海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

64回目の敗戦の日

2009-08-15 15:22:16 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 家の庭の池には睡蓮が咲いている。
 64回目の敗戦の日を迎えた。アジアの人々にとっては、日本の帝国主義支配から解放された日でもある。
 一昨年の8月15日は千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖國神社に行った。去年は旧盆と重なり行けなかったが、今年は南洋群島墓参団に参加したので、千鳥が淵戦没者墓苑にもぜひ行こうと考えていた。しかし、都合がつかなくて東京に行けず、残念でならない。
 日本がポツダム宣言を受諾して降伏して以降も、多くの人が戦争の犠牲になっている。渡嘉敷島の赤松隊による住民虐殺や久米島の鹿山隊による住民虐殺は、8月15日以降にも行われている。米軍の記録では、沖縄島の北部を中心に、9月以降も山中でゲリラ戦を行ったり、逃亡する日本兵を殺害したという記述がつづく。
 各地の捕虜収容所や焼け跡のバラックで、怪我や病気、衰弱で亡くなった人々。戦争が終わったことを知らず、あるいは敗戦を認めずに戦って死んだ人々。日本やアジア、シベリア、太平洋などの各地で、8月15日以降も多くの人々が死んでいったことを忘れてはならない。そして、戦争の恐怖によって精神を病み、そのあと正気に返ることなく亡くなった人たちのことも忘れないでいたい。
 石川逸子詩集『千鳥ヶ淵へ行きましたか』(影書房)より一節を引用したい。

  2 名のない人たち
 
 愚かな私は思っていました
 「墓苑というからには一人一人の墓があって
 ずらあっと並んでいるのだろう」
 フランスの無名戦士の墓
 写真で見たのだったか
 見渡すかぎり累々と十字架が立ち 一つ一つに花が供えられ

 千鳥ヶ淵は小ぢんまりとしたものです
 死者の占める場所は僅か
 三十二万一千六百三十二体の かつて人間だった骨は
 地下室の壺の中に押しこめられています
 六室に分けられた壺のなかに
 「大君のために」強盗の戦争に出かけ
 撃たれ 千切れ 飢え 病み
 一片の骨となった あなた方がいます

 「軍人軍属のみならず戦闘に参加した一般人のものも含まれており
 いずれも氏名の判明しないものであります」
 名がなければ
 一枚の赤紙で狩られることもなかったろう
 名があったから
 父を失い弟妹を養う長男でも
 田の草を取りかけていても フランス語を学びはじめていても 
 容赦なく 兵にされたのだ

 大君にとって 国にとって
 生きている間はなにがなんでも必要で
 骨になったら 名も求められない
 かなしい あなたたちよ           
 
  『石川逸子詩集 定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか』(影書房)より。


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「南洋桜1」引用・転載許可願 (延島冬生)
2009-08-16 10:38:39

「南洋桜1」のコメントにアップしましたが、30日経過後のものは受け取れないようなので、以下同文を書きました。

目取真俊様
貴方のアドレスが分からないので、ここに貴HPの引用・転載許可願をします。よろしくお願いします。
1、引用・転載箇所
 「南洋桜1」
2、目的
 サイパンにおける「南洋桜」の植栽・利用の例として示す。
3、引用・転載方法
3-1、印刷し、参考資料とて関係者に示す。
3-2、私の下記HP上で、参考資料として掲載する。
4、理由
 父島の街路樹の主要樹木にホウオウボクをしようとしている事業者(東京都)に延島の意見(ホウオウボクは綺麗だが、サイパンの花であり、父島の玄関通りを飾るのは、小笠原らしくない)を言うため。
5、期間
 1年間
以上
http://homepage1.nifty.com/Bonin-Islands/
月刊小笠原諸島
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