渦巻き

どこかいった記録など

アンコールワット3~

2013-12-28 11:37:50 | 旅行
   


    



     

      
       夕食はビュッフェ、伝統舞踊アプサラの舞鑑賞。

       前にいた白人の方たちはたくさん召し上がりデジカメでバンバン、ショーを撮っていた。


      明日は朝早いからね。夜明け前に出るのだから。

    
      朝日を見るツアー。


     
      たくさんの人が朝日ツアーに繰り出している。
       うすぼんやりと朝日が昇ってきた。
      ここにも、シルク?を売りに来ている現地の方々がいる。
      早起きだ~~~~!!!でもこんな朝っぱらから
       だれも買う様子はない、だけどそんなこと全然気にしてなさそう!



     
       ホテルに戻って朝ごはん。あひるの卵。



    バンテアイ・スレイ
     「女の砦」の意味を持つ。外壁は赤色砂岩とラテライト。屋根の一部にはレンガも使用された。
     
 

                  
                       踊るシヴァ神。

             
                




    タ・プローム 
     樹木に覆われた寺院。
      

            


             エコーの祠堂 
                     胸をたたくと反響してエコーが響く。
                    
                      




      
      昼ごはんはクメール料理。 このお店で2か所蚊に食われた。




        
        
   オールドマーケット。
   ガイドのチュンさんがぼったくりじゃないという店にみんなを連れて行った。
   でも、みんなあんまり買ってる様子はなかったな~~。

   どこでも買い物してたのは、中高年の1カップルのみだ。


       

        売り物の単車の後ろに魚の干したのとか売っている。
        雑多な感じ。アジアって感じ。  

               
        


             
         どこかのお家にあったような、、、。




    タ・ケウ「クリスタルの古老」という意味を持つ。
   
  
    修復中で中には入らなかった。




    バンテアイ・クディ「僧坊の砦」の意味がある。
   
  
   定期的に上智大学アンコール遺跡国際調査団によって調査が行われている。     
     
  
    




     ニャックポアン 「からみあうへび(ナーガ)」の意味がある。
     一辺が約70mの中央池の四方に小池が配置されている。
   


         
 パラパラと雨が降った。日傘で十分だった。
   
現地の子たちが泳いでいた。
                        日本だったらきっと遊泳禁止看板がありそうなところ。




    ベン・メリア「花束の池」という意味を持つ。
     アンコール・ワットから東へ約50km

    
   東側テラスの欄干部分 保存状況のいいナーガ。


   
   修復が施されないままの寺院。

   
            

 
                 

          
          こんなお土産屋さんがどこでも見られた。   
  

  ここでガイドはおしまい。
   最後にみんなガイドのチュンさんと写真を撮っていた。
    チュンさんはみんなの写真係になっていて撮るとき、
    撮りますよ~「5ひく3は」とか「オッパッピー」とか「にこにこぷん」
    とか言っていたけど、撮られるときは何も言わなかったので代わりに私が「オッパッピー」と言った。


    
     ホテルを出たところにあるフィッシュマッサージ屋さん。 



  
   搭乗手続きまで時間は十分ある。
   まず、マッサージに行くことにした。
   アロマオイルの60分コース。



スタッフさんに全部脱いでください、、、って言われて「えっ?パンツも?」って聞き返した。
  ニヤリと笑ってうなずかれた。 なんせマッサージは初めての体験ですから。


   60分あっという間だ。    気持ちよかった。90分コースでもよかったわ。

    肩の痛みはなくなったよ~。


    ただマッサージ前にトイレに行ったのに終わり近くはまたとってもトイレにいきたくなった。
    娘も同感想。    なぜ?



