渦巻き

どこかいった記録など

岩村城址~

2013-08-31 18:52:48 | 城-山城
8月31日

金毘羅神社    岐阜県恵那市山岡町原字大西682番
              
                       主祭神   大物主神(おおものぬしのかみ)
                             崇徳天皇(すとくてんのう)

           
            すごい石段がある。                 

            仁王像?            


            手水舎


               

立派なしめ縄



                   しめ縄~
神を祭る神聖な場所を他の場所と 区別するために張る縄。
また、新年の祝いなどのために家の入り口に張って悪気が家内に入らないようにしたもの。
左捻(よ)りのわらに適当な間隔を置いて紙四手(かみしで)などを下げる。

                
                


        恵那市岩村町~ 
              大円寺 棚田
          棚田とは、山や丘などの斜面に階段状につくられた小さな田んぼを言う。
          地域によっては「千枚田(せんまいだ)」「谷津田(やつだ)」とも呼ばれている。
          一般的には、傾斜度が20分の1(水平距離を20メートル進んで1メートル高くなる傾斜)
            以上の田んぼを表す。

                  
          
                      
                                  
      緑がとてもきれいだ~。この日は、ダムでも見かけたが、雑草を刈る日だったのか蒸し暑い中、
地元の人たちが草刈りをしていた。
こうやって人が手を入れてるから美しいんだ。

                     
稲穂も見事に実っている。

                    
                
スカイツリーには行ったことないけど。

                                    
             標高634mからの景色

                       
垂松瀑(すいしょうばく)(かつて 不動様を祀ることで不動滝とも云う)                         
                   
              滝の音が涼やか。                    

               岩村ダム

          

            


              
  恵那市岩村町富田
この一 帯は窪地・湿地で、ハナノキの自生に適している。
杉・桧と竹林の中で競って育ったためか、その径90cmの大木は、
地上6mまでまったく枝がなく、樹高約 30mに及び、他に抜きんでている。

                  
 大圓寺(だいえんじ、大円寺)は、美濃国遠山荘の地頭であった遠山氏の菩提寺で、
 南北朝時代の建武2年(1335年)から戦国時代の末期の
 元亀3年(1572年)まで美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市)に存在した臨済宗妙心寺派の大寺院。
 武田信玄の家臣の秋山信友が岩村城の遠山氏を攻撃した際に
大圓寺を焼討ちしたため消失した。
 寺跡は恵那市指定史跡となっている               
 大円寺跡
             
東濃三大名刹の一つと言われ、約15haもの広大な敷地と常時100名を越す修行僧が居た
大圓寺の建物群は、武田勢に焼かれて、貴重な文化財や記録もろとも全て消失し、歴史の幕を下ろした。
同時期に大圓寺のみならず周辺地域の寺院も武田勢により焼き払われて消失している。




 長益神社(ちょうえきじんじゃ)         岐阜県恵那市岩村町富田

        主祭神    長益大神(ちょうえきおおかみ)
             
  
   ちょっとした鬱蒼。なんだか蛇が出そうなので上まで行かなかった。


           マンホール蓋のデザインは町章と稲穂とわらじ、傘、水田ということです。

岩村城址。

        

           村城は、大和の高取城(奈良県)備中の
松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城。
        城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、
        高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、
        霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とも呼ばれている。



     

              (財)日本城郭協会が認定する「日本百名城」に選定された山城。
            (岐阜県内では岐阜城と岩村城跡の2ヶ所のみが選定)。
            本丸周辺の石垣は“東洋のマチュピチュ”と呼んでも相応しいほど、
            遺跡をもイメージさせる壮大なつくりである。 

     山城と山麓の居館からなる中世の構成。     天守はなく、追手の三十櫓で代用。



       
マチュピチュは行ったことないけど。
                                                    

 
         
        










現在見られる石垣造りの近世城郭は、徳川譜代の
松平家乗の整備によるもの、ということだ。


   
     
       
 岩村城は小高い山の頂にありながら、他の山城に比べて圧倒的に多い17箇所もの井戸があった。



 
        帰り道に寄った。  
        
 

          
ひっそりとしたキャンプ場。夏休みも終わりか。





あいち健康の森~石巻山~岩津天満宮

2013-08-25 16:15:16 | 寺社-三河
8月25日 雨

 ハスの花を見に 大府市の あいち健康の森公園へ。

              いのちの池、上池。

                    


                  もうハスも終わりか。
 
       

                     
         

                カモさんは、近づくとハスの葉の中へ隠れたりバタバタしたり、警戒している。





石巻神社   豊橋市

社伝によれば孝安天皇の頃とも推古天皇の頃とも言われるが詳細は不明。
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。豊橋市内唯一の式内社。
              元々は石巻山自体が信仰の対象と推測される。
              吉田城の鬼門にあたるため、吉田城築城以来、
              歴代城主の信仰を受けていたという。


