ちょっと大変な一日&桜の開花予報

2022年01月14日 22時31分22秒 | 介護

 今朝の6時過ぎ、ヘルパーさんからお電話がありました。

ある利用者さんが通っていた病院で、その方が接したスタッフの方がお熱が出て、コロナかもしれない。

そうなるとその利用者さんは濃厚接触者。

その方のお宅へ伺った自分も濃厚接触者になる。

昨日中に結果がわかる予定だったけれども、連絡がなかったので念の為、今日は伺わない方がいいように思いますとのこと。

わかった時点で大丈夫なら伺いますと言われていましたが、一日ご連絡がありませんでした。

電話をしている時に母からコール。

慌てて切って母のもとへ。

「喉が渇いた」

サイドテーブルに置いているお茶が取れないようでした。

その後、母は再び寝ました。

8時、「トイレに行きたい」と言って目覚め、何とかポータブルトイレへ。

でも、すでにおむつの中にも~。

そして、ポータブルトイレにも~。

多量の◎ではなく、それ以上の💮花丸級でした。

(介護ノートにも花丸のしるしを付けました

私のワクチン接種日2回共そうでしたが、今日も誰も来られない日に限って何故か。。。

その後、疲れ果てたようで、「動けない」「お薬も飲めない」状態に。

もう大変でした

でも、何としてでもお薬だけは飲まさないといけないですし、胃が悪くなってもいけないので少しでも胃に何かを入れなくては

何とか、何とか、お薬を飲ませ、レーズンパン1口、コーンスープ1口、カフェオーレ1口。

そして、何とかベッドへ。

母は絶不調。

その顔を見ていると、私の心もどよ~~~ん。

今、オミクロン株がすごい勢いで増えていますが、今後、ヘルパーさんや訪問看護、訪問リハの方が来られなくなる可能性も十分あり得ます。

 1時半に看護師さんが来て下さった時には本当にほっとしました。

母は少し持ち直し、遅い昼食とお薬を飲みました。

皆でテーブルについている時、テレビ台のビスがゆるんで外れ、テレビが傾き、危ない状況に。

看護師さんも一緒に持って下さって、新しいTVは何とかセーフ。

やってはみましたが、私が金づちで叩いて何とか出来る問題ではなく、いつもお世話になっているご近所の大工さんに来て頂きました。

「これはもうヤバい」ということで、何本かビス(釘?)を打って下さいました。

本当に危なかったです。

もう今日はあれやこれや、何なの~

三隣亡かしらと思えました

看護師さんが帰られて、16時からは「訪問リハ」。

その後、しばらく休憩して、夕食はしっかと食べることが出来ましたので、やれやれでした。

 今朝の果物

 

今日も寒い一日でした、

最低気温はマイナス2.4℃。

外に出たのはお洗濯物を干したり取り込んだりした時だけです。

白菜がしっかり結球しています

 夕方のいつものNHKの岡山ニュース「もぎたて」で桜の開花予報をしていました。

寒いからこそ開花が早いそうです。

全国

東京や広島は3月15日。

中国地方

岡山は3月22日。

昔は高知はよく1番に開花してしたように思いますが

 昨年の今日は在宅看取りの「なんてめでたいご臨終」を書かれた小笠原先生が直接お電話を下さった日だったのですねぇ。。。

あれから1年。

感慨深いです。

小笠原先生からのお電話&倉敷へ

今日は何だか慌ただしくて、短歌が浮かびませんでした。

★致知一日一言  【今日の言葉】

言われていること以外に
自分で何をするかです。
それを苦痛と感じるかどうかが、
一流になるかならないかの分かれ目

━━━━━━━━━━
井村雅代
(アーティスティックスイミング
 日本代表前コーチ)
━━━━━━━━━━

★致知出版社の「ご縁メール」

深刻化する日本の子供たちの学力低下や
教育現場の荒廃、迷走する教育行政。

様々な課題や問題を抱える日本の教育ですが、
その問題の本質はどこにあるのかを
明確にした議論とはなかなか出会えません。

最新号の教育対談では、
野口芳宏さんと榎本博明さんに
問題の本質部分について語っていただきました。

本日はその対談の中から、
「欧米流の教育」と「日本流の教育」を語る上で、
最も大切であろうと思われる観点について
語られている一節をご紹介します。

      ──────

【榎本】
個性や主体性の尊重にせよ、アクティブラーニングにせよ、
日本人は「アメリカではこういう教育をやっているから」と、
文化的背景の違いを無視して欧米のやり方を
そのまま取り入れてしまうところがある気がするんですね。

