沖縄は昨日、那覇の波の上ビーチや宮古の与那覇前浜で海開きが行われた。気温も26度を超え、福田政権の支持率の数字をじきに上回るだろう(支持率が下がるのが先か)。宮古にいた頃、与那覇前浜には何度か泳ぎにいった。パウダーのように細かい純白の砂の美しさは宮古でも屈指のものだ。遠浅で砂地の海底なので、海の青色も素晴らしい。一度泳いでいて潮に流され、なかなか浜に着けなくて、今日や大事なたーさー、とヒヤリとしたこともあったが、ぜひまた行ってみたいものだ。
学校も今日から新学期が始まっている。教師を辞めてからは、この時期の学校の活気にあふれた雰囲気も遠いものになってしまった。今日は新任職員の紹介やクラス分けがあり、全体清掃や新学期の準備で一日中校内は賑やかだっただろう。職員は今日も遅くまで残って仕事をしていることと思う(せざるを得ないのだが)。
沖縄の教育現場では、年々上意下達の締め付けが厳しくなり、多忙化が進んで現場の教師は精神的にも体力的にも追いつめられている状況がある。昨年から教科書検定問題が大きく報じられてきたが、学校現場で教師が平和教育をやろうにも、準備をする時間も精神的余裕も失われている現状では、きちんとした取り組みができなくなってしまう。
教科書の記述の問題も重要だが、その教科書を使って教えるためには、教材研究の時間が確保されなければならない。できれば新聞や雑誌などの資料を使って補助教材を作りたいと考えても、校務分掌や学級事務、教育庁への提出物の準備、校内・校外の研修その他で時間を取られ、教材研究の時間が取れない、というのは大多数の教師が抱えている悩みだろう。
労働環境が悪化し、比較的恵まれている公務員へのバッシングが行われることによって、教師の置かれている労働環境への理解が広まりにくい社会状況になっている。しかし、沖縄戦の史実をきちんと伝えようと言うのなら、教師が平和教育に取り組めるような環境整備がなされるよう、市民の側の理解と支援も必要となる。
一方で、教師の側の平和教育に対する意識と実践も問われる。国語や社会の教師なら、毎日の授業の中でもできることが色々ある。クラス担任にしてもそうだ。いくら政治家や知識人、運動家があれこれ言っても、生徒とじかに接しているのは教師なのだ。その影響力はいろんな意味で大きい。現場を離れた者が偉そうなことは言えないが、ぜひ現場で生徒と接している教師達に頑張ってほしいと思う。
昨年の教科書検定で問題となった高校の日本史教科書も、今週から授業で使われる。教科書会社の訂正申請を受けて、書き換えられた当初の記述よりはましになったとはいえ、軍による強制を示す記述の復活は実現されず、検定意見も撤回されていない。その課題の実現のために、大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決を受けて、9・29県民大会の実行委員会が活動を再開した。
一審判決では、梅澤氏の陳述書と本人尋問に対して「信用性に疑問がある」という否定的見解が示された。元より、係争中の裁判で原告の主張のみを取り上げて検定を行ったこと自体デタラメだが、裁判の結果により文部科学省が挙げた検定意見の根拠はすべて崩れ去った。だからといって文部科学省が簡単に検定意見を撤回するとは思えないが、その成否は沖縄県民が実行委員会を支えてどれだけ運動を再構築できるかにかかっている。
つらい記憶を呼び起こして証言した沖縄戦体験者の思いに報いるためにも、それぞれの持ち場で、できる限りのことをやらねばと思う。
学校も今日から新学期が始まっている。教師を辞めてからは、この時期の学校の活気にあふれた雰囲気も遠いものになってしまった。今日は新任職員の紹介やクラス分けがあり、全体清掃や新学期の準備で一日中校内は賑やかだっただろう。職員は今日も遅くまで残って仕事をしていることと思う(せざるを得ないのだが)。
沖縄の教育現場では、年々上意下達の締め付けが厳しくなり、多忙化が進んで現場の教師は精神的にも体力的にも追いつめられている状況がある。昨年から教科書検定問題が大きく報じられてきたが、学校現場で教師が平和教育をやろうにも、準備をする時間も精神的余裕も失われている現状では、きちんとした取り組みができなくなってしまう。
教科書の記述の問題も重要だが、その教科書を使って教えるためには、教材研究の時間が確保されなければならない。できれば新聞や雑誌などの資料を使って補助教材を作りたいと考えても、校務分掌や学級事務、教育庁への提出物の準備、校内・校外の研修その他で時間を取られ、教材研究の時間が取れない、というのは大多数の教師が抱えている悩みだろう。
労働環境が悪化し、比較的恵まれている公務員へのバッシングが行われることによって、教師の置かれている労働環境への理解が広まりにくい社会状況になっている。しかし、沖縄戦の史実をきちんと伝えようと言うのなら、教師が平和教育に取り組めるような環境整備がなされるよう、市民の側の理解と支援も必要となる。
一方で、教師の側の平和教育に対する意識と実践も問われる。国語や社会の教師なら、毎日の授業の中でもできることが色々ある。クラス担任にしてもそうだ。いくら政治家や知識人、運動家があれこれ言っても、生徒とじかに接しているのは教師なのだ。その影響力はいろんな意味で大きい。現場を離れた者が偉そうなことは言えないが、ぜひ現場で生徒と接している教師達に頑張ってほしいと思う。
昨年の教科書検定で問題となった高校の日本史教科書も、今週から授業で使われる。教科書会社の訂正申請を受けて、書き換えられた当初の記述よりはましになったとはいえ、軍による強制を示す記述の復活は実現されず、検定意見も撤回されていない。その課題の実現のために、大江・岩波沖縄戦裁判の一審判決を受けて、9・29県民大会の実行委員会が活動を再開した。
一審判決では、梅澤氏の陳述書と本人尋問に対して「信用性に疑問がある」という否定的見解が示された。元より、係争中の裁判で原告の主張のみを取り上げて検定を行ったこと自体デタラメだが、裁判の結果により文部科学省が挙げた検定意見の根拠はすべて崩れ去った。だからといって文部科学省が簡単に検定意見を撤回するとは思えないが、その成否は沖縄県民が実行委員会を支えてどれだけ運動を再構築できるかにかかっている。
つらい記憶を呼び起こして証言した沖縄戦体験者の思いに報いるためにも、それぞれの持ち場で、できる限りのことをやらねばと思う。
ぼくの好きな沖縄も、すごっく、ヤマトンチューですね。大江さんの、「沖縄ノート」は、何度何回読んでも何がいいたいかわからんけど、多分、観光地としての“沖縄”は嫌いなんじゃない、と思い、そこでは信用します。
そのときが来たら、そのときが来たら、抱きしめて、和解し合う、ぼろぼろ涙にかきくれながらという、そんな感情を、蹴飛ばして、欲しかったけど。
卵を投げつけて。
どうして、知識人には、そんな裸踊りが出来ないの?