ぽかぽか

2025年02月14日 21時04分45秒 | 運動・健康・ダイエット

 今日は朝はマイナス2.9℃だったようですが、日中はぽかぽか暖かく12.5℃もあり、上着無しで過ごすことが出来ました。

岡山に帰ると何かとすることがあり、バタバタと過ごしました。

 

 今日のせいろ蒸し

下の段では卵とご飯を蒸しました。

たっぷり敷いた白菜が美味しい

朝はご飯が少な目でしたので、根菜類たくさん蒸しました。

 今日の果物

 

 朝の10時からZoomを今日も楽しみました。

私の調子の悪さは低血糖ではないか。

彼女も低血糖対策をしたことで長い不調が治ったようです。

試しにやってみる価値はあるかも。

最近、ダイエットではないですが、「あすけん」で食事のコントロールをして、糖質制限を始めたから不調になった気がしないでもない。

血液検査の前の日は夜の9時以降何も食べないで検査しますが、低血糖ではなく普通の数値ですので、一時的に低血糖になってもインシュリン注射をしていない限りは戻りますので気にしていませんでした。

振り返ったらホスピスで勤務をしている時に、お昼前に血糖を計ったら70前後(以下だったかも)だったため看護師さんが「ふらふらしない大丈夫」と言われたことはありましたっけ。

低血糖対策は食事の間に少し糖質を補給するわけです。

小さな小さなおにぎり、🍌バナナ少々、🍊みかん、甘栗1~2個、はちみつ等何でもいいのですが、これをしたら太りそうで怖い面もあります。

が、永遠にするわけではなく、身体の中のグリコーゲンが落ち着くまで。

それってどうやったら低血糖とわかり、もう十分とわかるのかしらと思います。

もちろん24時間のモニターなどもあるようです。

それに何より、体調がよくなることによってわかるようです。

3度の食事を少し少な目にして、補食をして、試してみるのはありかも。

 又、今日は「自分の心の声を大切に」というお話もしました。

もう少し自分を労ってあげてもいいかもと思った次第です。

やはり、外的な要因に頼るのではなく、自分で自分を満たし幸せにするのが一番ですね。

と言いますか、最終的にはそれ以外にはない気がします。

それは人や自然では無理ということではなく、それで満たされ癒される以外にない場合もあるのですが、自分で自分を愛し許し受け入れ、満たすこと。

心の声をちゃんと聴いて、自分で自分のご機嫌を取ること。

どんなにダメな自分でもしかりつけないようにしようと思います

1時間ほどおしゃべりを楽しみました。

 

 

 

 

 続いて、お散歩へ。

日曜日に教会に行かなかったので、2月9日の「聖書と典礼」の写真を撮ってみました。

こんな表紙の絵だったんだ~

 

 そして、これも新しい

大阪万博の時にヴァチカンからお里帰りする26聖人の絵だそうです。

この男の子は一番若かったルドビコ茨木。

26人中の最年少で、当時12歳。

京都にあったフランシスコ会の修道院で、病人の世話にあたっていたそうです。

 

1月3日、一行は、京都で左耳の一部を切り落とされ、見せしめのため、粗末な牛車に乗せられ、町中を引き廻され、1597年2月5日、長崎・西坂の丘で殉教。

少年が3人。

ルドビコ茨木12歳と、聖アントニオ13歳、聖トマス小崎14歳。

 

そして、最高齢は岡山出身のヤコボ(ディエゴ)喜斎、64歳。

26人の国籍は日本人(20名)、スペイン人(4名)、メキシコ人(1名)とポルトガル人(1名)

公園の梅

昨年はもう咲いていましたが今年は遅いです。

ふと空を見上げると飛行機が2機、とっても近くを飛んでいました。

もしかして、政府専用機かなと思いましたが、日の丸がないので違うみたいです。

普通の民間機

 

 

今日は快晴でした。

久々に我が家のお花達

 

 

 

ご近所さんが「いつも見せて頂いていますー」

「ありがとうございますー」

 

 

こんなに咲き続けていますが、まだ蝶はいません。

春になったら来るかな。

 

 

 

ルピナス、伸びています。

 

クリスマスローズ

 

八重の椿

東側に水仙が咲いていました。

午後から、入れ違いに牛窓の建築士さんが来られました。

昨夜「まだ牛窓におられますか」とラインが来ていました。

今後の2つの家のことを話し合いました。

「牛窓での居心地はどうだった

「貸してみる

でも、最終的にはまだ母が亡くなって間がないので決めない方がいいと言って下さいました。

借りたいと言われている方には今の状況を話しておくからと。

あとは介護のこと。

彼女は介護真っただ中。

お父様が認知症が激しく、お母様がで看ると言われ続けたそうですが、夜中にも家から出てしまったりして限界に達したと。

お聞きしていたらもう本当に大変で。。。

牛窓の低農薬の白菜を持って来て下さいました。

ちょうど白菜がなくなったので感謝

1時間半ほどおられて、その後、歩いてゆうちょまで行きました。

牛窓と違ってどこまでも道が平坦。

 