【野口】
日本人は欧米へのコンプレックスがあるのでしょうかねぇ。

【榎本】
でも、日本と欧米ではやはり文化が違います。

欧米は自己主張をしっかりして、
虚勢を張ってでも自分を強く押し出して
大きく見せないと生きていけない社会ですから、
子供の頃から自己主張を軸に個性や
主体性を伸ばす教育を行う必要があります。

ところが、謙虚さや協調性を重んじる日本では、
偉そうにしている、自己主張の強い人は
周りから尊敬されるどころか未熟とみなされ、
社会にうまく受け入れられません。

それに、欧米では常に子供にポジティブな言葉掛けをし、
褒めて育てるから子供に優しいと日本人は思いがちですが、
実際は非常に厳しい教育を行う
「父性原理」の強い社会なんですね。

乳幼児でも両親とは寝室が別ということもよくありますし、
能力が基準に達していなければ小学校でも
容赦なく留年させられます。つまり、
人と人が切り離されずに溶け合っている日本と違って、
欧米では親と子、教師と生徒、
個人と個人が明確に切り離されており、
心の距離を橋渡しするために
お互い頻繁に言葉掛けをし、褒め合うわけです。

【野口】
なるほど。

【榎本】
一方、日本では小中高と児童・生徒を
留年させることはほとんどありません。

添い寝をしたり、一緒にお風呂に入ったり、
親子の心理的一体感も強い「母性原理」の
強い優しい社会です。その文化の違いを踏まえず
「欧米では褒める子育て・教育をやっているから」と、
厳しく切り捨てることのない日本で
同じやり方を取り入れてしまえば、
子供たちは甘やかされてばかりの
弱い子になってしまうのは当然です。

そこのところが分かっていない
教育の専門家や評論家が多すぎます。

ですから、何でも欧米の教育は素晴らしい、
最先端だと受け入れるのではなく、
文化の違いをしっかり見極めた上で、
日本は日本なりの教育を
再構築していくことが大事だと思うんです。

★エドガー・ケイシー

今日(1月14日)の珠玉のリーディングをお届けします。


利己的な動機が増せば、かえって沢山のものを失います。

Much may be lost through aggrandizement of selfish motives.

(165-2)

★バラ十字会日本本部AMORC メールマガジン(毎週金曜日)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


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下記の公式ブログでお読みくださると、話題に関連する写真を見ることができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M868887&c=3304&d=ed84

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今日1月14日は、愛と希望と勇気の日だとのことです。

その由来は、1958年に南極昭和基地にやむを得ず置き去りにされた樺太犬のタロとジロが、翌年の1月14日に生きて見つかったことだそうです。



いかがお過ごしでしょうか。



山形県に住んでいる三度の飯よりもお祭りが好きだという私の友人から、半年前の夏の思い出についての寄稿が届きました。

寒い冬は夏が恋しいですね。

▽ ▽ ▽

記事:『夏の思い出』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦



令和三年、夏のある日の朝のことです。居間の壁の隅に黒いゴミが付いているのを見つけました。


よく見ると、胴まわりが小豆粒よりチョット大きいかなと思えるほどの体つきの蜘蛛でした。


どこから入ってきたのでしょうか?


