渦巻き

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小田原城~掛川城

2014-02-16 10:24:40 | 城--関東
平成26年1月4日
       急に小田原へ行くことになった。


     小田原城~(国指定史跡)


   

 15世紀中ごろに大森氏が築いた山城が前身。その後戦国大名小田原北条氏の居城となった。

 北条市滅亡後、家康の家臣大久保忠世が城主となって改修され近世城郭の姿となる。


        

    
天守閣は、城の象徴として本丸に構えられたものです。
古文書によると寛永11年(1634)に、三代将軍徳川家光が小田原城の天守閣に登り、
武具を見たり展望を楽しんだという記録が残っています。

     

                   
                      1495年 北条早雲は鹿狩りと見せかけて
                      勢子に化けた手勢と角に松明をつけた牛千頭を暴走させた

                      小田原城を一挙に攻め落としたこの攻略は 有名な三大夜戦の一つとして伝えられている                      





     朝10時くらいだったけど、観光客は意外と多い。       
    
  何十年かぶりの小田原城。 だいぶ整備されているなと思った。

                      というか昔は、城に全然興味なかったしね。覚えているのは、象さんがいたこととかね。
                        


     

   
     
  現在進行中の発掘調査


       この日は、本厚木の友達の家に泊まらせてもらった。
        昔話をたくさんしたけど、お互いどこか成長したか? 
             友達は横幅、私は首のたるみ?  うわ~~~!!!

    
        翌日、相鉄線、西谷の友達の家に行ってみる。

    
       

       初めて行ったよ。  小高い丘になっている、静かな住宅街だった。






   西谷から横浜へ出て、新横浜へ。  新幹線で掛川へ。


         

     掛川駅から歩いて行く。


       掛川城(雲霧城)  

  今川氏の重臣 朝比奈氏の居城。
永禄11年(1586)徳川家康は今川氏を追って城を囲み
3か月にわたる戦いの後、落城。
           
                                  太鼓櫓  


                          
                              
    



             
     
やがて山内一豊が入封して 近世城郭に生まれ変わる

        
         

   


       


      
 

        霧吹井戸
                                     城内の井戸としては、四国の丸亀城・松山城についで
                                     日本第三位の深さだといわれ、水面まで44mほどある
                              

                        

      三日月堀


  
                     木造平屋建、一文字葺の伝統的な数寄屋造りの建物で、景観と調和した趣のある茶室です 



       

      


 庭から城を望む

長囲炉裏の間 天井 大田家正紋の桔梗と替紋の鏑矢(かぶらや)紋  


            

              忍者さんが庭掃除をしていた。


         へぇ~、、、。
    
               

         

           大日本報徳社
                     旧遠江国報徳社公会堂は,掛川城の北東に,二宮尊徳の教えを体系化した報徳思想を普及・啓蒙する中心拠点として建設された             
           城の周りも、素敵な建物がいっぱいだ~。
             ゆっくり見る時間がなくて残念。

 

          さようならお城さん。
        

 
                             
  日暮れて、点灯。 掛川ひかりのオブジェ展。



                              

         掛川~初めて行ったけど、また行きたい。