渦巻き

どこかいった記録など

あいちトリエンナーレ 岡崎~

2013-09-28 19:32:17 | 美術館
9月29日  晴れ


あいちトリエンナーレ 岡崎。

  名古屋駅から名鉄、、、内海行に乗って
  阿久比手前で、間違いに気づき金山まで引き返した。
  10時には東岡崎に到着する予定だったが
  大幅に遅れて11時ごろ到着。
  ちょっと悲しい。
  

  東岡崎会場~  広告掲示板? 気が付かなかった、、、お汗です。

  康生会場~ 4番乗り場 バスで行った。マナカ使用。
 
  岡崎シビコ3階。3階まで普通に営業している普通空間。
  革製品のお店で皮ひも2本買った。210円。





  会場は
  入るといきなり暗いんで、、、結構驚く。
。 

  
     

  スタッフさんが、存在を消しているのでハッとする。
   実際、驚いて声をあげた方がいらした。
    

    

    このビルのこの階は放置された いわば仮死状態の空間という感じ。
   
    作品との相乗効果を感じた。

    




    屋上もすごいぜ!!!(晴天なら特に)



    歩いて松本町会場へ。
  
    途中にあった あんかけスパゲティのお店で
    タルタルチーズ? を食べた。
   
    公式ガイドブックの地図を頼りに行ったが
    前を行くシビコ会場で見かけた若いカップルに着いていったら
    どうも2本くらい違う道に入ったみたいなので
     引き返した。
     



   



    

    旧連尺ショールーム。
    暗闇に浮かぶ、、、そして足元の、、、。



   


   
   作品はスバラシイ。異空間に行った気分。




   会場移動では、ちょっと迷った。

   スタッフさんかと思って道を訪ねようと声をかけた方も
   シビコ会場がわからないと言っていて、
   お互い自分の行った会場を案内した。
   この方は、北区の方だった。
   納屋橋会場も長者町も市美術館も県美術館も
   観たと言っていらした。



   

   
   


    
  
  

   

一乗谷~永平寺~丸岡城

2013-09-23 21:33:00 | 城-北陸
  9月14日  

   特急しらさぎで 福井県へ。

   

  福井には10時に着き、観光案内所で自分のプランに助言を頂いた。
  三連休というもあり1件目のレンタカーは予約がいっぱいで
  すぐに手配はできないとのこと、で2件目でカローラを借りた。
  
  福井城址(現在は福井県庁)~一乗谷~
   平泉寺(天台宗に属する白山信仰の勢力、白山は古代より山そのものを神体としてみなした
    原始的な山岳信仰があった)
~丸岡城~永平寺~  この中で
  平泉寺は少し距離があるのではずし、まず一乗谷に向かった。



  
  一乗谷朝倉氏遺跡に向かう途中に、一乗谷水の駅の三連水車を見学。
  
 
  そこから一乗谷朝倉氏遺跡へ。いいお天気で暑い。

  朝倉氏は応仁の乱をきっかけに台頭してきた
戦国大名。五代にわたって栄えた。

   文化的に円熟した城下集落、防御力に優れた城を築いた。

  
  
  復原街並みと朝倉景鏡館跡などを見て回るのに、結構時間がかかった。
  一乗山城(館の東側尾根にある海抜473mの一乗谷の頂上付近の山城。
  戦国時代の山城の代表的なもの)
  は行けなかった。
  見るところがたくさんある。
  広いので天気がよければ、半日はいられそう。

   
   ゆめまるくん

  
  
  
  発掘された建物は、礎石を用いたもので通常の戦国時代の城の屋敷が
  掘立柱(地面に穴を掘って直接立てる柱)を用いていたことを考えると
  かなり上等なつくりだったことがうかがえる。
    

  
   特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡
    朝倉館の跡に残る唐門。

    遺跡の構成は、谷を中心に平常時の館群を置き、非常時用の
    城を山の上に設けた。



   
  
 
   一乗谷は足羽(あすわ)川の支谷で南北に長い。

    


  
  特別名勝 一乗谷朝倉氏庭園
   庭石には海石も使われた。

     


  
  
  福井駅で買った かに棒すしをベンチで食べた。
  かに弁当が売り切れだったのでこれにした。


  一乗谷朝倉氏遺跡から一乗滝へ。高さ12m。
  
  駐車場から歩いて1分くらいのところにある。
  滝が間近で、足場も悪くない。




  
  永平寺。民間の駐車場に。400円。

  曹洞宗大本山永平寺は、今から約750年前の寛元2年(1244年)、
道元禅師によって開創建された出家参禅の道場。



  
  内部を見て回った。延暦寺は山を歩く感じだったけど。

  誰かが 永平寺ってもっと厳粛な感じだったと思う、と言っていた。
  これだけ人が多いと。

  


