美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

人としての友好と国の外交

2014-04-10 10:05:43 | Weblog

 

先週、新政権発足後初めて米国のオバマ大統領の仲裁という形ではあるものの、日韓の首脳が直接顔を合わせました。議題は北朝鮮に対する3か国の連携強化を中心とした内容であり、現在両国間が抱える歴史・領土問題には一切触れるものではありません。しかし、隣国のリーダーが単純に会うことさえままならない異常な状況から考えると大きな一歩ともいえます。外交とは自国の国益を基盤とした国際関係の政治的交渉とも定義されますから、個人的なお付き合いとは異なるものですが、そこはまた人間同士。会見で安倍総理は「朴槿恵大統領 マンナソ パンガプスムニダ!(お会いできて嬉しいです)」と韓国語でアピールを試みた心情も評価できなくはありません。しかし当の朴槿恵大統領の反応は冷ややかなものであり、意地悪な言い方をすれば簡単な韓国語の挨拶を覚えて韓国に遊びに行った男性像と映らずでもない感じです。

 

朴大統領の心中は無論わかりませんが、今回の核安全保障サミットが開催されたオランダ・ハーグは、今から107年前 韓国にとって屈辱的な出来事「ハーグ密使事件」が起きた場所であることは当然意識されていると思います。日露戦争に勝利した日本は、1905年11月、第2次日韓協約を結んで、大韓帝国を保護国化し、韓国統監をおいて外交権を接収します。これに対し韓国皇帝の高宗は、1907年6月15日、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に皇帝の密使を直接派遣し、列強に条約の無効を訴えようとしますが、出席していた列強諸国は大韓帝国の外交権が日本にあること、大韓帝国の利益は条約によって日本政府が代表していることなどを理由に、三人の会議出席を拒絶。そこで、密使たちは会議場の外でビラ撒きなどの抗議行動を行いますが相手にされず、密使の一人李儁(イ・ジュン)はハーグの地で無念の中で亡くなります。自殺か病死か今でも死因ははっきりしていません。この事件に対し日本は韓国を強く非難し、高宗は譲位を余儀なくされ、息子の純宗が皇帝として即位します。さらに続いて第3次日韓協約が調印され、韓国は内政面でも日本の韓国統監の管轄下におかれることになります。

 

随分前のことですが、知り合いの教授が招待された学会で韓国語によるスピーチがしたいと、翻訳と発音指導を頼まれたことがありました。結構な長さの文章で、招待の感謝とともに日韓友好を訴えた内容であったと記憶しています。一生懸命練習して披露したところ拍手喝采、スタンディングオべーションで迎えられたと大満足でした。この場合は当然です。

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科学者の強さと弱さ

2014-04-10 10:04:50 | Weblog

 

今年の1月に理研の若き研究者により英国Nature誌に 発表された論文は世界中の科学者を驚かせました。その論文でSTAPと名付けられた細胞は「 動物の体は分化した細胞でできており、一度分化した体細胞が別の組織の細胞になることはない。よって分化した細胞が再び多能性を持つようになる‛初期化’は起こり得ない」という今までの常識を覆すものであったからです。私も医学臨床に携わる端くれとしては、今回の研究が秘めた将来の可能性に関し少なからず期待した一人です。反面、それだけ興味深い出来事にも拘らずこの欄で直ぐにテーマとしてとりあげることに少し躊躇ったのは、論文発表直後から世界中の研究者から指摘され始めた幾つかの疑義や意見には一切触れられていなかった為です。

 

結局論文は2か月もたたずに取り下げられる方向に進んでいます。画期的な研究であった反面、短期間での騒動であったこと、ヒト細胞での可能性は未知数であり臨床的にもまだまだこれからの分野であることから他の研究への影響は大きくないかも知れません。しかし、今後の調査結果次第では、一時は韓国初のノーベル賞候補と騒がれた元ソウル大学教授によるES細胞の研究に纏わるねつ造事件のように国の再生医療界全体に長く影を落とすことにも繋がりかねません。指導的立場にもあったであろう共同執筆者や理研の調査委員の会見を聞くと何か他人ごとで「未熟な研究者の焦りからくる勇み足」として、すべての責任を一人に押し付けて収束を図ろうとしているかとも感じてしまいます。ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルは研究者によって偽物が見抜かれるかどうかを試す目的で、いかにも難解な数式と科学用語を並べた出鱈目な論文を当時著名な社会科学雑誌に投稿したところ編集者のチェックを通過して掲載されました(ソーカル事件、1995)。若い科学徒達にしっかりした倫理観や科学的思考を教育することも大切ですが、時に様々な利権、思惑が関与しうる研究であればこそ厳しいチェック体制が求めらるでしょう。

