渦巻き

どこかいった記録など

中山道~琵琶峠

2015-11-27 10:34:43 | 寺社-三河
11月5日   曇り






駅から 1.1km    岐阜県瑞浪市釜戸町 

天猷寺(テンニュウジ)ハナノキ門
材はすべてハナノキが使用され、国内唯一のハナノキ門であるとされる



旗本馬場家累代の墓


 
竜吟の滝 入口

 




一の滝



自然ふれあい館    外国人家族が 遊んでいた   




二の滝


三の滝



えびす滝


あんま滝

ず~っと山道   


昇竜の滝

 
梵天の滝



天猷寺から 1.8km    竜吟湖付近

地元の方が 休憩所を設けてくださっていた



トン汁は¥250



 
竜吟湖          すごくもやっていて 全然視界が聞かなかったけれど                  急に ふぁ~って 晴れてきた 






竜吟湖から 3.7km 

琵琶峠 



トイレあり
使用禁止期間:平成26年12月17日~平成27年3月末予定













琵琶峠は麓からの実高80m・長さ1kmで、中山道美濃・近江路で最も高い峠です 
700m余りにわたって石畳がしかれており、頂上直下には八瀬沢一里塚が残っています



一里塚







濡れた石畳  滑りそうになった



石畳終わり       





母衣岩 を見ながら




 大湫宿へ





大樹寺~瀧山寺~信光明寺~伊賀八幡宮~知立神社

2014-03-26 18:11:50 | 寺社-三河
2月23日   晴れ


     朝は寒かったけど、日差しがあり暖かくなってきた。

  岡崎には、国指定重要文化財が多い。

  大樹寺   岡崎市鴨田町字広元5-1
 
     松平家 徳川将軍家菩提寺 
     文明7年(1475)松平4代親忠の創建
             

       大樹寺 三門
         両脇に山廊を持つ三間一戸・入母屋造・本瓦葺。
   

         
    「大樹」とは唐名で「将軍」を意味するという
     

  家康19歳の時、桶狭間合戦により今川義元が倒れたので身の危険を感じ
  大高城から大樹寺に逃れた。

   
        

                          多宝塔  1535年 松平清康公建立 (国指定重要文化財)

         宝物殿には松平家・徳川将軍家の位牌がある
 
   
          家康は関ヶ原の戦い後、寺領として616石余の朱印状を下し、この石高は江戸時代を通じて変わらなかった。


             

      
        廟所  

   
道を挟んで小学校~

        
            ここから岡崎城が見えるらしい、、、

     おでん1本とみたらしを食べた 









   瀧山寺  岡崎市滝町山籠107


   瀧山寺三門 (国指定重要文化財) 
     1267年、飛騨権守藤原光延によって建てられた。県下の楼門の中でも最も古い。
           


    瀧山寺は およそ1300年前に創建された古刹で天台宗の寺院。

        
           本堂   (国指定重要文化財)
       

    聖観音・梵天・帝釈天三尊像 は 国指定重要文化財  
          この日 仏像ラブのご夫婦が感嘆の声をあげていた。
   
     「こんなに間近にみられるなんて!!!!!」
      ふっくらとした背中まで拝見できる。

     Eテレが3月中旬ごろ仏像を撮影にくるということだった。
     

鬼まつりが2月15日に開催されたそう
           松明に火をつけて燃え盛る写真がある


本堂ちょっと焦げてましたでしょ?といわれた。  確かに板に煤が、、、。




   



         瀧山東照宮
                             (国指定重要文化財)

           日光・久能山と並んで日本三東照宮の一つ。


      
                    

                 
                     
             信光明寺   岡崎市岩津町字東山47
                   

                 信光明寺     観音堂  (国指定重要文化財)
   信光明寺は、浄土宗鎮西派に属し、宝徳3年(1451)岩津城主の松平3代信光が、父泰親の菩提を弔うため、釈誉上人を開山として創立した              

         観音堂は、方三間、入母屋造、こけら葺で、浄土宗寺院としては、最古級の禅宗様の仏堂である。        

              

            
              墓所   塀が だいぶすごいことに、、、  




    
                伊賀八幡宮  岡崎市伊賀町東郷中86
       
 

                        手前が神橋
          社殿は権現造りで、本殿、拝殿、弊殿、御供所、随身門、神橋、鳥居などが国の重要文化財に
          指定されてる貴重な神社です。

