、近くなったり遠くなったりするものです。

しかし合掌の精神は、夫の妻の子の『らしい道』があります。人というものは、肉体のみで生きるのでありません。
言うまでもなく、『愛の一念により心に喜びを持たねば生きている甲斐』がありません。

だから、『幸せ健康を願う前に、ひとりの人間として生き方に目覚める』ことこそ、真の幸せといえましょう。

それが『誰かを許す』ことができず『対立を捨て切れず、深い悩み』に沈む日々であればこそ、あなたは神から遠く離れるばかりです。

お互いに辛い思いのはず、苦しい境遇のはず、だからこそ決して『憎み咎めはしません』と、
『すべてを赦す』ならば、これこそ『天地の道に叶う』ことになります。これが幸せの近道です。やります!







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祈り

2020-11-14 11:05:00 | 信仰と生活
令和2年11月11日
[人に祈りて 神に救われんとする方法は 遠くして近し]

いまわが家の玄関には、靴が何足か並んでいます。かつては、泥に汚れた小さな靴で溢れていたました。

まるで人間の感情をあらわにしたみたいに、右に左に重なりあっていたものです。あの姿はどこにいったのでしょう。

『靴を揃えなさい』と大きな声を出した記憶があります。私が帰りが遅いので、多分そのように言った張本人でしょう。

しかし、面白いことにふと気がつくと、今では少ない靴を揃えるクセがついたことに驚きました。
さらにしばらくすると、『あれ!これは何かな』と起きる現象に気づいたものです。
不思議に、次々に良いことが起こり始めていたのです。

そしてハットしたのは、当たり前のことを毎日続けることの結果であることに思いあたりました。

これこそ『生きたる祈り』を『天地が目の前でパノラマのように見せている』のです。
単に靴を揃えるのは、道徳では入り口にすぎません。

『神社、仏閣で神仏を拝む』直接に頼むよりも『まず人に祈る』ことが、『遠いようでもっとも近いこと』をまたひとつ学びました。ありがとうございます。やります!
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交わりの妙

2020-11-10 09:24:00 | 運命と生活
令和2年11月10日
[交わるとは 青色と赤色が交われば]

青色と赤色が交われば、青にもあらず赤にならず、紫になります。
夫の白と妻の赤でピンクになります。対立ではなくそれぞれが受け入れる。
つまり交わりを深くすれば、そこに新しい色がうまれます。ここに『交わりの妙』があります。

それぞれの色がきわだつのです。懸命に働いてある程度の生活力ができたとしても、結果失うものがあれば幸せとはいえません。

『夫婦、親子の間に心の交わり』が失われていけば、どんなに経済が豊かになってもはなしになりません。
夫の給料が高いだけでは、妻にも子もよろこびがありません。

そこには夫の妻の笑顔が擦り切れていたり、お互いの言葉が足りなければ愛情が見えません。
それではしあわせとはいえないでしょう。
お互いの願いが満たされる努力こそ、しあわせといえましょう。

本来の生き方は、ちょうど色が交わり輝きを増すように、自分自身の生き方のレベルアップを求められています。
ささいな小さなことがらの積み重ねと、人間の精神的交わりは深くなることで、幸せ感も同時に深くなることでしょう。やります!
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