 

一般的に科学者の評価は「著名な専門誌にどれだけ多くの論文を発表したか」です。そして熾烈な競争の中で成果を出すべく常にプレッシャーに晒されているとも言えます。時に自分の望む結論に合うデーターを意図的に選択したい衝動に駆られるでしょう。「無知を恐れるな。偽りの知識を恐れよ。(パスカル)」 誘惑との戦いに勝てる強さは今も昔も優れた科学者の条件です。

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焼肉考

2014-04-10 09:58:54 | Weblog

すし、天麩羅が日本料理の代表ならば、韓国料理の代表は焼肉、ビビンパとなりますが、果して日本の‘焼肉’に該当する韓国語は何でしょう。直訳に近いものなら‘ブルコギ’ですが、韓国のブルコギは味付けした牛肉をジンギスカン鍋で調理する鍋料理ですから、日本の焼肉とはかなり異なります。また、炭火カルビ(スッブルカルビ)の店に行けば、確かに日本の骨付きカルビが豪快に出され、これこそ本場のヤキニク!ということになりますが、値段もそれなりです。ブルコギもスッブルカルビもやや高級料理という感覚があり、特に留学当時の私のような金欠学生には先輩医師に奢ってもらうとき以外は無縁のもので、仲間同志で、スタミナを!というときは、豚カルビ(もちろん骨付き!テジカルビ)か 豚三枚肉(サンギョプサル)と焼酎で一杯が定番でした。

このように韓国でいう焼肉料理は一様でなく、肉の種類から店のランクまで多様で日本のように多くのメニューを持つ焼肉店として一潜りには出来ません。もう一つ韓国ヤキニクの特徴として、メインの肉を注文すれば、日本では一品一品注文するオカズ、キムチ、サンチュは当然無料でついてくるもので、さらにお代わり自由というところです。主役以外はオマケ文化‘とも言いましょうか、いずれにせよ肉料理を食べてもサンチュやゴマの葉に包んで野菜もたっぷり食べた気になれるのでバランスよく有難いところです。そもそも朝鮮半島での肉食の歴史を考えると、4世紀の三国時代に仏教が伝わり「殺生禁止令」が出されるとともに肉食は衰えていき、ようやく李氏朝鮮時代になり仏教を廃し、儒教を広めたころから肉食が一般化していくようです。しかし、串に刺して焼いたり、味付けして網で焼く肉料理は祭事や宮廷料理として出されはしたものの、ヤキニクのルーツというほど一般化されていなかったものです。

今でこそ日本人以上に肉の消費量が多い韓国ですが、これは戦後高度成長をなしてから比較的最近の話です。現在の韓国ヤキニクスタイルも多くは、戦後の日本で在日の人々が始めた日本の焼肉から逆輸入されたものが多いと考えらます。日本人特有のメニューの多さ、細かさに対して、一点集中主義でオマケが自由という韓国式はまさに両国の価値観の違いが垣間見られて面白いところです。そう考えればYAKINIKUは韓国式日本料理、日本式韓国料理と言えるかも知れません。

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世襲の善悪

2014-04-10 09:46:12 | Weblog

 

ソウルで思い出深い場所といえばやはり留学時代過ごした新村(シンチョン)でしょうか。韓国でも学生の街として知られ、当時は路地裏々まで食べ物屋、屋台、ビリヤード場、カフェと全く無秩序に並びつつ何となくそれぞれ存在感をもっていました。ただ、しばらくは昔の郷愁に誘われて何度か訪ねましたが、年々その変わりようにここ最近は足が遠のいています。当時の店はほとんど姿を消す中で、1972年創業の兄弟(ヒョンジェ)カルビは数少ない当時の門構えを残した焼肉屋です。しかも、ネットでの求人内容を見ると社員150人の中小企業として紹介されていますから、昔の焼肉屋さんというより会社として成長してきた感覚です。