                      
          ほぼ見るものすべてが重要文化財です。
  そうなんだ。
             
 

 新しい 神橋       


                     




       
                 知立神社   知立市西町神田12 

                  三河国 二宮
                



                                           多宝塔  (国指定重要文化財) 
             現存する多宝塔は、三間四方で、内部には後方に2本の円柱を立て、来迎柱とし、屋根はこけら葺とする

         神社の外苑はショウブの名所として知られる知立公園がある

         

                        
太鼓橋



          
                 日が傾いてまいりました。 帰りましょうか、、。




   

あいち健康の森~石巻山~岩津天満宮

2013-08-25 16:15:16 | 寺社-三河
8月25日 雨

 ハスの花を見に 大府市の あいち健康の森公園へ。

              いのちの池、上池。

                    


                  もうハスも終わりか。
 
       

                     
         

                カモさんは、近づくとハスの葉の中へ隠れたりバタバタしたり、警戒している。





石巻神社   豊橋市

社伝によれば孝安天皇の頃とも推古天皇の頃とも言われるが詳細は不明。
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。豊橋市内唯一の式内社。
              元々は石巻山自体が信仰の対象と推測される。
              吉田城の鬼門にあたるため、吉田城築城以来、
              歴代城主の信仰を受けていたという。


神社は石巻山の麓に本社(下社)が、中腹に山上社(上社)があり、
山上社では旧暦1月14日深夜から15日明け方にかけて幻想的な管粥祭(くだがゆまつり)が、
本社では4月中旬に鬼祭が賑やかに開催される。
 

               
          
                 
                   雨が降ってきて、木々が生い茂って薄暗いし誰もいないし、さびしい雰囲気。
                   

            

         手水舎


                   

             正一位(しょういちい)は、位階及び神階のひとつ。
              諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位に位し、
従一位の上にあたる

                

   そろばん状のものついてます   
     百度参りの方法は、社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻る
     ということを百度繰り返す。俗にこれを「お百度を踏む」という。

   社寺の入口近くに、その目標となる「百度石」という石柱が立てられていることがある。
   回数を間違えないように、小石やこより、竹串などを百個用意しておいて
   参拝のたびに拝殿・本堂に1個ずつ置いたり、百度石に備えつけられている
   そろばん状のもので数を数えたりする
                  

                 
                        頂上まで0.6km 20分。行ってみるか。


             石巻山城址  高井主膳正の居城で南北朝期の創建であるという伝承がある
             
                                            


            
 
この社の中になんか敷いてある。だれかここで寝泊まりしてるんじゃないか?と旦那。
      確かに変なマットレスみたいのがある。思わず周りを見回しちゃったよ~。


                 
                    おい、大きな蛇の穴があるぞ!!  


               
               
                  本物のヘビがいるわけじゃないよね。でも穴に何かいそうで怖い。


              
               頂上付近、すごいよ。まさかこんなすごいところだと知らずに
               つっかけ、トートバッグ、傘で来てしまった。猛烈に汗かいた。


                
                  頂上。靄が晴れて素敵な風景が。標高は358m。

               
                   緑がきれいです。でも足元には気を付けてね。  

          帰りの林道で、うり坊が2匹 車の前を横切って行った。
          ということは、親イノシシもどこかにいるのかな?
           出会わなくてヨカッタ!!!



お昼は、とろろ定食を、山小屋風のお店で。、、、素朴な味。



                岩津天満宮  岡崎市岩津町東山53  標高85m
              一条の光とともに芭蕉の葉に乗った菅原道真公の御神霊がこの聖なる
              岩津山に降り立たれた~!
  とのことです。    
          
                   すごい雨になった。しかしこんな雨にも関わらず参拝者はいたのだ。
                   一人で来ていた男子以外はすべて親子の参拝。祈祷をうける親子も。
                   毎月25日は合格祈願特別祈祷ありますから!
               
               余りの雨でたじろぐ。しばし雨宿り状態。   
                
                   
           

        
手水舎


                  
                  ハスも植えてあり、いいところです。

                   
                         これはなかなかおもしろそう。この看板がいいね!
                         正、五、九、どうして天神様のちからが高まるのかな?
                         でも、いかにも合格しそうだ!
しかし、肝心の受験生、鳥居くぐりやってくれるか?
                         楽しんでやれる子はいいけど。
                         実際どうなんだろうね。
                         9月22日に来てみたいよ!!!   