 

帰って又、写真を撮って~

 

 

 

 今日もいい日でした

「今日も楽しかった。ありがとう」と言って寝ることにします

 

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉】2025.2.14 

 

神様からのラブレター【壁紙もプレゼント】

 

「神様は人間一人ひとりに
ラブレターを刻んでくれている」
という言葉があります。
「あなたはこういう人生を生きるのが
一番いいですよ」
というメッセージを読み解きながら、
自分に与えられた能力を
生かしていけたら理想でしょう
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鈴木秀子(文学博士)
〇月刊『致知』2020年7月号
連載「人生を照らす言葉」より
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●『致知』最新号(3月号)の特集テーマは、
「功(こう)の成るは成るの日に成るに非ず」。
人が成功するのは
ある日突然成功するわけではない。
すべて平素の努力の集積によって
成功するのだという、
中国宋代の蘇老泉の言葉です。

この言葉を壁紙仕様でプレゼントします。
ぜひご活用ください。
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★致知出版社の「ご縁メール」

 

健康長寿の道は一日にしてならずー生涯現役の秘訣は精神力にあり

 

日本は世界一の長寿国。ただ、「健康寿命」となると平均寿命より
10歳ほど低いのが現実です。そんな中、93歳のいまもなお現役で
活躍する栄養学者・香川靖雄さんに、ご自身の実践と最新の研究成果を交えて、
健康長寿を実現する生活習慣や心のあり方を探っていただきました。

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◆健康長寿の道は一日にしてならず◆

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香川靖雄(女子栄養大学副学長)

2025年3月号 特集:功の成るは成るの日に成るに非ず
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【93歳生涯現役の秘訣】
長年、生化学や栄養学を研究してきた私は今年(2025年)6月で93歳を迎えますが、
いまも現役で女子栄養大学(埼玉県)の副学長を務め、週に2、3回、
栃木県の自宅から電車を乗り継ぎ片道2時間、往復4時間かけて通勤しています。

私の生活習慣を簡単にご紹介しますと、毎朝6時頃に起床、
十分間体操をしてから朝食を摂とり、大学へ行く日は、
家族の車で最寄り駅まで送ってもらいます。
朝食は図1の4つの食品群をバランスよく摂ることを心掛けています。

出勤日の昼食はなるべく学食で摂るようにし、
魚中心のA定食をよく選びます。
というのは、多くの日本人は、
健康に必須の脂肪酸であり魚介類に多く含まれる
DHA(ドコサヘキサエン酸)が遺伝子的に不足しがちだからです。

理想的な摂取量は1日100グラムですが、それくらいの魚介類を毎日食べることで、
特に認知症のリスクを大幅に低下させることができることが分かっています。
にも拘(かかわ)らず、日本人の魚介類の摂取量は年々減少し、
近年では50グラムほどになり、90年代と比べて半分に減ってしまいました。

そして昼食後は、大学の研究室のソファで、
1時間ほど昼寝をしてから午後の仕事に臨みます。

帰宅はその日によって異なりますが、基本的には夜11時半頃には眠るようにしていますので、
昼寝の時間を合わせると、1日の睡眠時間は7時間半くらいです。

OECDの調査(令和3年)によれば、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、
世界平均の8時間20八分と比べて短く、OECD諸国の中では最短です。
睡眠不足はうつ病や認知症のリスクに繋つながることが分かっていますから、
日本人はもっと睡眠の大切さを認識する必要があるでしょう。

運動に関しては、いまも続けているのはダンベルです。
自宅や大学で、時間のある時に3~5キロのダンベルを両手に持って上げ下げするのです。
3階の研究室にも階段で上り下りをしています。

こうした生活習慣の積み重ねにより、93歳のいまも現役で働けているのだと思います。
「論より証拠」で、令和六年のCT画像では脳梗塞(こうそく)や脳血管の異常は見られず、コレステロール値などもすべて正常値を保っていました。

現在の日本では、男女の平均寿命がそれぞれ81.5歳(男)、
87.09歳(女)で、90歳以上の方は273万人。
総人口に占める高齢者の割合は、2023年に29.1%と過去最高となりました。
これは世界でも最高です。しかし、「日常に制限がない期間」である「健康寿命」は、
平均寿命よりも10歳ほど低く、長生きをしても認知症や要介護になる人が多いのが現実なのです。

