『語りつぐ戦争 第1集』は名護市発行のなので、収録されている証言は名護市民のものがほとんどである。その中にいくつか隣の今帰仁村の住民の証言が入っている。
その一つに「友軍に狙われて」と題した仲里一徳氏の証言がある。仲里氏は私の生家の近所に住んでいた方で、気性が激しく腕っ節が強いことで知られていた。仲里氏の証言に出てくる謝花喜睦氏の虐殺は、子どもの頃から私も聞かされていた。
前に〈福地廣昭著『 . . . 本文を読む
名護市が発行している『語り継ぐ戦争 市民の戦時・戦後体験記録 第1集』(名護市戦争記録の会/名護市史編さん委員会(戦争部会)/名護市史編さん室:編集)に、「金城幸三・幸生兄弟虐殺ー五名の証言ー」という一節がある。名護市許田における日本軍の金城兄弟虐殺を五人の住民が証言したものである。五つの証言を突き合わせることによって、住民虐殺が起こった背景や日本兵の具体的な行動、事件に対する住民の意識などが浮 . . . 本文を読む
座間味島の阿佐における日本軍の住民虐殺は、他の住民によっても証言されている。
高江洲敏子氏(当時十四歳)の証言は、石川重義氏の虐殺に関してのものである。高江洲氏は家族と一緒にヌンルルーガマに避難していた。米軍の攻撃にさらされて緊迫したガマの状況や、飢えに苦しむ日々の生活も証言されている。
ガマの中では泣きやまない赤ん坊に対して「どこの子供だ。泣く子供たちを殺して捨てろ」と声を荒げていた男 . . . 本文を読む
座間味島の阿佐で起こった住民虐殺についてみてみたい。
沖縄戦当時、座間味島には海上挺身第1戦隊が配置されていた。隊長は梅澤裕少佐である。現在、梅澤氏は大阪地方裁判所に岩波書店と大江健三郎氏を「名誉毀損」で訴え、係争中である。「集団自決」(強制集団死)に関して、自らは命令を出していない、いっさい責任はないと、梅澤氏は主張している。その点については別の機会に論じたいが、同氏は1945年2月以降 . . . 本文を読む
以下に引用するのは阿嘉島の宮平正春氏(当時二六歳)の証言である。
宮平氏は沖縄戦当時、屋嘉比島の慶良工業所に勤め、鉱石運搬船に乗り組んでいた。三月二三日、阿嘉島に船を非難させるが、米軍機の攻撃で船は沈没。その後、阿嘉島の山中で与那嶺老夫婦のタキエさんが日本軍に殺害されるところを目撃する。また、朝鮮人軍夫が銃殺のため日本軍に連れて行かれるところも目撃している。宮平氏自身も日本軍に暴力をふるわれて . . . 本文を読む
阿嘉島における老夫婦(与那嶺松雄・タキエ)の虐殺は、他の島民によっても証言されている。次に引用するのは垣花武栄氏(当時四五歳)の証言である。
〈四月のある日、数日前捕虜になって内に保護されていた与那嶺松雄・タキエ夫妻が、食糧をあさりにきた日本軍に発見され、山の本部へ連行されてしまった。この夫婦は、妻のタキエ婆さんが足が悪く、みんなと一緒に山に登れなくて近くの壕にひそんでいたのである。 . . . 本文を読む
沖縄戦当時、慶良間諸島には座間味島に海上挺身第1戦隊(隊長・梅澤裕少佐)、阿嘉島に第2戦隊(同・野田義彦少佐)、渡嘉敷島に第3戦隊(同・赤松嘉次大尉)が配備されていた。
『座間味村史・下巻』には、座間味村の座間味・阿真・阿佐・慶留間・阿嘉・屋嘉比など各地域の住民の戦争体験記とサイパン・満州での戦争体験記が収められている。
以下に引用するのは阿嘉島の垣花武一氏(当時十五歳)の証言である。垣花氏 . . . 本文を読む
金城精勇氏(昭和二年生)は青年学校に通いながら伊江島の徴用にかり出されていた。護郷隊に召集されたのは、昭和二十年三月であった。安富祖校に入隊すると爆薬を背負っての切り込み演習が行われ、その後、安富祖陣地への食糧運搬や恩納岳の陣地への食糧、弾薬運搬などを行う。米軍上陸後は石川岳へ移動、戦闘に参加する。初戦から劣勢であり、米軍に包囲され撤退。山中を移動する途中で食糧が尽き、飢えに苦しむ。以下の引用は . . . 本文を読む
沖縄戦の歴史歪曲が右翼勢力によって進められている。「集団自決」(強制集団死)だけでなく、いずれ日本軍による住民虐殺に関しても、歪曲や隠蔽を行なってくるだろう(すでに一部では始められているが)。それを許さないためにも、改めて沖縄戦体験者の証言を読んでおきたい。具体的な事実を持って反論することが、何よりも大事だからである。
私自身、生まれ育った村で起こった住民虐殺について、両親や祖父母から話を聞か . . . 本文を読む