  
    十六羅漢は,仏法を護持することを誓った
16人の仏弟子で,五百羅漢は,
    仏の滅後に行われた第1回目の
経典編纂(結集(けつじゆう))に集まった
    仏弟子を指すといわれる。

  


  
  観光客も多く流されるようにさらりと見て周る。



  最後は丸岡城。3時前に着いた。
  福井県坂井郡丸岡町

  


  この時間なのに駐車場は結構一杯だった。


  
   北陸方面の最前線基地として、柴田勝豊(柴田勝家の甥)が築城。

   
   現在残る天守の中でも、最も古い形態を残しているといわれる。

天守と移築された不明門が残る。


   天守だけが単独で構えられる独立式。
   天守へ直接出入りできる引き戸などが備えられているのが特徴。

   

   石瓦葺の初期望楼式天守。
   笏谷石(しゃくだにいし)とよばれる凝灰岩(ぎょうかいがん)でつくられた石瓦。
   凝灰岩は福井市の西郊外、足羽山から産出。
   雪の多い福井県周辺の城によく使用された。
   冬に瓦が凍結して割れることが多かったので通常の瓦を使用しなかったとされる。


   
   雨水処理のため腰庇の板屋根。
  



  
   昭和15年の修築時に作られた石製の鯱。
   

     


  
 
   この急な階段、登るときは わ~急だなあ~とか、、

    降りるときは前向きに降りるの?!とか、、、みんないろいろ言いながら慎重に降りていく。

   

  


  
  丸岡城天守では多くの狭間が空けられている。

  


  
  その後クーラー前だけやけに冷える資料館を見たり。





  帰りは、ラムネソフト300円を食べた。
  どこかの家族連れのお父さんが ビミョーと言っていたが
  さっぱりした味。シャーベットみたい。

  ここから福井駅は車で30分くらい。
  今からでると4時半頃着く。
  ほんの少し渋滞したがスムーズに8号線を走る。
  レンタカーを返し終えて4時45分くらいだった。
  

  17時37分発までにはまだ時間があったが
  疲れていたので福井城址は断念した。
  ここから歩いても10分くらいみたいだったけど。




  福井駅のお土産やさんで、ホタルイカの漬けたのとか、イカせんべいとか かに弁当を買ったりした。
  ホームの椅子で休憩した。
  

  名古屋駅から市バスで家まで帰った。いい感じに疲れた。


  しかし、家に帰ってから駅でダラダラしていた時間に
  北の庄(柴田勝家の城、賎ケ岳の合戦で秀吉に敗れた後、炎上)
  城址に行っておけばよかったと思った。


  
  一乗谷山城も行けなかったし、また福井に行きたい。






 


    


  
  
  
  
  

   
  

大給城址~梟が城址~丸根城跡~古瀬間城址

2013-09-16 09:42:52 | 城-山城
9月7日

 曇 ときどき 雨。

 大給(おぎゅう)城址  標高204m

    松平親忠の次男乗元が大給松平の祖となって六代まで続いたが
    1590年徳川家康の関東移封にしたがって上野国(群馬県)移り
     大給城は廃城となった。



 
 山城~
 戦国時代の城の多くは険阻な山の上に築かれた山城だった。
 山城の多くは土造りだった。
 少ない工事で築城でき、高い防御効果が得られる。
 狭い曲輪が多く、城の構造は複雑だった。
 
 地形の厳しさから平時の生活には向いていなかった。


 縄張り」 城の設計図。堀や塁、櫓の配置など。
 「曲輪」  城内の区画。
   縄張りの基本となるのは曲輪の配置。
 「石垣」  石を用いた石塁。防御施設。 
 「虎口」  城の出入り口・・・門
 「土塁」  堀を掘って土を固めたもの。防御施設。
       戦国の城の大半が土塁。直下の敵に槍が届く高さで作られていた。
       武器が槍から鉄砲に移行するとより高い塁が作られた。
 「堀」   山城ではほとんど空堀。防御施設。
    要所に柵、塀、櫓などを建てる。
  

 

  この看板わかる人にはわかるのかな、、、。
  


   
           ここから登る。


   


   
         手水舎

    
      松平乗元の墓
 


     
      小さい虫が顔の周りによって来てうっとうしい。
      虫がすごすぎる。手で追い払いながらでないと撮れない。


     

虫が顔の周りにブンブン、デジカメのレンズに留まるわで
     じっとしていられない。振り払いながら撮影。
                              レンズに虫。


     目にも留まろうとする!
     なんで顔の周りにくるんだろう?

    

       虫除けスプレーを持ってくるべきだった。
       昔の人は、この虫をどうしてたのかな~?      
        