日本の高度経済成長期を担ってきた団塊(だんかい)の世代が、これからいよいよ80歳代に入ります。
その多くが認知症や要介護になれば、日本は医療・介護難民で溢あふれ、財政的にも潰つぶれてしまうでしょう。

ですから、私は80歳、90歳になっても元気に生活し、
働ける高齢者の方が1割でも2割でも増えてほしいと切に願い、
研究はもちろん、書籍の出版や講演活動に取り組んでいるのです。
これからご紹介する私の研究や実践が、少しでも皆様の健康、
幸福な人生の実現の参考になれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

暴君中の暴君


バラ十字会日本本部AMORC 

 

【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


東京板橋では、河津桜の蕾が膨らんで、今にも咲き始めそうです。


今週末には下記に花の写真をアップロードできると思います。


バラ十字会日本本部のフェイスブックページ:

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バラ十字会日本本部のX(旧twitter)のページ:

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このメルマガの文章は、下記URLにあるブログの文章の転載です。ブログには歴史的な肖像画や現地の写真、参考になるリンクが含まれていますので、下記URLをクリックして、できるだけそちらでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1181513&c=3304&d=ed84

(ヘンリー8世は好色の暴君?6人の妻と処刑された人について解説)

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◆ 暴君、悪人中の悪人だとされるヘンリー8世

イングランドの国王ヘンリー8世が、今回の話題です。


1000年以上も続いているイギリスの王室には、ずいぶんと多くの悪人が登場します。そしてそのうちの幾人かを、シェイクスピアが面白おかしく劇に仕立てています。


その中でもヘンリー8世は、悪人中の悪人、暴君中の暴君であるとされ、あるテレビ番組では、「やりたい放題王」と呼ばれていました。


(写真:ヘンリー8世の肖像画(ハンス・ホルバイン画、1537年頃))


しかし、善と悪とは何か、そもそも絶対的な基準があるのかということは重大な問題です。

このことについては、当会のフランス本部の代表が記事を書いていますので、ご興味のある方はそちらもお読みください。


参考記事:『善と悪について』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1181514&c=3304&d=ed84



ヘンリー8世は、カリスマと呼ぶにふさわしい人物だったようです

182センチ以上の長身で広い肩幅を持ち、スポーツ万能・語学堪能で、音楽や詩にも豊かな才能を発揮し、イギリスの王室史上最高のインテリとも言われていました。



彼の父ヘンリー・テューダー(1457-1509)は、薔薇戦争と呼ばれているイングランドの内乱で勝利し、ヘンリー7世としてテューダー朝を開いた人物です。



ヘンリー8世は生涯に6回もの結婚を繰り返し、そのうちの2人を処刑したばかりか、多数の庶民の女性に手を付けたことで、好色の大悪人と呼ばれていますが、当時は国王が戦場に出陣することが必要であり、成立したばかりのテューダー朝を存続させるためには、屈強な男子の跡継ぎが必要だと彼が考えたことが、その行動の理由ではないかという説もあります。



しかし調べてみると、ヘンリー8世の行いはそれだけでは説明がつかないほど、悪行三昧のように私には思われます。


◆ ヘンリー8世の6人の妻

・最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚

ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンはスペインの王家の出身ですが、もともとは彼の兄アーサーの妻でした。


アーサーが15歳で病死すると、ヘンリー8世は王太子の地位を得ると同時に彼女と結婚します。そしてその7年後に父が亡くなり王位を受け継ぎます。


兄の妻と結婚することはカトリックの教会法では許されていなかったのですが、スペインとイングランドの和睦を保つために、ローマ教皇により特例として認められました。


キャサリンは女児をひとり産みますが、その後、男児を産む兆しがなかったため、ヘンリー8世は離婚を望むようになります。



カトリック教会では当時離婚が認められていませんでした。


そこで何とヘンリー8世は、カトリック教会とは別にイングランド国教会を創設し、その首長はイングランド王すなわち自分であるという法律を作ります。


自分が首長であるイングランド国教会が認めたことで、彼とキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚が成立します。



キャサリンは離婚後に、ロンドンから北に離れた50キロほど離れたキンボルトン城に住み、癌のため50歳で亡くなっています。


著書『ユートピア』の作者で偉大な思想家のトマス・モアは、イングランド国教会の創設という宗教改革に反対したことで、反逆罪に問われ斬首刑にされています。



彼女が産んだ女児は、後にテューダー朝の5代目の王位を継承しメアリー1世となります。


メアリー1世はヘンリー8世の宗教改革を認めず、イングランドは一時カトリックに戻ります。


メアリー1世はイングランド国教会に属していた女性や子供を含む約300人のプロテスタントを異端者として処刑したため、彼女には「血まみれのメアリー」という異名があります。