    それから国立博物館へ行った。カメラは入口に預ける。

   蛇を引っ張る神々。
                     


    日本語の解説もあり、遺跡の細かいところなど間近に見ることができる。
    

    博物館にいる係の方(通常、椅子に座っている)が持ち場を離れて携帯で長電話していた。
    ここはあなたの部屋なのね。



    博物館のショップでお土産用のお箸を買った。

    レジの係の人が、単品で買うよりセットで買ったほうがお得だと言う。


    確かに6膳のセットは、1膳の値段が一体なんだったの?というくらい安い。

    なんだか割り切れない気分だけど買った。


     小さいポーチも買った。
    
    かわいいシルクの買い物バッグは5000円くらいした。値切ったけどダメだった。
     買わなかった。



     博物館内のカフェでお茶した。

     
     氷は大丈夫か?
     見ていたらペットボトルのミネラルウォーターを使っていた。


     
 
                                     物館からホテルに戻ってスーツケースを受け取る。


    
     空港にはマイクロバスで行った。シェムリアップ 19:45発。
     
     到着して搭乗手続きの順番待ちをしていたら空港が停電した。
      

        
     建物内が真っ暗に。

     観光客の荷物を運ぶベルトコンベアーもパソコンも止まったみたい。

     結構、混雑してますけど~~~。ありか?

         

     しばらくして復旧。

   


    空港で娘はまた会社の方への買い物。
    買い物が終わってから、空港内でフォーのようなもの(フォーかな?)を食べた。
    ぼやっとしてたらすでに搭乗が始まっていて、ゲートには乗客はだれもいない。
    慌ててゲートに入る。

    ここからハノイに行くのだ。

     

    ノイバイ空港/ハノイ着21:25。
    ノイバイ空港/ハノイ発00:20.

         

    途中、機内食もでたけどうつらうつら寝たり起きたり。
     

  朝7時前にセントレア到着。

     
    早朝でとっても空いている名鉄ミューで帰る。

    おなかも壊さず帰れたよ~~~。


    おいおい、感想はそれだけか~~~。



    
     
    







     

  

     


   






      

橦木館~二葉館

2013-12-26 20:08:20 | 名古屋市内
12月14日   寒い

      名古屋市東区


   文化のみち橦木館(しゅもくかん)は、陶磁器商として活躍した井元為三郎が
   大正末期から昭和初期に建てた邸宅です。


 

       
           ゆっくり歩ける散歩道。

           橦木館、二葉館 共通観覧券 大人320円。

靴脱いで上がる。お茶もできる。

        
                  

 

    蔵。  東西2棟の土蔵があり、西土蔵1階は貸室として利用できる。
            



         
          館内なぜかドイツ製のおもちゃの電車が走る。
          


      





         
         この鳥が飛んできたら柿をついばんでいた雀たちがぱぁ~っと逃げて行った。
                   



         

           二葉館~~~名古屋市旧川上貞奴邸
   大正9年建築、「日本の女優第1号」の川上貞奴と「電力王」福沢桃介が、
大正時代に居住していた和洋折衷の建物で、当時は「二葉御殿」と呼ばれた。

創建当時の姿に移築復元し、平成17年2月に開館。川上貞奴関連の資料や
郷土ゆかりの文学資料、当時のステンドグラスや照明器具など調度品も展示されている
         


     貞奴は1871年7月18日生まれ。蟹座。

     川上音二郎1864年2月8日生まれ。みずがめ座。

     福沢桃介1868年6月25日生まれ。蟹座。

        
        当時、1階は十四間あり、舞踏会ホール、食堂、ティールーム、執事部屋ほかビリヤード室もあった。
 
        
    屋根裏部屋には発電機が置かれていた。

    母屋の傍らには、厩舎、車庫、守衛小屋、庭師の家まで。

    桃介はパッカードを所有していた。


    
  桃介の誕生祝いには百人からの客があったという。



  
   貞奴さんの着物が展示されている。

   
    桃介が65歳、貞が62歳の時、貞は桃介をふさのもとに返すことにした。
    ふさは桃介の妻。
    桃介をふさのもとに返した後、貞は二葉御殿を売り払った。
  
   1938年2月15日、70歳を目前にして桃介は亡くなった。
    


   1946年12月7日   貞は75歳で亡くなった。



    