神社は石巻山の麓に本社(下社)が、中腹に山上社(上社)があり、
山上社では旧暦1月14日深夜から15日明け方にかけて幻想的な管粥祭(くだがゆまつり)が、
本社では4月中旬に鬼祭が賑やかに開催される。
 

               
          
                 
                   雨が降ってきて、木々が生い茂って薄暗いし誰もいないし、さびしい雰囲気。
                   

            

         手水舎


                   

             正一位(しょういちい)は、位階及び神階のひとつ。
              諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位に位し、
従一位の上にあたる

                

   そろばん状のものついてます   
     百度参りの方法は、社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻る
     ということを百度繰り返す。俗にこれを「お百度を踏む」という。

   社寺の入口近くに、その目標となる「百度石」という石柱が立てられていることがある。
   回数を間違えないように、小石やこより、竹串などを百個用意しておいて
   参拝のたびに拝殿・本堂に1個ずつ置いたり、百度石に備えつけられている
   そろばん状のもので数を数えたりする
                  

                 
                        頂上まで0.6km 20分。行ってみるか。


             石巻山城址  高井主膳正の居城で南北朝期の創建であるという伝承がある
             
                                            


            
 
この社の中になんか敷いてある。だれかここで寝泊まりしてるんじゃないか?と旦那。
      確かに変なマットレスみたいのがある。思わず周りを見回しちゃったよ~。


                 
                    おい、大きな蛇の穴があるぞ!!  


               
               
                  本物のヘビがいるわけじゃないよね。でも穴に何かいそうで怖い。


              
               頂上付近、すごいよ。まさかこんなすごいところだと知らずに
               つっかけ、トートバッグ、傘で来てしまった。猛烈に汗かいた。


                
                  頂上。靄が晴れて素敵な風景が。標高は358m。

               
                   緑がきれいです。でも足元には気を付けてね。  

          帰りの林道で、うり坊が2匹 車の前を横切って行った。
          ということは、親イノシシもどこかにいるのかな?
           出会わなくてヨカッタ!!!



お昼は、とろろ定食を、山小屋風のお店で。、、、素朴な味。



                岩津天満宮  岡崎市岩津町東山53  標高85m
              一条の光とともに芭蕉の葉に乗った菅原道真公の御神霊がこの聖なる
              岩津山に降り立たれた~!
  とのことです。    
          
                   すごい雨になった。しかしこんな雨にも関わらず参拝者はいたのだ。
                   一人で来ていた男子以外はすべて親子の参拝。祈祷をうける親子も。
                   毎月25日は合格祈願特別祈祷ありますから!
               
               余りの雨でたじろぐ。しばし雨宿り状態。   
                
                   
           

        
手水舎


                  
                  ハスも植えてあり、いいところです。

                   
                         これはなかなかおもしろそう。この看板がいいね!
                         正、五、九、どうして天神様のちからが高まるのかな?
                         でも、いかにも合格しそうだ!
しかし、肝心の受験生、鳥居くぐりやってくれるか?
                         楽しんでやれる子はいいけど。
                         実際どうなんだろうね。
                         9月22日に来てみたいよ!!!   




鳥の巣

2013-08-23 21:20:20 | 日記
外階段を通り過ぎようとすると、いつも鳥が間近でバタバタと飛び立っていくのに
驚いていた。
ただ、あ~びっくりしたで終わっていたけど。
今日初めてそこに鳥の巣があることを発見した。


                   



                
                          下から見たところ


                 
                     なんやかや、引っかかってるわ。


                         





            どこの木も生い茂ってくると、バッサリ剪定しちゃうしね。

            
            やりにくいよね、鳥さんも。

神社め~ぐ~り~

2013-08-20 14:37:17 | 寺社-三河
8月18日  猿投神社~足助神社~足助八幡宮~松平東照宮~高月院

  愛知県豊田市猿投町大城猿投神社 の標高は 約139.88m
  猿投神社
三河国の三宮のひとつに数えられています


主祭神は大碓命。古墳時代の皇子で、日本武尊という名で知られる小碓尊の双子の兄にあたります。
大碓命はそんな弟、小碓尊に殺害されたとも、父、景行天皇(けいこうてんのう)の命に背き、
逃亡したことで美濃国に封じられたなど、英雄的な扱いである弟とはまったく逆に出来の悪い兄として
知られています。が、他説やこの地によれば、大碓命はこの地の開拓に力を入れ、
最期には猿投山の山中で毒蛇に噛まれ亡くなられた、といわれているなど、
他に比べ、少しは救いがあるのが印象的。その後、大碓命は猿投山に葬られ、
この地に神として祀られました。墓は現在も西の宮に建てられています。

毎年10月には猿投まつりが開催され、日本武術の形をした踊りの伝統芸能
「棒の手」を披露、奉納することで、多くの観光客から注目されています。




  猿投山は日帰りトレッキングスポット
  標高は629メートル。


  



