海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「住民虐殺」~琉球新報の連載

2008-06-13 21:10:21 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 23日の沖縄戦慰霊の日に向けて、琉球新報紙が「住民虐殺ー銃を向けた日本軍」という連載を始めている。「慰霊の日」取材班によるもので、趣旨を以下のように記している。

〈日本軍は多くの住民を壕や陣地造りなどに動員、住民をスパイ視し、米軍の捕虜になるのを防ごうと多くの住民を強制的に死へ追いやった。「集団自決」もその一つ。日本軍の方針が最も顕著に、残虐な形で表れた「住民虐殺」を通し、軍隊は住民を守らないという沖縄戦の教訓を再考する〉
 
 今の時期に大切な視点に基づく企画だと思う。昨年、教科書検定問題が起こってから、「集団自決」に関して多くの報道がなされた。その一方で、日本軍による住民虐殺の実態は、その陰に隠れてしまっているという印象がある。しかし、非戦闘員である住民に死を強制するという点で、この二つは切り離すことができない。
 渡嘉敷島や座間味島でも「集団自決」と同時に住民虐殺がおこっている。とりわけ赤松嘉次隊長の命令で行われた住民虐殺は、捕虜になることを許さない、という軍の方針が貫かれていて、こういう軍隊だからこそ「集団自決」も起こったのだ、ということが理解できる。
 今日(13日)付の一面トップに載っている記事では、糸満摩文仁の自然壕の中で殺害された少女のことが紹介されている。

〈自然壕の暗闇の中、赤ちゃんが一人、二人と泣きだした。敵が知るのを心配した日本兵が「黙らせろ」と怒鳴った次の瞬間だった。光がやっと届く暗がりで、斜め座りし、両手で目をこすり泣いていた小学一、二年生ほどのおかっぱ頭の少女に将校が壕の奥から歩み寄った。無言で拳銃の銃口を少女の左のこめかみに当てた。大きな一発の銃声が壕内に響いた。右のこめかみから煙が上がった。少女は声もなく前方へ崩れ落ち、動かなくなった。壕内は静まりかえった。将校は平然と暗闇の奥に消えた〉

 紙面には、殺害の様子を目撃した仲松庸全氏(当時17歳)が、摩文仁の海岸で現場の自然壕を指さしている写真も載っている。仲松氏はその壕にたどり着くまでに、多くの壕で日本兵に〈沖縄人はスパイだ〉と入るのを拒否されたという。
 少女の殺害を目にして、仲松氏は投降を決意し、自分のシャツを引きちぎって白旗を作り、壕を飛び出した。そのとき後ろから日本兵に切りつけられた。幸い〈耳元で剣先が空を切る音を聞いた〉だけで、米軍の捕虜となって助かることができたという。

〈教科書問題で文科省が検定意見を撤回しない態度は本当に腹が立つ。体験から集団自決は軍命でやられたとはっきり言える。軍の体質だ〉

 そういう仲松氏の発言で記事は締めくくられている。中松氏の言う〈軍の体質〉とは、住民虐殺や「集団自決」が個々の兵士の問題に限定されない、当時の日本軍の組織的なものであり、沖縄住民への軍の認識や戦闘における方針によるものであることを指しているだろう。
 沖縄戦慰霊の日まであと十日、この連載に注目したい。

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1 コメント

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Unknown (かむじゃたん)
2008-06-16 15:49:12
このところの新聞、沖縄の6月の、慰霊の日1週間前
の記事としては弱いような気がする。
新聞は、その年その年のトピカルな話題を散りばめる。「ハンセン病」や「朝鮮人」や、「PTSD」や
「集団死」など、あるいは「沖縄戦新聞」(2005)とか「毎月の憲法特集」(2006)がこのところ連載で力が入っていた。
それに比して、今年も課題は多く大きいのに、
イマイチの感。
何なのだろうと思う。
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