 

韓国で一般的な家族従業の商店や飲食店で、家業を継ぐ、継がせるという意識は日本に比べればかなり低いのではないかと考えます。勿論、韓日両国に限らず、個人経営の店は、時代の嗜好変化や、コンビニに大手スーパー、そしてネット販売などの台頭により経営面でも難しくなってきているのは事実で、単純に家業を継ぐという問題だけではありません。それでも、何代も続いたお煎餅屋、佃煮やというように老舗といわれる店が多くあります。反面 韓国では前出したカルビ店のように3~40年続けば間違いなく老舗であり、それさえも一代目が頑張ってはいるが、子供には継がせたくないと考えているケースが多いでしょう。これは、昔から近代まで周囲に翻弄されてきた国あり方とともに、両班階級を頂点とする儒教的価値観の中、学問をすることで高い地位につき悠然と読書をしながら過ごすことが尊く、翻って商いや職人など汗水流して働く者に対する低い評価という価値観が生まれたのかもしれません。「子供に店を継がせるか」の問いに、自分はやむない環境から商いをしているが、子供は大学に行かせて違う人生を送らせたいと回答する店主が圧倒的です。

 

家業を継ぐと言えば、薩摩焼の沈壽官家は日本でも希有な存在だと思います。1598年、豊臣秀吉による二度目の朝鮮侵攻の際、帰国時に一緒に連行された初代から数えて現在の沈壽官さんは15代目です。特に現代、家業を継承することは容易ではないことは、沈家も同様であったと思います。15代目を継ぐにあたって悩んだとき、「(先祖の歴史も業績も苦悩も)わかっているのは今だけだが、未来は過去にあるのではないか」と考えたとありました。朝鮮の血と日本の風土が合わさったとき、世襲も凄みを増すようです。

 

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主観と客観

2014-04-10 09:33:31 | Weblog

先日 大学生になる娘が友人たちと観た映画の感想を聞かされました。戦争をテーマにした大ヒット中の邦画で、かなり期待していたようです。評判にたがわず、一緒に行った友人たちは感涙、感涙で観覧後も大いに盛り上がったということです。娘もそれなりには楽しめたようですが、正直そこまでではなく及第点という評価でした。これは誰にも、どんな分野にもあることで、特別なことではないでしょう。映画に限らず、本、レストラン、歌、さらには男女の好みまで・・・所謂、性格、環境、体験など様々な要因から形成された主観というものです。一つの花を見て絵を描いても、人のよって全く異なる作品に仕上るわけです。勿論、技量の差が影響するでしょうが、実は見えている花自体が同じではないかも知れません。物を見て認識する過程で、光が網膜で電気信号となり情報として処理されますが、最終的には脳の高位連合に送られ他の感覚や知識との照合を経て初めて一つの形態として意識されるからです。つまり見え方にも必ず個人々で差が生じるのです。

 

百聞は一見に如かず、客観的な事実?として捉えている視覚的な事象まで厳密には主観が入るわけですから、多くの人と共感するとは実は簡単なことではありません。しかし、人は自分が良い、悪いと評価したものに同調しない人間がいると不快に思いがちです。そして同じ価値観を持つ人間同士がやがて集まり社会を形成し、その意識が極端に強くなるときしばしば排他的な行動を起こすことに繋がります。ソチオリンピックで見事ロシアに金、銅のメダルをもたらしたビクトール・アン(安賢秀、アン・ヒョンス)選手の活躍に対し韓国人の思いは複雑です。彼が新しい環境を求めたわけは分かりませんが「勝っても負けても心から応援してくれる雰囲気がここにはある」選択に間違いはなかった事を証明しました。

 

どの時代、集団においても、皆が同じ方向に進み、誰もそれに異を唱えない或は唱えにくいときは注意が必要です。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る(ヴォルテール)」この言葉は単に民主主義の理想論ではありません。

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