岐阜城

2013-12-22 19:50:37 | 城 -東海
12月22日   晴れてきたか。

  でも寒いっす。


   金華山は市の中央に位置し、標高329m。かつては、稲葉山と呼ばれていました。
   山頂には岐阜城がそびえ、戦国時代には歴史の表舞台にたびたび登場しました




      岐阜のKさんが金華山は一日に2度登る人もいるんだよと言ってましたが。
        本当か?
      そんなに普通にハイキング的か、、、。行ってみたいと思ってから半年ほどたってしまった。


      今日、ようやく行くことにした。 
      最近まともに本を読んでいない。
      名古屋駅で 「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」を買った。
       JR大垣行きに乗る。

      岐阜駅。ツリーが飾ってあった。


      バスに乗って岐阜公園駅まで200円。


     
        七曲登山道。 おじさん連れ、単独おじさん、中高年ご夫婦~いろいろな方が登山口に。


  
 
     さあ、行くか。
          


    ずんずん歩いていくうちに暑くなってきてまずダウンを脱ぐ。

     汗かいてきた、マフラー、帽子、手袋も外す。


    11時半くらいから登り始めたけどこの時点で下山している方たちとすれ違う。

        


     犬の散歩をしている人も。

     さすが道幅がある歩きやすい登山道。



      と、そのうち霰が降ってきた!!! 寒いんだ。ガンガン歩いているから汗ばんできてるくらいなのに。



 岐阜城。

   金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により
   初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は
   難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした
   戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。
   その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。
   信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています



   1539年 道三は、稲葉山城を修築。
   山頂に天守閣・米蔵・武器蔵・貯水場などをつくり、山すそに家臣や奉公人などの
   建物を建て、二重の堀と石垣をめぐらした。

   岐阜城は1601年 壊され、以後廃城となった。   


    武将隊さん。
       一番前で見得を切っている男の子さんしっかりしているよ。
    

    
 天守から。

      お昼を食べてから資料館へ。休憩したら体が冷えてきた。

       

    帰りは めい想の小径ルートを行ってみることにした。   

      
いきなり「ええっ!」って感じの急で狭い道が、、、。  この道で めい想????ってくらいの
 急な道だ。ゆる~い坂道を想像していたので、、、。


 長良川が見える。
   

    

        めい想の小径って歩いていくうちに理由がわかった。

        この道は単独の男の人(若いのからお年を召したかたまで)が多かった。




      

        風が強く寒くなってきた。  バスでJR岐阜駅に。普通電車で名古屋まで帰る。

      

 
  ジュンク堂で本を見る。  それから「ノリタケの森」へ歩いていく。
  風が冷たくてとても寒い。

    
      クリスマスのイベントをやっていた。


   




今日は本当に寒い、、、。でもたくさんの人が来ている。





     
      

 
      名古屋駅周辺もライトアップ。
    
       





 ここからバスに乗って帰った。   
      バス待ち後ろにいた若い女の子二人出連れさんが「寒い、寒い、帽子がほしい」と言っていた。
      厚着をしなされや、特に首回り、足首も、、、心の中で言った。
    

    19500歩。歩いた。




常滑~大野城~名古屋学院チャペル

2013-12-21 19:46:19 | 陶磁器
12月21日   雨~曇り~晴れ~  寒い  ちらっと霙も、、、。



 ~常滑やきもの散歩道~
      風が強い。
     陶磁器会館~ Aコースを歩こうと前の二人連れの女子に
      ついていこうとしたのにすぐ迷子になりそうになった。汗です。

     


      1.常滑焼の始まり

 西暦1100年頃(平安時代末期)に知多半島の丘陵地を利用して焼物を焼く
   窯(かま)が築(きず)かれるようになりました。それらの窯では釉(うわぐすり)を掛(か)けず
   粘土を焼き締(し)めた碗(わん)や鉢(はち)、壺(つぼ)、甕(かめ)などが焼かれ、その中でも
   甕や壺にこの地域の特徴が現れています。


