この時期、我が家では しずくの撮影条件が整い 朝日があたる日には 飽きることなくこだわり続けている。
どんな条件かって?
他の人も、写真展に展示した写真を見て挑戦したようですが、どうもうまくいかないと嘆いているようです。
条件は、どのようなものがあるか、考えて見てください。
凍りつき透明感のました しずく です。
しずくの中に、小さなしずく が宿っている。
どうしてこんな しずくが現れるのだろう? 画像合成をしているわけではありません。
しずく を見つめて居ると、時にはこのような現象が現れるんだなー!
あきることなく、しずく を見つめているご褒美かな?
どうしてこんな しずくが現れるのだろう? 画像合成をしているわけではありません。
しずく を見つめて居ると、時にはこのような現象が現れるんだなー!
あきることなく、しずく を見つめているご褒美かな?
冬休みに入り、はるばる長駆して、孫たちがやってきた。
普段は、二人きりの生活が一変、たいへん賑やかになった。
この子たちが、大人になる頃には、今よりも良い世の中になっているかなー?
これからの日本をこのようにしていと言う、指導者は現れるだろうか?
それとも、あい変わらず、自分たちの保身ばかり考える政治屋がのさばっているのだろうか?
幸せを運んでくると言う、コウノトリの姿でも見て、せめて来年は、今よりも少しでもましな世の中になってほしいものです!
普段は、二人きりの生活が一変、たいへん賑やかになった。
この子たちが、大人になる頃には、今よりも良い世の中になっているかなー?
これからの日本をこのようにしていと言う、指導者は現れるだろうか?
それとも、あい変わらず、自分たちの保身ばかり考える政治屋がのさばっているのだろうか?
幸せを運んでくると言う、コウノトリの姿でも見て、せめて来年は、今よりも少しでもましな世の中になってほしいものです!
日中が寒かった昨日。
昼ごろ ばらばら ばらばら いう音に外を見ると あられが降っている。
幸い さほど大きな あられ ではなくよかった。
ツルソバ花や十二単のロゼッタ状の葉の間に、あられ が積もっている。
以前は、年に何回か降った記憶があり、車庫の屋根に穴が開いたこともあったが、最近では、珍しい風景です。
普段使っている画像処理用のソフトでは、RAWデータのカラーからモノクロへの変換は、簡単にできるがLPEGからは出来ない。なんとか、カラーのJPEGデータからモノクロ化ができないものか探していたら、フリーソフトであった!
パソコンをお使いのみなさん GOOGLE の PICASA というフリーソフトをご存知ですか。
どこのカメラメーカーのRAWデータの表示でも、画像編集も出来るすぐれもの。
このソフトを使えば、カラー画像のモノクロ化も、すっごく簡単。今日の写真は、このソフトを使ってモノクロ化したものです。
高価なソフトを使えば出来ることは分かっていたが、フリーソフトでこんなことができるなんて びっくり!
それにしても、カメラメーカーの閉鎖性に腹が立つ。PICASAは、どのメーカーのRAW データーでも扱えるようになっている。GOOGLEで出来ることが、なぜ?カメラメーカーではできないんだろう。何とかの穴が小せえ 小せえ だな。
太陽が一番南に寄った位置から 昇る。
少し雲がかかり絶好の被写体とばかり、勇んでベランダへ。
カメラをセットし日の光が差ひ始める。あれ、雲がどこかへいっちゃたー。
まあいいか、折角セットしなんだから、一年で一場南からの日の出を撮つそー!
昨今は、カラー写真が当たり前のように扱ってきたが、何か物足りなさを感じだした。
カラー写真だと、見たままの印象が、自分の感性に訴えるものがあるかどうかを直接的に感受しているように思う。
初期の写真は、ほとんどがモノクロで表現されていた。
モノクロ写真は、色の表現がどうとか、色バランスがどうとかいうことではなく、写真から得られる感じを自分なりに受けとめ、自分なりに感受してから、気に入った写真かどうかを判断するのではないだろうか?
カラー写真が、ストレートに見る人の感覚に飛び込むのに対し、モノクロ写真は、写真を見て、自分なりに消化をしてから気に入る気に入らないの判断をするのではないだろうか?
今、テレビで日本の仏像を種々紹介しているが、中には彩色豊かな仏像もある。でも、大半の仏像は、作られた当時の彩色が褪せ、古びた趣を残し色褪せているからこそ、尊さを感じ、手を合わせることにつながってはいないだろうか。
昨今、あまり物事を考えず、単刀直入・ストーレートに訴えることに走りすぎているのではないかなー?
そこには、想像力を働かせる余地もなければ、考えをめぐらす余地もほとんどなくなっているのではないだろうか?
幸いにも、デジタル写真は、簡単にモノクロ写真に変換する事ができる。
でも、そこから得られるものは、もっと、もっと、大きいのかもしれない!
上の写真から、下のような写真が、創造できましたか?
どちらが良いのか悩んでいるが、最終的には、好みの問題なのかなー?
雄大なアルプスの眺めです。オーストリア旅行時の思い出の一コマ。
バスで、延々と山道をのぼりつめると、すぐそこ。手の届きそう派ところに3000m級の山々を望むことができる。
我が国の山岳道路と異なることは、行きどまりでなく、通り抜けができることかなー!
山の手前側と反対側。異なる眺望をみることができた。
数年前から、特別のことがない限り、毎日ブログを書いてきた。
でも、続けるってことは、大変だし、難しいことです。
毎日変化に富んだ日々を送っている人には考えられないことかもしれないが、年金生活に入り変化のない日々を過ごす身にとっては、さて!今日は何を書こうかと悩むことしばしば。
そんなわけで、種に尽きると、以前の旅行時に撮つした写真の登場となる。
オーストリア チィロル地方の建物の写真です。屋根の上の飾りが特徴のようです。
写友の集いで、「写真ってなあに?」が話題になった。
写真コンテストが各地・各団体主催で募集されているが、明確な基準はあるのだろうか?
デジカメが普及し、デジタルデータが簡単に得られるようになり、しかも、画像編集用のソフトがかなり普及しており、画像合成も簡単にできるようだ!
このような現状の中、審査員と称する人たちは、画像合成された「画像」と、デジカメ(?)で得られたデジタルデータを
合成など無しに画像編集された「写真」との見分けはつくのだろうか?はなはだ疑問に思う。
今夏、ある市で募集した写真が、入賞したという。たまたま、撮影地区をよく知る人が、画像を見て、この場所でこんな景色はありえない!とクレームをつけ、入賞取り消しの処置を受けたらしい?
ここで問題、「写真って何だろう?」明確になっているだろうか?今後、上記のような問題が各地で発生する恐れが多々あるのではないだろうか?
コンテストを主催される皆さん、「写真てなあに?」の明確な答えを持っていますか?
他人ごとでは、ないと思うがなー?
写真(正真正銘の写真と思っています。)は、オーストリア旅行の際のものです。
東の空にうっすらとした雲が漂う。
半透明の雲を通して、やわらかな、くれない色の朝日が差し込む。
出来上がった写真を見てびっくり。
いつもは、しずくの表面で反射している光が、しずくの中までさしこんでいる。
なんと、透明感のある しずく だろう!