『うらそえ文藝』第14号の星・上原対談の中で、上原正稔氏は次のような発言をしている。
〈上原 だからね、渡嘉敷村でも座間味村の人たちでも、実は赤松さんと梅澤さんには感謝しているわけですよ、というのは、彼らが黙っているお陰で、彼らを悪者にしたてあげているお陰で遺族年金がもらえているわけですから〉(256ページ)。
上原氏が言う〈彼らが黙っている〉というのは、「集団自決」は隊長命令によるものということに対して、赤松嘉次元隊長と梅澤裕元隊長が、それを否定せずに沈黙をしているという意味である。
このように発言していながら上原氏は、座談会の先のほうで次の発言もしている。
〈上原 一九七一年の『潮』に二〇〇人の証言(※1)が全部出てきますよ。その中に赤松さんの「自決命令は出していない」という手記もあります〉(259ページ)。
写真は上原氏が言う『潮』一九七一年十一月号に載っている赤松氏の《私記》である。同《私記》で赤松氏は、表題に示されているとおり〈私は自決を命令していない〉という主張を行っている。それでどうして〈彼らが黙っている〉ことになるのだろうか。一方で〈彼らが黙っている〉と言い、もう一方で『潮』の赤松〈手記〉を持ち出す上原氏は、自分の発言の矛盾を自覚していないのだろうか。
また、もし上原氏が言うとおり元隊長たちが〈黙っているお陰で〉〈遺族年金〉がもらえているのなら、赤松元隊長が沈黙を破って「集団自決」の命令を否定した時点で、どうして渡嘉敷島の援護金は停止されなかったのか。上原氏はこのことをどう説明するのか。
赤松元隊長・梅澤元隊長が黙っていたから、渡嘉敷島・座間味島の「集団自決」の遺族は援護金がもらえた。このような主張を行っているのは上原氏だけではない。7月17日の本ブログで取り上げたように『SAPIO』09年7月22日号の「ゴーマニズム宣言」で小林よしのり氏もこう書いていた。
〈赤松隊長は、戦後、
「自決命令」を下したという
濡れ衣を黙って着た。
「軍命令に従った」
ということにすれば、
島民に「遺族援護金」が
支給されるからである。〉(61ページ)。
櫻井よしこ氏も『週刊新潮』09年7月16日号でこう書いている。
〈援護金が遺族の生活の一助となっていることを誰よりもよく知っていたのが今は亡き赤松氏だった。氏は、すべての不条理に関して一言も弁明せずに亡くなった。梅澤氏も沖縄の人々には心底、同情している〉(139ページ)。
そろいもそろって、よくも平然と嘘をつけるものである。〈濡れ衣を黙って着た〉り、〈一言も弁明せずに亡くなった〉というのなら、では『潮』の赤松《私記》はどう説明するのか。同《私記》だけではない。赤松元隊長は一九六〇年代後半から週刊誌や新聞の取材にこたえて「集団自決」の命令を否定する発言を行っていたのだ。具体的に確かめたい人はni0615氏のホームページ「15年戦争資料@wiki」の「沖縄戦資料index」を参照してほしい。赤松氏に関する記事をはじめ豊富な資料を読むことができる。
沈黙どころか積極的に発言・行動していたのは梅澤氏も同じである。宮城晴美著『母が遺したもの』新版(高文研)には「梅澤氏の反撃」という一節があり、「神戸新聞」や「東京新聞」の記事掲載、沖縄資料編集所への「手記」送付、宮村幸延氏を泥酔させて「念書」を取ったことなど、梅澤氏が1985年以降に行ったことが具体的に記されている(266~275ページ)。
このような赤松元隊長や梅澤元隊長の過去の言動を、小林氏や櫻井氏が知らないとは考えられない。この問題に関してくり返し書いているのだから、いくら何でもそこまで無知ではないだろう。上原氏・小林氏・櫻井氏というそれなりに名を知られたドキュメンタリー作家・漫画家・評論家が、浦添市から財政支援を受けている文藝同人誌や、『SAPIO』『週刊新潮』という大手出版社が発行している雑誌で、平然と嘘を書き飛ばしているのだから、何というでたらめさだろうか。また、こういう明かな嘘をチェックもしないで載せる編集者や雑誌にも呆れる。
彼らがこのような嘘を意図的に発信しているのは、言うまでもなく、「集団自決」の隊長命令・軍命令は遺族に援護法を適用させるために創作されたもの、という嘘を広げるためである。嘘を成り立たせるためにさらに嘘を重ねなければならないというわけで、元隊長たちが〈沈黙〉していたことにしないと都合が悪いのだ。
さらに上原・小林・櫻井氏らは、赤松元隊長や梅澤元隊長がまるで「受難者」でもあるかのように描き出し、援護金を受け取っている渡嘉敷島・座間味島の遺族に向かって非難を浴びせる。たんに嘘を重ねて史実を歪曲しているだけでなく、「集団自決」という沖縄戦のなかでも最も悲惨なできごとを体験した島の人たちを、あたかも金欲しさで嘘をついているかのように描き、非難を煽っているのである。このような確信犯たちの嘘と扇動を傍観していてはいけない。
※1 正確には「特別企画 沖縄は日本兵に何をされたか=生き残った沖縄県民一〇〇人の証言」
〈上原 だからね、渡嘉敷村でも座間味村の人たちでも、実は赤松さんと梅澤さんには感謝しているわけですよ、というのは、彼らが黙っているお陰で、彼らを悪者にしたてあげているお陰で遺族年金がもらえているわけですから〉(256ページ)。
上原氏が言う〈彼らが黙っている〉というのは、「集団自決」は隊長命令によるものということに対して、赤松嘉次元隊長と梅澤裕元隊長が、それを否定せずに沈黙をしているという意味である。
このように発言していながら上原氏は、座談会の先のほうで次の発言もしている。
〈上原 一九七一年の『潮』に二〇〇人の証言(※1)が全部出てきますよ。その中に赤松さんの「自決命令は出していない」という手記もあります〉(259ページ)。