ちなみに、ウォッカをトマトジュースで割ったカクテルはその色が血を連想させることから、この名前を取ってブラッディ・マリー(メアリー)と呼ばれています。


・ 第2の妻アン・ブーリンの処刑

アン・ブーリンはキャサリンの侍女でしたが、ヘンリー8世はキャサリンと離婚する前からアンと関係していました。


キャサリンの死の3年後の1533年に、妊娠していたアンは国王と結婚します。


生まれた子供は、後にテューダー朝の6代目の王位を継承しエリザベス1世となりイングランドの黄金時代を築きます。


しかしその後アンは流産と死産を繰り返し、やはり男児を産む見込みがありませんでした。



ヘンリー8世の心はアンを離れ、ジェーン・シーモアという女性と関係するようになります。


ジェーンはキャサリンとアンの侍女で、キャサリンの再従姉妹(はとこ)にあたる女性でした。


アンは5人の男性と関係と持ち国王の殺害を企て、また魔術を行ったとされ、これらのことで反逆罪に問われてロンドン塔で斬首刑になりますが、これらの罪状はすべて冤(えん)罪であると推測されています。


・ 第3の妻ジェーン・シーモアの死因

ヘンリー8世はアンの刑死後すぐにジェーン・シーモアと結婚します。

彼女は男児を産み、この子は後にヘンリー8世を継ぎ、テューダー朝の三代目の王エドワード6世になります。


ジェーンは難産で体力が回復せず、この子供を産んですぐに亡くなります。


・ 第4の妻アン・オブ・クレーヴズとの離婚

第4の妻アン・オブ・クレーヴズは、現在のドイツにあったプロテスタント領の公爵の娘でした。


ヘンリー8世の側近であったトマス・クロムウェルは、ドイツのプロテスタントとの関係を強くすることが、イングランド国教会の強化に役立つと考え、ヘンリー8世にアン・オブ・クレーヴズとの結婚を勧め、そのお膳立てをします。



2人は結婚式を挙げますが、ヘンリー8世すぐに、この結婚は成立していないと主張し離婚します。


その理由は宮廷画家の描いた肖像画と実際のアンがかけ離れていたことにヘンリー8世が激怒したことだとされていますが、クロムウェルを失脚させるためだったという説もあります。