       御祭神が「大碓命(おおうすのみこと)」であることです。  
   大碓命は景行天皇の第一子ですが、日本武尊とは双子の関係にあり兄弟でした。
   景行天皇は日本武尊に西国の平定を命じ、尊は無事平定を成し遂げ大和に帰ったのですが、
   次に東国を平定しようとした際に「今度は兄の大碓命が行くべきだ」と主張したそうです。
   ところが大碓命が拒んだので、やむなく日本武尊が東征に赴くことになったのでした
 

  
   
   日本武尊に双子の兄がいたなんて知らなかった。


                 


               
                足助神社

                  鎌倉時代末期に、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の旗をあげ、
笠置山に立て籠ったときの
                  篭城軍総大将となった武将 足助次郎重範を祀る。この時の戦は、
                  歴史上「元弘の変(1331年)」と呼ばれている。
                     足助次郎重範は弓の名手であった。
   
               
                


            足助八幡宮
 
           本殿は、国の重要文化財。1466年に再建されたもので、室町時代の特色が遺されている。   

              境内には、わらじの像が置かれている。
その昔、「足を助ける神」として信仰されていた。




         
                         龍とカエルの手水舎




    松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖松平親氏をまつる神社。
   松平親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡を勧請したのが
はじまりであると伝えられている。
                      



          手水舎                      



             ここに落ちたら怪我するよ。                           
                       

                              
                  産湯の井戸
           現在あるものは、
          7つあった井戸のなかでもっとも古い井戸と言われている。
          松平家では代々、この井戸の水を産湯に使っていて、
          徳川家康も産湯として用いたと言われている。 
 
                             ハチがブンブン飛んでいて、
日傘をブンブン振り回しながら参拝。
                       


          

            松平郷園地内の天下池、ハス(蓮:ハス科の多年生水生植物)の花。   
      
               


                  月院は、松平氏の菩提寺。元々は「寂静寺」といい、
          在原信重(親氏の妻の父親)が建立したと言われている。
          親氏が1367年に本尊阿弥陀仏をはじめとした堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、
          松平氏の菩提寺になったと伝えられている。
       家康は寺領百石を寄進し、以来、松平家・徳川家ゆかりの寺として、
        明治維新まで時の将軍によって手厚い保護を受けてきた。現在の山門や本堂は、
      1641年に徳川家光によって建立されたもの。松平氏の歴史に深く触れられる。
                
              


                  お釈迦様の足跡。仏足石は、インドにおいてお釈迦様の代理を意味し、
           そこで説法されたことを示す。足裏には、
千輻輪相(せんぷりんそう)という図が描かれている。
           
           



徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏




                  
              
                                         
                      
                      松平郷 松平城址

                       松平氏・徳川氏の始祖とされる松平親氏(まつだいら ちかうじ)が、
                  松平館の詰めの城として築城したと言われている。


松平親氏-泰親(やすちか)-信光--親忠(ちかただ)--長忠(ながただ)--信忠(のぶただ)--清康--広忠--家康
           家康は松平九代目として誕生。二十四歳の時徳川姓に変えた。


                                     
                       松平館からほど近い、標高298mの山頂に築かれた山城。
                
   

 
                        駆け上ってまいりました。





甚目寺

2013-08-17 17:02:08 | 寺社
            4観音ということで、甚目寺観音に行った。

    お昼は、東区の「十の字」というこじんまりとしたお店で食べた。
    冷たいパスタおいしかった。






鳳凰山 甚目寺  8月17日

    山号は鳳凰山。
鎮守として、式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ、元、八大明神社)があったが、
神仏分離令の後、境内を分けた
   

   本尊  聖観世音菩薩

  宗派  真言宗智山派
 
           

甚目寺は尾張四観音の一つで、現在は真言宗に属する古刹である。
現存する三重塔は寛永4年(1627)、東門は寛永11年(1634)の建立とされる
       

豊臣秀吉公から寺領160石、徳川義直公から300石を
受領している。

               徳川 義直(とくがわ よしなお)は、江戸時代初期の大名。
               徳川家康の九男。尾張藩の初代藩主で、
尾張徳川家の始祖である


  
     
                      南大門(仁王門・重要文化財)








           
                     カエルの手水舎





            
                       三重塔


    現存する三重塔は、各層とも三間四方であり、屋根は本瓦葺とする。
     江戸時代の建立でありながら、和様{唐様(からよう)に対することばで、日本風、
       日本様式をさす語}の伝統を遵守優美な姿となっている。
     高さ(28m)





    東門は、2本の主柱の前後に4本の控柱の付く四脚門であり、
     屋根は切妻造、銅板葺としている


      


  
                      本堂
           


            
                                     六角堂






                                              釈迦堂
                     


                寺にいたのは自転車で来て炎天下だべっていた中学生のみ。

                 2013年、夏休みもあとわずか、、、。 
               
                    大人の盆休みは終わりだ、、、。少しは涼しくなってほしい。