我が家では夏になりますといろんな小さな虫が入ってきます。


それでも、この大きさの蜘蛛が入ってきたのは初めてです。

ちょっと驚きました。

そのときはすぐにお引き取りをと思ったのですが……



ふと考えました。私らに害を加える訳でもあるまいし、そのまま居させてやろう…と。


うまいことに、場所はテレビ台の裏側です、ここでしたら家族に見つかることもないでしょう。


ひとつ気になったのは食べ物ですが、我が家には小さな虫が毎日入ってきます。

そういうことで、自分の食い物は己の裁量で何とかしろ…と(笑)



しかし、最初の頃はこの判断で良かったのだろうかと思い悩みました。


ところが、日が経つにつれ、そこに蜘蛛がいるのが当たり前のように思えてきました(笑)。


その後は毎朝「お~い元気か~!?。長生きするんだよ~!!」と声をかけることにしました。


当然のことですが、返事は『……』です(笑)。


それでも、私は蜘蛛がいてくれているだけで何かほっこりするものを感じるようになってきました。



毎日顔を合わせていますと蜘蛛でも可愛く思えてくるものです(笑)。


幸いなことにウチのカミサンには見つかっていないようです。


さらに食料の調達、いわゆる虫の捕獲はうまくいっている様子でした。



それから何日後だったでしょうか、涼しくなり始めたある朝のことです。


声を掛けようとしましたら、蜘蛛さんは壁ではなく床の上に……


私はそっと手にとり、裏庭に運び、柔らかな土の上に置き、別れの言葉を掛けてあげました。


『ほら、ここで土に還るんだよ。生まれ変わったらまたおいで、待ってるからね……』。



今でもときおり、無意識のうちに壁の隅に目が行ってしまいます。


そのたびに心がチョット寂しくなります。


ちっちゃな身体の蜘蛛さんでしたが大きな存在だったんですね。



令和三年の夏祭りも前年同様、コロナ渦のために中止となりました


ただ、全面的に中止ではなく、前年と同様に神社の御神体を近くの公園の野外音楽堂のステージにお祀りし、祭典と奉納演舞だけを行うということになりました。


祭典の参加者は市長・市議関係者・祭りの事務局の方々、加えて各団体から人数を制限して募った踊り手と囃し方のみ。


一般市民の方々にはコロナ感染対策ということで開催の公表を差し控えさせていただき、祭り関係者だけでの祭典でした。



幸いなことに、私も前年同様、囃し方で参加させてもらう事ができました。


祭典はステージ上に居る市長・来賓・事務局の方々の祝辞と続き、次は神主さんによる祝詞です。


私ら踊り手と囃し方はステージ脇でその後に行う奉納演舞の態勢を整えて神妙な面持ちで祝詞を聞いていました。



すると、踊り手の一人が小さな声で『ほら!! ほら!!』と言って後ろを指差しているのです。


そっと振り向いてみました。

すると私らの後方に大きな虹が架かっているではありませんか!!


しかも、すぐ目の前と言えるほどの近さにです。



ところがステージにいる方たちは誰も気づいていない様子でした。


それを良いことに、全員が祭典そっちのけで御神体に尻を向け「こんなに見事な虹は初めて見たよ、きれいだね~!!」。

なんとも罰当たりなことを(笑)。



その後、私らの奉納演舞も無事に終了。


すると、祭典の終了に合わせたかのように虹も薄くなっていました


その後、私らは祭典の話はそっちのけで「素晴らしい虹を見させてもらったね~!!(笑顔)」。


令和三年もコロナに振り回された夏でしたが、良い思い出となりました。



今になって思うんです。

あの時のきれいな虹は、祭りを司る神の「コロナに負けずに頑張るんだよ」といった私らに向けてのメッセージだったのではと。

△ △ △

ふたたび本庄です。



昨年の寒くなる前のことですが、ベランダで植物の世話をしていてヤモリを見つけました。

ヤモリが家で見つかるのは縁起が良いとされているようです。

きっと、「家守」と同じ発音であることが理由なのでしょう。


文中で話題になったクモも縁起が良い生きものとされ、家の中で見つけたクモは殺してはならないという言い伝えがあるようです。

今は亡き父がそのようなことを話していたのをかすかに覚えています。



下記は、山下さんの前回の文章です。


記事:『迷言?それとも名言?』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M868888&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください(^^)/~


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■編集後記

水仙が咲いていました。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M868889&c=3304&d=ed84

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コメント (13)
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