   日本六古窯(常滑、瀬戸、信楽、丹波、備前、越前)の一つに
   数えられている。






       
     狭い道、坂道。   坂の上の何かを見ながら歩くよ。♪

      


        
          廻船問屋瀧田家。  江戸時代から明治時代に廻船業を営んでいた瀧田家。



     
      長持 
和櫃(わびつ)の一種で、衣類や蒲団、調度品等を入れておく長方形をした蓋(ふた)付きの大きな箱。
       両端に金具があり、棹を通して二人で担ぎ、運搬用にも用いた。
       かつては、花嫁が輿入れする際の必需品であった
    


        長持歌~  蝶よ花よと育てた娘~~~


       
      瀧田家が廻船業を始めてまもなく(1850年頃)建てられた居宅。

     廻船業
    積荷の売買に関連して船主のために積荷を集めたり、船主と契約を結んで
              積荷を運送したりする運送取次・取扱の役目を果たした



       知多半島では常滑の窯業とともに酒や酢なども盛んに作られて江戸に運ばれた。

         
          お昼は、しょうゆラーメンを。  煮卵をトッピング。あっさりした味。



        
       そしてまた歩き出す。



 こちらのお店ではこの中のあるものを買った。       

 この中のあるものも買った。



    


      







             
       高いところに来ると常滑ボートの音が聞こえる。




      
   考える人、常滑のたぬき?常滑の急須、壺から噴水、奥には土管の中の金魚。ひきつけられるんです。




                  
     歩いていた小学生くらいの男の子がイカだ! って言ってたけど タコだよね。





     この店ではパンを3個買った。 
 

     
       このお店にとても気になるご飯茶碗があった。


 こちらのお店の方に常滑焼のことについていろいろ教えてもらった。
写真は暗くなってしまったがとっても素敵なものがたくさんある。
香炉を買った。



      行きの道で見つけた。小高い山の上。
       
         大野城址。
       浅井長政とお市の方の末娘として生まれた3代将軍徳川家光の母、
         小督の方の最初の嫁ぎ先となったのが大野城(宮山城)。

         古間瀬城址の小督の局の墓、この方だったのか、、、?



 
           ベンチでバイオリンの練習をしている若者がいた。
           だれもいない、思いっきりやってくれたまえ、と心の中で言った。       

        

 


     
       城址展望台から。

          ここは昔、佐治の城があったところで、古くは宮山城とか
          大野城と呼ばれていました。
          城主佐治一族については、いろいろな話が伝えられていますが、室町時代の終わり頃の
          戦国時代に四代の城主が続いて勢力を張っていたと思われます。




      
 佐治神社。
         いつも同じお願い事です。


        
 
          帰り道途中、名古屋学院大学 名古屋キャンパスのチャペル。
                                        
       名駅に車で行こうとしたけどすごい渋滞。クリスマス近くは本当に動かない。
         途中で引き返した。






      


      


     

名古屋陶磁器会館

2013-12-16 09:32:56 | 陶磁器
12月13日   寒い

        名古屋陶磁器会館



       クリスマスで彩る陶磁器会館
         12月1日~12月25日


    
         〒461-0025 名古屋市東区徳川一丁目10番3号

      タイル壁や半円窓、軒下の装飾などが特徴的な表現派風建築。
      


    

         クリスマス~~~
        
  

      昭和7年、当時の名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として建設。
      館内はレリーフのある天井などで、アールデコ調の雰囲気が残っている。
      かつて輸出された数々の魅力的な陶磁器製品が所狭しと、陳列されている。



         
         
        節電なのかな~中は窓からの光のみ。   
        薄暗さとし~んとした空気と。


         


 天使たち~音楽が聞こえてきそう~   


            

             クリスマスはやっぱり音楽がなくっちゃ~♪って雰囲気が伝わってくる。
              楽しそうだよ~~



         赤帽子の小人さん。 

                     


    レトロですわ。



          脱力できます。        
            


       あ~家の電飾出さねば。
 
           
          
 大きなのっぽの古時計~~~♪おじいさんの時計~~~



           販売もしている。