クロムウェルはヘンリー8世から疎まれるようになり、政敵からの告発で反逆罪に問われ、ロンドン塔に収監され処刑されます。


・ 第5の妻キャサリン・ハワードの処刑

キャサリン・ハワードはアン・オブ・クレーヴズの侍女でした。


1520年に結婚したとき、ヘンリー8世は49歳であり、キャサリンは何と30歳も年下でした。


しかも、ヘンリー8世は過去の馬上槍試合で負った古傷、肥満やさまざまな病気に苦しんでいました。


先ほどの肖像画に表されていたような偉容も衰え、たびたび怒りを爆発させる人になっていました。



キャサリンの気持ちはヘンリー8世から離れ、国王の側近であったトマス・カルペパー関係を持ちます。


彼女は姦通罪に問われ、1542年に斬首刑になっています。


第2の妻アン・ブーリンの場合とは異なり、この場合は冤罪ではなかったと考えられています。


・ 最後の妻キャサリン・パー

キャサリン・パーの母親のモード・グリーンは女性の教育に熱心で、キャサリンは数学、神学、ラテン語、フランス語などの高度な知識を身につけていました。


キャサリンには過去に2度の結婚歴がありますが、いずれの結婚でも夫を病気で亡くしています。


ヘンリー8世はキャサリンに好意を抱きましたが、当時キャサリン・パーは、第3の妻の兄トマス・シーモアと交際中でした。


そこでヘンリー8世は、海外での仕事をトマスに与えて追いやり、キャサリンに求婚します。



ヘンリー8世の過去を知っていたキャサリンは当然、この結婚に難色を示しますが、断ったときの危険を考えて1543年に、31歳の年で結婚します。



当時、ヘンリー8世の娘メアリーとエリザベスは、王族の地位を奪われていましたが、キャサリンは父との関係を取り持ち、2人は王位継承権を取り戻します。


また、キャサリンはこの2人と義理の息子エドワードを深く愛し、教育にも力を注ぎます。



イングランドの王妃を「子供を産むただの機械」という役割から変えたのは、キャサリン・パーの功績だと言われることがあります。


この2人とエドワードは実際に後に王位に就き、特にエリザベスは、イングランドが黄金時代を迎えることに貢献することになります


(写真:ヘンリー8世の第6の最後の妻キャサリン・パーの肖像画


◆ ヘンリー8世の死因

キャサリン・パーとの結婚の4年後の1547年に、ヘンリー8世が亡くなります。


死因は肥満と糖尿病と足の潰瘍だったとされています。


そしてそのわずか4ヵ月後に、そのときは海軍司令官だったトマス・シーモアを相手に、キャサリンは4度目の結婚をしています。


◆ 歴史の多面性

シェイクスピアは『ヘンリー8世』という歴史劇を書いていますが、この劇の題名は『All is True』(すべて真実)です。


この劇ではヘンリー8世は悪人ではなく、彼のものだとされている悪行の多くは、実際のところ重臣のトマス・ウルジーが原因だとされています。


しかしそれは、王室批判を行うと身に危険が及ぶとシェイクスピアが考えたからだという説もあります。



歴史には、多くの見方があります。

ですから今までご紹介してきたような、ヘンリー8世が大悪人だという説にも、完全には正しくない可能性があることを心得ておくべきでしょう。


参考記事:『シェイクスピアとヘルメス学の伝統』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1181515&c=3304&d=ed84


◆ ロンドン塔

テムズ川沿いにあるロンドン塔は、当時の王室が幽閉や処刑に使っていた場所です。

罪人は市中でさらしものにされた後に、ここで首をはねられたのだそうです。



当時の斧は切れ味が悪く、運が悪い罪人は一回では死ねなかったそうです。


ロンドン塔には、多数の無念の人の思いが残っているのか、今でも幽霊がたびたび目撃されるとのことです。


いやあ、すごいですね。


(写真:ロンドン塔)


◆ ヘンリー8世の後世への影響

ヘンリー8世が人類の歴史に与えた影響は、必ずしも悪いものとは言えないようです。


彼が自分の離婚のために作ったイギリス国教会には独自の教義があり、ローマ・カトリックに比べると、人間の理性を重視し自然科学を柔軟に受け入れる傾向が強かったのです。


このことが大きな要因となり、イギリスを中心として近代の自然科学が発達し、後の産業革命につながったと言われています。


◆ 償い(カルマ)の法則と悪人

神秘学では、人生を支配している主な法則のひとつに、「償(つぐな)いの法則」というものがあるとされています。

別名「カルマの法則」とも呼ばれ、要するに、ピーマンの種をまけばピーマンが収穫されるし、インゲンの種をまけばインゲンが収穫できるように、人は自分の思考や発言、行動によって、自身の未来の運命を創造しているという法則です。



ですから、この法則から言うと、ヘンリー8世はあまりにも極端な例ですが、悪事をためらわない生き方は、一般的に言えば、後に大きな後悔が生じる人生だと考えることができます。



しかし、ふと思うのですが、この世にひとりも悪人がいないとしたら、世の中は、とても退屈な場所になってしまうのではないでしょうか。

また、悪がひとつもないとしたら、私たちは善を認識することができるでしょうか。



もしかしたら悪人は、善と正義を際立たせることを使命として、この世に生まれてくるのかもしれません。


◆ トリックスター

トリックスターという言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。世界中のおとぎ話に共通して出てくる、いたずら好きの妖精などに代表される、奇妙な役割を果たすキャラクターのことです。



トリックスターは、社会の道徳や秩序を乱すいわゆる悪者なのですが、その奇妙な行ないが、物語の結末では、なぜか不思議なことにすべての人のハッピーエンドにつながります。



ヘンリー8世には、妖精のかわいさなどはひとつも見られませんが、何となく、トリックスターと似た役割を果たしているように思われるのです。



さきほどご紹介したように、工業技術と自然科学が発達したのは、ヘンリー8世のおかげとされます。

彼は知らず知らずのうちに、何か大きな意志に導かれて、このことのために行動していたのでしょうか。それとも、単なる偶然なのでしょうか。



工業技術と自然科学が人類を幸せにしたかということには、さまざまな意見があります。

しかし、この2つによって人類が豊かになり、世の中が刺激に満ちた場所になったということには間違いがないように思われます。


歴史は、ほんとうに不思議ですね。


△ △ △

いかがでしたでしょうか。少しでも興味深い点があったと、あなたにお感じいただけたなら、心から嬉しく思います。



最後までお読みいただきありがとうございます。

今回はこのあたりで。


どうぞまた、お付き合いください(^^)/~


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■ 編集後記

秩父長瀞の宝登山のロウバイです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1181516&c=3304&d=ed84

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コメント (1)
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