1997年度の流行語大賞にもなった「失楽園」の著者 渡辺淳一氏の初期の作品には、医師の目から人間の内面をテーマにしたものが多く、短編作品「宣告」もその一つです。作品が発表された当時は一般的にガンを不治の病と捉え、医師も患者当人への病名の告知は慎重な立場をとることが当然という背景があります。この作品の中では時代の価値観を受け入れつつも、担当になった若い医師が尊敬する画壇の大家である老人に告知することで残された短い期間、やり残した仕事をしてもらうことが彼の為でもあり且つ芸術界の為でもあると考え悩みながらも余命を宣告します。医師の予想通り、画家は徐々に現実を受けとめ、最後の作品を完成することに熱意を見せます。その姿勢に自分の判断は正しかったと安堵する医師ですが、画家の死後ふとしたことから老画家の内面の葛藤と苦しみに気づき、改めて自分の判断が本当に正しかったか自問する物語です。
私自身、外科病院での研修医時代に告知をすべきかどうかで迷ったことは少なくありません。なかでも胃がんの再発で転移も確認された40代後半の男性のことは今でも記憶に深く残っています。小説とは逆に、家族の強い希望から最後まで本当の病名は告げませんでした。しかし、その患者さん自身は薄々わかっていたのではないかと思います。あえて気づかぬよう振る舞うことで、家族を気遣い、また確かめないことで希望を残していたのかも知れません。残った家族からは最後まで看取った医師として感謝の言葉はいただきましたが、果たしてその患者さんにとって告知しないことが正しかったかと随分考えました。今でこそインフォームド・コンセプト、患者の知る権利といった意識が定着し、病気に対しては正確に伝え理解してもらうことを原則と考えるようになりましたが、特に根治率の低い進行がんや難病である場合、アメリカ、ドイツ、フィンランドなどと比べ、今でも日本や韓国では家族には告げても患者本人に伝えることは躊躇する傾向があります。
末期がんである場合、告知を受けるかというアンケートでは8割がYesと答え2割がNoあるいは「わからない」と答えました。同様の質問を今度は治療する側の医師に向けたところ9割がYesですが、残りはやはり悩んでいるという結果でした。この1割の差を大きいとみるべきか僅かなものとみるべきか難しいところです。
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