神社め~ぐ~り~

2013-08-20 14:37:17 | 寺社-三河
8月18日  猿投神社~足助神社~足助八幡宮~松平東照宮~高月院

  愛知県豊田市猿投町大城猿投神社 の標高は 約139.88m
  猿投神社
三河国の三宮のひとつに数えられています


主祭神は大碓命。古墳時代の皇子で、日本武尊という名で知られる小碓尊の双子の兄にあたります。
大碓命はそんな弟、小碓尊に殺害されたとも、父、景行天皇(けいこうてんのう)の命に背き、
逃亡したことで美濃国に封じられたなど、英雄的な扱いである弟とはまったく逆に出来の悪い兄として
知られています。が、他説やこの地によれば、大碓命はこの地の開拓に力を入れ、
最期には猿投山の山中で毒蛇に噛まれ亡くなられた、といわれているなど、
他に比べ、少しは救いがあるのが印象的。その後、大碓命は猿投山に葬られ、
この地に神として祀られました。墓は現在も西の宮に建てられています。

毎年10月には猿投まつりが開催され、日本武術の形をした踊りの伝統芸能
「棒の手」を披露、奉納することで、多くの観光客から注目されています。




  猿投山は日帰りトレッキングスポット
  標高は629メートル。


  



       御祭神が「大碓命(おおうすのみこと)」であることです。  
   大碓命は景行天皇の第一子ですが、日本武尊とは双子の関係にあり兄弟でした。
   景行天皇は日本武尊に西国の平定を命じ、尊は無事平定を成し遂げ大和に帰ったのですが、
   次に東国を平定しようとした際に「今度は兄の大碓命が行くべきだ」と主張したそうです。
   ところが大碓命が拒んだので、やむなく日本武尊が東征に赴くことになったのでした
 

  
   
   日本武尊に双子の兄がいたなんて知らなかった。


                 


               
                足助神社

                  鎌倉時代末期に、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の旗をあげ、
笠置山に立て籠ったときの
                  篭城軍総大将となった武将 足助次郎重範を祀る。この時の戦は、
                  歴史上「元弘の変(1331年)」と呼ばれている。
                     足助次郎重範は弓の名手であった。
   
               
                


            足助八幡宮
 
           本殿は、国の重要文化財。1466年に再建されたもので、室町時代の特色が遺されている。   

              境内には、わらじの像が置かれている。
その昔、「足を助ける神」として信仰されていた。




         
                         龍とカエルの手水舎




    松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖松平親氏をまつる神社。
   松平親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡を勧請したのが
はじまりであると伝えられている。
                      



          手水舎                      



             ここに落ちたら怪我するよ。                           
                       

                              
                  産湯の井戸
           現在あるものは、
          7つあった井戸のなかでもっとも古い井戸と言われている。
          松平家では代々、この井戸の水を産湯に使っていて、
          徳川家康も産湯として用いたと言われている。 
 
                             ハチがブンブン飛んでいて、
日傘をブンブン振り回しながら参拝。
                       


          

            松平郷園地内の天下池、ハス(蓮:ハス科の多年生水生植物)の花。   
      
               


                  月院は、松平氏の菩提寺。元々は「寂静寺」といい、
          在原信重(親氏の妻の父親)が建立したと言われている。
          親氏が1367年に本尊阿弥陀仏をはじめとした堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、
          松平氏の菩提寺になったと伝えられている。
       家康は寺領百石を寄進し、以来、松平家・徳川家ゆかりの寺として、
        明治維新まで時の将軍によって手厚い保護を受けてきた。現在の山門や本堂は、
      1641年に徳川家光によって建立されたもの。松平氏の歴史に深く触れられる。
                
              


                  お釈迦様の足跡。仏足石は、インドにおいてお釈迦様の代理を意味し、
           そこで説法されたことを示す。足裏には、
千輻輪相(せんぷりんそう)という図が描かれている。
           
           



徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏




                  
              
                                         
                      
                      松平郷 松平城址

                       松平氏・徳川氏の始祖とされる松平親氏(まつだいら ちかうじ)が、
                  松平館の詰めの城として築城したと言われている。


松平親氏-泰親(やすちか)-信光--親忠(ちかただ)--長忠(ながただ)--信忠(のぶただ)--清康--広忠--家康
           家康は松平九代目として誕生。二十四歳の時徳川姓に変えた。


                                     
                       松平館からほど近い、標高298mの山頂に築かれた山城。
                
   

 
                        駆け上ってまいりました。