海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

宮森小学校への戦闘機墜落事故から50年

2009-06-30 20:46:12 | 米軍・自衛隊・基地問題
 今日6月30日は、うるま市(当時は石川市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、生徒11人、一般住民6人の命を奪い、210人に重軽傷を負わせた事故から50年の節目の日であった。宮森小学校では学校関係者や遺族、事故の被害者らが参加して追悼式が持たれた。
 沖縄の新聞は、6月23日の慰霊の日が終わったあと、沖縄戦に関する連載に続くかのように、宮森小学校の事故に関する連載を行っていた。遺族や被害者、関係者らの語る事故現場の様子、肉親を失った悲しみ、苦しみ、怒り、心の傷、補償の実態などが綴られ、50年たって初めて語ることのできた事実や思いもあった。
 その中に、いま語っておかなければ事故のことが忘れられてしまうのではないか、という言葉があった。事故のことを記録し、あとの世代に継承していこうという努力が、遺族や被害者、学校関係者、ボランティアらによってなされている。そこには沖縄戦の記録と継承と同じ課題があるのだが、この事故そのものが沖縄戦と切り離して考えることはできない。
 沖縄戦とその後の米軍による占領支配、基地建設による島全体の軍事要塞化、そして朝鮮戦争からベトナム戦争へといたる流れの中で、宮森小学校のジェット戦闘機墜落事故も起こっている。沖縄において戦争が終わった後を意味する「戦後」が本当にあったのか。直接の戦闘は終了しても、戦争は形を変えて絶えずこの島を席巻し、東アジアの熱戦に巻き込み、島の人たちを蹂躙し続けてきたのではないか。この島で未だ終わらない「戦争」を象徴するものとして、この事故はあるのではないか。
 同じようなことが二度とあってはいけない。遺族はそう語る。しかし、50年後のいまも沖縄基地の状況は変わらず、辺野古には新たな基地さえ建設されようとしている。同じようなことが何時あってもおかしくない状況が続いている。仲井真沖縄県知事や島袋名護市長は、毎朝新聞の連載を呼んだはずだが、いったい何を考えただろうか。新基地を建設して再び同じような事故が起こったとき、どう責任を取るつもりだろうか。
 50年前に起こった事故が過去のものとはいえない沖縄の状況を変えようと思うのなら、普天間基地の県内「移設」という選択肢はあり得ない。V字型滑走路の延長線上に宮森小学校はある。沖縄の上空をオスプレイが飛ぶようなことを許してはならない。

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2 コメント

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630を語り継ぐ関西集会案内 (京の京太郎)
2009-09-30 12:15:52
宮森小米軍ジェット機墜落事故から50年!今も変わらない現実!風化させずに語り継ごう!

「フクギの雫の上映」と「師弟が語る生々しい体験」

集会プログラム
①宮森事故を劇化した「フクギの雫」の上映
②師弟行脚で宮森630を語る(証言者2名)
・事故当時25歳の青年教師(現在75歳)
・事故当時宮森小2年生
 
日 時:2009年10月17日(土)午後5時より
場 所:大阪沖縄会館4階ホール(大正区千島3-13-3)
入場料:前売(一般2000円、学生1000円)、当日(2500円)

主 催:宮森630実行委員会
主 管:関西沖縄文庫
後 援:大阪沖縄県人会連合会・関西沖縄の集い・がじまる会・沖縄県大阪事務所・琉球新報社大阪支社・沖縄タイムス社関西支社

関西近郊の方はぜひご参加・ご支援を!
返信する
集会の成功を (目取真)
2009-09-30 16:25:54
色々と情報提供有難うございます。
ぜひ多くの人が参加して、集会が成功してほしいものです。
返信する

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