写真は上原氏が言う『潮』一九七一年十一月号に載っている赤松氏の《私記》である。同《私記》で赤松氏は、表題に示されているとおり〈私は自決を命令していない〉という主張を行っている。それでどうして〈彼らが黙っている〉ことになるのだろうか。一方で〈彼らが黙っている〉と言い、もう一方で『潮』の赤松〈手記〉を持ち出す上原氏は、自分の発言の矛盾を自覚していないのだろうか。
また、もし上原氏が言うとおり元隊長たちが〈黙っているお陰で〉〈遺族年金〉がもらえているのなら、赤松元隊長が沈黙を破って「集団自決」の命令を否定した時点で、どうして渡嘉敷島の援護金は停止されなかったのか。上原氏はこのことをどう説明するのか。
赤松元隊長・梅澤元隊長が黙っていたから、渡嘉敷島・座間味島の「集団自決」の遺族は援護金がもらえた。このような主張を行っているのは上原氏だけではない。7月17日の本ブログで取り上げたように『SAPIO』09年7月22日号の「ゴーマニズム宣言」で小林よしのり氏もこう書いていた。
〈赤松隊長は、戦後、
「自決命令」を下したという
濡れ衣を黙って着た。
「軍命令に従った」
ということにすれば、
島民に「遺族援護金」が
支給されるからである。〉(61ページ)。
櫻井よしこ氏も『週刊新潮』09年7月16日号でこう書いている。
〈援護金が遺族の生活の一助となっていることを誰よりもよく知っていたのが今は亡き赤松氏だった。氏は、すべての不条理に関して一言も弁明せずに亡くなった。梅澤氏も沖縄の人々には心底、同情している〉(139ページ)。
そろいもそろって、よくも平然と嘘をつけるものである。〈濡れ衣を黙って着た〉り、〈一言も弁明せずに亡くなった〉というのなら、では『潮』の赤松《私記》はどう説明するのか。同《私記》だけではない。赤松元隊長は一九六〇年代後半から週刊誌や新聞の取材にこたえて「集団自決」の命令を否定する発言を行っていたのだ。具体的に確かめたい人はni0615氏のホームページ「15年戦争資料@wiki」の「沖縄戦資料index」を参照してほしい。赤松氏に関する記事をはじめ豊富な資料を読むことができる。
沈黙どころか積極的に発言・行動していたのは梅澤氏も同じである。宮城晴美著『母が遺したもの』新版(高文研)には「梅澤氏の反撃」という一節があり、「神戸新聞」や「東京新聞」の記事掲載、沖縄資料編集所への「手記」送付、宮村幸延氏を泥酔させて「念書」を取ったことなど、梅澤氏が1985年以降に行ったことが具体的に記されている(266~275ページ)。
このような赤松元隊長や梅澤元隊長の過去の言動を、小林氏や櫻井氏が知らないとは考えられない。この問題に関してくり返し書いているのだから、いくら何でもそこまで無知ではないだろう。上原氏・小林氏・櫻井氏というそれなりに名を知られたドキュメンタリー作家・漫画家・評論家が、浦添市から財政支援を受けている文藝同人誌や、『SAPIO』『週刊新潮』という大手出版社が発行している雑誌で、平然と嘘を書き飛ばしているのだから、何というでたらめさだろうか。また、こういう明かな嘘をチェックもしないで載せる編集者や雑誌にも呆れる。
彼らがこのような嘘を意図的に発信しているのは、言うまでもなく、「集団自決」の隊長命令・軍命令は遺族に援護法を適用させるために創作されたもの、という嘘を広げるためである。嘘を成り立たせるためにさらに嘘を重ねなければならないというわけで、元隊長たちが〈沈黙〉していたことにしないと都合が悪いのだ。
さらに上原・小林・櫻井氏らは、赤松元隊長や梅澤元隊長がまるで「受難者」でもあるかのように描き出し、援護金を受け取っている渡嘉敷島・座間味島の遺族に向かって非難を浴びせる。たんに嘘を重ねて史実を歪曲しているだけでなく、「集団自決」という沖縄戦のなかでも最も悲惨なできごとを体験した島の人たちを、あたかも金欲しさで嘘をついているかのように描き、非難を煽っているのである。このような確信犯たちの嘘と扇動を傍観していてはいけない。
※1 正確には「特別企画 沖縄は日本兵に何をされたか=生き残った沖縄県民一〇〇人の証言」
曽野綾子と同席の写真も載ってます。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/840.html
さらに、それよりも3年前1968年「週刊新潮」4月6日号でマスコミデビューを果たし、自分の自決命令を公の媒体で否定しています。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/990.html
そして、1970年3月には来沖し、自決命令を否定した上、黙っていたのは「援護金」の為だったと恩着せがましいことを言ったのです。
「赤松氏は渡嘉敷の為に沈黙していた」と、照屋昇雄、上原正稔らが持ち上げ、よしのりや櫻井よしこがそれを軍命否定の材料として使った事は、彼らのジャーナリストとしての資質を疑わせるのに十分です。
赤松嘉次「渡嘉敷戦斗ノ概要」 昭和二十年十一月沖縄収容所に於て
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2247.html
戦隊長が、住民の集団死のことや自ら下した住民処刑のことを歯牙にもかけていないことに、改めて驚愕します。
感想・分析欄を設けましたので、よろしくお願いします。
アップしました。
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2254.html
御検証くだされば幸いです。