高校の歴史の時間に、ちらっと登場しただけですが、その言葉の響き具合が面白かったのか、渤海(ぼっかい、バルへ)という国名は、何となく印象的で記憶に残っていました。渤海国は、広大な領土を誇った高句麗(韓国歴史ドラマでも知られた‘広開土大王’は、高句麗の最盛期を築いた王です。)滅亡後その遺民、大祚栄らによって698年に建国され、229年間続きましたが、926年 契丹族が建てた遼の侵入によって、首都が陥落し歴史から姿を消しました。中国東北地方とロシア沿海、朝鮮半島北部にまたがる地域を領土にし、「海東の盛国」と呼ばれた渤海は、高句麗の遺民のみでなく満州族の祖先などが、混在した多民族国家であったようです。契丹族に滅ぼされた後、継承した国はなく自らの歴史書や記録を残さなかった為に謎が多く「幻の大国」とも言われているようです。そして近年、渤海国の滅亡には白頭山(ペクトゥサン)の噴火が関係していたとの説が、地質学者によって唱えられました。
白頭山は、中国吉林省と北朝鮮の国境地帯にある高さ2744mの火山です。白頭山は過去何度か噴火を繰り返してきた歴史がありますが、その中でも10世紀の噴火は、最大の物だったと考えられています。その被害は、渤海のみならず、ロシア、中国そして500キロ以上離れている日本にも及んだ程で、宮城県以北の東北地方の遺跡には、当時の火山灰の堆積物が確認されています。その噴火規模は20世紀内では最大の物と評価されています。これだけの大噴火が国情に影響を及ぼさないはずはなく渤海の滅亡、そして、その後契丹族の遼が占領した都を放棄してしまった原因になった可能性は十分にあります。白頭山はその後も、およそ100年間隔で起こしており最後の噴火観測は1903年で、ここ数年以内に噴火を起こす可能性を示唆する研究者の報告もあるようです。ポンペイを壊滅させたイタリアのベズビオ火山の噴火も10世紀の白頭山噴火よりはるかに小規模であったといいますから、もしそのレベルの大噴火が起きれば、日本の大震災以上の被害も有りうるでしょう。
渤海国から日本に届いたのは火山灰だけではなく、人的な往来も非常に盛んでした。遣唐使ならぬ渤海使が計34回、日本からの使者も15回確認されています。渤海人が日本滞在中に使用されたとされる水洗式トイレが、秋田城跡から発掘され現在復元されています。日本の水洗トイレ文化は今では世界的に定評がありますが、こんなところにルーツがあったかもと考えると少しワクワクします。