       
       虫の大群をよけるため まさかのトレイルラン。

        



   頂上。


                

      
         

        
         虫が寄ってくるため、落ち着くことなく走って下山開始。


      
      梟が城址。 豊田市 鍋田町。 標高250m。



  
     やっぱり虫、、、いる。

  
   通り道~~~春には桜がきれいかな。


     
      いきなり巨石が、、、。

      


      
           ホ~ホ~ホ~
            おや?いつもの鳴き方ではないな、とか?          
     
    
       すてきな展望台。階段は登りにくい。

    
    

   
     曇っていて見晴らしはよくなかった。

   
     ブンブン虫は寄ってきます。

 

   
    丸根城跡。  豊田市野見町。矢作川東岸。>


      

   
    標高54m。
    ブンブン虫、、、い、いない。ようやく歩いて見られそう。


    
    
  松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族。  

       
    両側に枯れたあじさいがたくさん。時期ならきっときれいなんだろうね。
    
   
     じっとしていたら蚊に刺された。 
     蚊はもちろん、蛇もでそうだよ。    
 
   



   
  古瀬間城址。  豊田市志賀町。 標高101m。


    狭い道に入っていくので ちょっと心配になったところに出現。
       

  
  


   
     浄願寺 山門~

   
  



   
      古瀬間城、この門の奥でございます。

   



    


  


  
   
     見張り櫓に上ったところ雨が、、、。急いでベランダの洗濯物をとりこんでいるお宅が見えました。


   
  


   
      小督局の墓。
      「平家物語」にも登場する悲劇の女性、、。なぜここに墓が?

    

   
      松平宗忠の墓。
 



     この日は、とにかく虫のせいでよく走った。
       疲れたのでよく眠れた。




松月堂古流いけばな展

2013-09-05 21:51:02 | フラワー
9月5日

 名古屋駅前名鉄百貨店本店 本館7階催事場  午前10時~
 9月4日~9月9日(有料)
  


今年もSさんが習っている松月堂古流いけばな展へ。
毎年、盛況です。
  お花を習ったことはありませんが、これは芸術です。
  華やかなものもあり、控えめなものもあり。HPでも作品が紹介されているけど
  実物はもっとすばらしいです。
    花を活かして 見るものに感動を与える。
     やっぱり長年のお稽古の賜物ですね。


  

   迫力あり。

  

   さまざまな素材を使って。
  


  


  

   
     この朝顔もすごい。
  


    

 お昼は 名鉄百貨店の山本屋の味噌煮込みうどんを食べた。
 





   こちらは、松坂屋南館 現代いけばなアート展 9日まで(無料)


   


    すばらしい作品ばかり。


      




         



       作品は他にもあります。


  名駅から栄、栄から名駅は市バスで移動した。
 
  松坂屋のアフタヌーンティーでお茶した。
  それから、高島屋の物産展へ。
  すごい人。行列している売り場も。
  見るだけのつもりが、高揚していろいろ買ってしまった。
  それから、市バスで帰った。
  

護国神社

2013-09-03 22:10:38 | 寺社
9月3日  愛知県 名古屋市 護国神社

  市役所西庁舎へ行ったのですぐ近くの護国神社へ。
  二男の入試の時、お参りした。
  それ以来、来ていないと思う。


明治2年5月尾張藩主徳川慶勝侯が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、
現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、
その後嘉永6年以降、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの
御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げております。
ということです。



 
     護国神社
  国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社。
東京都を除く道府県に建立され、その道府県出身ないし
縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神とする。




   戊辰戦争
1868年(慶応4)1月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いから
1869年(明治2)5月の箱館(はこだて)戦争までの戦争をいう。
1868年が干支(えと)で戊辰(つちのえたつ)の年にあたるので、この呼称がつけられている。





    
手水舎

        
 
  前来た時、この柱あったかな~。


  
  殉職 警察官、消防員さんの碑があった。 ものすごく大きい。 
  地震の時は、離れた方がいいと思う。
  消防員の碑の方は、伯爵 東郷平八郎書 とある。
   
  東郷平八郎  
   薩摩出身。明治・大正期の海軍軍人。
   日露戦争でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。


  昭和の森~  
  さまざまな碑があった。
   やぶ蚊もいっぱいいた。気が付いたら足には3匹の蚊がとまっていた。
   思わず、声を上げた。

         
           戦艦大和記念碑



         
             海軍飛行予備学生慰霊碑


       
  陸軍少年飛行兵慰霊碑       満州鞍山独立守備隊(第二中隊慰霊碑)


        
         歩兵第二二八聯隊、同大隊慰霊碑

          
      
       パラオ海軍部隊慰霊碑

   
   哀些忠勇戦死碑(戊辰の役、尾張藩)



    平和がいいよ。     

   みんな仲良くしようよ。

   第九の合唱で 笑顔で歌ってって言われた。


   無理にでも笑顔、そしてその先に知恵を使った明るい気配があるといい。