海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

10・10空襲から66年

2010-10-11 13:45:22 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 今日の名護は穏やかな秋晴れで風が気持ちいい。少し離れた森で鳴くオオシマゼミやクロイワツクツクの鳴き声が部屋まで聞こえてくる。
 昨日は米軍が沖縄全土を襲った10・10空襲から66年目であった。今帰仁村でも仲宗根の町や海軍部隊がいた運天港を中心に空襲の被害を受けている。
 子供の頃、祖母がその時の様子を話していた。当時、祖父は仲宗根で散髪屋を営んでいた。朝、祖母が店の前を箒ではいていると、イナブスモーの上の空に黒い点々が見えた。最初は皆、友軍の飛行機だと思い喜んでいたが、空襲が始まって米軍機だと知り、慌てて逃げ出したという。
 今朝(11日付)の琉球新報には、10・10空襲の際に本部港に停泊していて撃沈された潜水母艦・迅鯨の慰霊祭が開かれたという記事が載っている。乗組員135人が犠牲になったとのこと。本部港や運天港など、戦争になれば軍事拠点が真っ先に攻撃を受け、周辺住民もそれに巻き込まれて被害を受ける。〈遺族や関係者の高齢化のため、慰霊祭は今年が最後となる〉と記事は伝えているが、戦争の歴史とそれが教える教訓は、これからも地域で伝えていかなければならない。
 9日には「沖縄10・10空襲・砲弾等被害者の会」(安里清次郎、仲間英一世話人)が結成されている。2013年までに「空襲・砲弾等被害者特別補償法(仮称)」の制定を目ざし、裁判闘争も視野に入れて取り組みを進めていくという。軍人・軍属には恩給、補償がなされてきたが、「民間一般戦争被害者」には国から何の救済も謝罪もない差別、不条理を告発し、戦争被害の補償を訴えている。会員となる民間一般戦争被害者の皆さんは高齢化している。多くの人の力でこの取り組みを支援していきたいものだ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オスプレイ配備に反対を! | トップ | 恩納開拓団跡地を訪ねる »
最新の画像もっと見る

沖縄戦/アジア・太平洋戦争」カテゴリの最新記事