7時に友人が来ました。
いつも以上にドキドキ。
今回は4章(母親との関係)と5章(子供のこと)と聞いていましたので(行ってみると5章ではなく6章(病気)でした)、その4章の中には母の寿命のことも書かれてあるようでしたので、覚悟はしていましたが、やはり平静ではいられませんでした。
最近母の容態は特に悪くなって来ていますし、四柱推命(印鑑を作る時に書いてありました)でも来年は弔いの年となっていました。
アガスティア葉の私の人生についても、私の旅の時期などを考えると、やはり来年の春あたりだろうかと思っていました。
それがすごいストレスとなって行けるだろうか、行って無事に帰って来られるだろうかとと思えたほどでした。
今までは最初、私が運転していましたが、友人が運転してくれました。
このあたりまでは良かったのですが、ナビの通りに行くと前と違ったところで降りました。
結果迷ってしまい、少し遅れてしまいました。
通訳の方のご厚意で南インドのカレーの準備も進んでいて、先生もすでにいらしていました。
最初は友人の13章と14章。
インドに何の関係もなく、精神世界にも興味のない友人です。
最初は私に付いて来てくれて、次は葉がなければお金が要らないなら頼んでみようということで、リーガにお泊りしました。
この時、13章、14章もあったのですが、悩んでいるうちに時間が過ぎて開けることの出来ない時間になってしまいました。
その後、やはり開けようと思い直し、今回に到りました。
彼女の前世はインドでした。
びっくりでしたが、その次を聞いて更にびっくり。
「お坊さんの友人と・・・」と葉には書かれてあり、そのお坊さんの友人はまぎれもなく私ではないかと思いました。
後で、その話をすると皆が納得でした。
続いて、私。
母と私の病気について・・・本当になんてタイムリーな話題なのだろうと思いました。
明らかにアガスティア聖者のご配慮を感じました。
「怖い」と話すとお手伝いをなさっている日本人の方が「聖者は優しいから大丈夫」と言われました。
先生も「(母の死は)そんなに近くではない」という意味のことを言われ、少しほっ。
母はかなり危険な時期もあるようでしたが、気力で(私への愛故に)、乗り越えると書かれてありました。
私の病気はすべて私の心次第と書かれてありました。
また、再び、私は本当のスピリチュアルをわかっていないとも・・・。
先生も通訳の方もいろいろとその後アドバイスを下さいましたが、やはりインドという国はすごいと思いました。
先生は「2年間、遊びなさい」と言われました。
そうすれば、スピリチュアルになると。
宗教は第一歩に過ぎないし、それを越えて行かないといけないとも。
とにかく私は真面目過ぎるようです
だから、自分で自分を追い詰める。
忙しい通訳の合間をぬって、本格的なべジタブルカレーが出来上がりました。
次の方が1時半からで、いらっしゃいました。
そのお二人もカレーを食べられました。
チャイも作って下さっていたようでしたが、後の方に申し訳ないので慌てて帰る準備をしました。
玄関を出る前に先生が「次に会う時を楽しみにしてますよ」とニッコリ。
通訳の方もチャイを下さいました。
出たのは多分1時45分頃。
帰り道、又、道に迷いました。
今回はナビ通り行かなかったせいです。
交通事故が2件もあり、高速は大渋滞でした。
やっと「龍野」SAへ。
時間はすでに5時半。
ラーメンを食べて帰りました。
母へお土産。
赤福は売っていませんでした。
大阪での頂き物。
数珠は祭壇に置いて浄化して頂こうと持って行きました。
カレーも頂き、
チャイも頂きました
家に着いたのは7時前でした。
無事に行って帰れることが出来ました
母もデイサービスでお世話になり、一番に迎えに来て下さって、最後に送って下さり感謝でした。
英語のレッスンも先生が20時に変更して下さっていました。
疲れましたが、聖者と聖者にに関わってらっしゃる方々は皆やはり優しいとしみじみ思いました