「風流無談」第4回 琉球新報2007年9月1日付朝刊掲載
八月二十五日付琉球新報朝刊に気になる記事が載っていた。県選出・出身の自民党国会議員でつくる「五ノ日の会」と面会した伊吹文明文部科学大臣が、教科書検定問題について、〈「日本軍による『関与』という表現ならいい」などと述べた上で、次回の教科書検定における修正意見の見直しについて柔軟な態度を示した〉というものである。
同日付沖縄タイムスでは、〈伊吹文科相は県議会が全会一致した「検定結果の撤回を求める意見書」の表記が「軍命」ではなく「軍の関与」となっていることに「知恵を出した表現だ。来年の教科書を書くならば、そういう形で書かせたほうがいいのではないか」と語ったという〉と記されている。
これらの記事を一見すると、これまでの県民の運動や世論にふまえ、九月二十九日の県民大会の状況を見ながら、政府・文部科学省・与党内で妥協点や落とし所を探ろうという動きが始まっているように見える。だが、これで問題が解決の方向に一歩進んだと考えるなら誤りだろうし、むしろこういう時こそ注意が必要である。
今回の教科書検定で最も重要な点は、「集団自決」について日本軍の強制があったという記述が削除されたことにある。改めて確認しておくと、検定意見が付けられたことによって次のように書き換えがなされた。
山川出版「日本史A」
〈申請図書の記述〉
「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、日本軍によって壕を 追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。」
〈検定で決定した記述〉
「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて 住民多数が死んだが、その中には日本軍に 壕から追い出されたり、自決した住民もい た。」
三省堂「日本史A」
〈申請図書の記述〉
「日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけら れて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨を極めた。」
〈検定で決定した記述〉
「追いつめられて「集団自決」した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺 害された人も多く、沖縄戦は悲惨を極めた。」
紙幅の都合上、二社の教科書だけをあげるが、検定意見によって「集団自決」が日本軍によって「追い込まれた」「強いられた」ものであるという記述が削除され、あたかも住民が自発的に「自決」していったかのように書き換えがなされている。
ここにおいて問題は、たんに日本軍の「関与」があったか否かではなく、どのような「関与」があったのかという中味なのであり、日本軍による強制があったという記述を明記させることが、最重要の課題なのである。
もし伊吹文科相が言うように「軍の関与」があったというだけの曖昧な表現で決着が付けられるなら、それは容易に中味がすり替えられるだろう。日本軍が住民に手榴弾を渡したのは事実であり、その点では「軍の関与」があった。しかし、その手榴弾を使って命を絶ったのは住民の自発的な行為であり、軍の強制によるものではなかった、というように。
九月二十九日の県民大会は五万人規模が予定され、全県民的な取り組みとして準備が進められている。その意義の大きさを認めるのにやぶさかではないが、同時に私は一抹の懸念も覚えている。幅広く人を集めるということで、集会の目的や決議文の内容が最大公約数的な形で曖昧になりはしないかと。
そこで思い出すのは一九九五年の10・21県民大会である。日本政府を揺り動かすほどの集会として実現されながら、そのあとに起こったのは米軍基地の県内たらい回しという事態であり、それによって問題の解決は進まず、県民は今も苦しみ続けている。
私たちは同じ過ちをくり返してはならない。教科書検定意見の撤回と「集団自決」に日本軍の強制があったという記述の完全復活・明記を、けっしてゆずることのできない一線として確認し、曖昧な形での妥協をしないことがきわめて重要である。
この問題が起こってから、県内紙には数多くの戦争体験者の証言が掲載されてきた。それらを読みながら、もし日本軍が住民に手榴弾を渡して自ら命を絶つように命令・指示していなければ、どれだけ多くの県民が死ななくてすんだか、と考えずにいられない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓は、軍人の行動規範を示したものだ。軍人でもない非戦闘員の住民までも「捕虜」(戦争難民)となることを許さず、手榴弾を配った日本軍の行為は、死の強制でなくして何だというのだろうか。
八月二十五日付琉球新報朝刊に気になる記事が載っていた。県選出・出身の自民党国会議員でつくる「五ノ日の会」と面会した伊吹文明文部科学大臣が、教科書検定問題について、〈「日本軍による『関与』という表現ならいい」などと述べた上で、次回の教科書検定における修正意見の見直しについて柔軟な態度を示した〉というものである。
同日付沖縄タイムスでは、〈伊吹文科相は県議会が全会一致した「検定結果の撤回を求める意見書」の表記が「軍命」ではなく「軍の関与」となっていることに「知恵を出した表現だ。来年の教科書を書くならば、そういう形で書かせたほうがいいのではないか」と語ったという〉と記されている。
これらの記事を一見すると、これまでの県民の運動や世論にふまえ、九月二十九日の県民大会の状況を見ながら、政府・文部科学省・与党内で妥協点や落とし所を探ろうという動きが始まっているように見える。だが、これで問題が解決の方向に一歩進んだと考えるなら誤りだろうし、むしろこういう時こそ注意が必要である。
今回の教科書検定で最も重要な点は、「集団自決」について日本軍の強制があったという記述が削除されたことにある。改めて確認しておくと、検定意見が付けられたことによって次のように書き換えがなされた。
山川出版「日本史A」
〈申請図書の記述〉
「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて住民多数が死んだが、日本軍によって壕を 追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。」
〈検定で決定した記述〉
「島の南部では両軍の死闘に巻き込まれて 住民多数が死んだが、その中には日本軍に 壕から追い出されたり、自決した住民もい た。」
三省堂「日本史A」
〈申請図書の記述〉
「日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけら れて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨を極めた。」
〈検定で決定した記述〉
「追いつめられて「集団自決」した人や、戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺 害された人も多く、沖縄戦は悲惨を極めた。」
紙幅の都合上、二社の教科書だけをあげるが、検定意見によって「集団自決」が日本軍によって「追い込まれた」「強いられた」ものであるという記述が削除され、あたかも住民が自発的に「自決」していったかのように書き換えがなされている。
ここにおいて問題は、たんに日本軍の「関与」があったか否かではなく、どのような「関与」があったのかという中味なのであり、日本軍による強制があったという記述を明記させることが、最重要の課題なのである。
もし伊吹文科相が言うように「軍の関与」があったというだけの曖昧な表現で決着が付けられるなら、それは容易に中味がすり替えられるだろう。日本軍が住民に手榴弾を渡したのは事実であり、その点では「軍の関与」があった。しかし、その手榴弾を使って命を絶ったのは住民の自発的な行為であり、軍の強制によるものではなかった、というように。
九月二十九日の県民大会は五万人規模が予定され、全県民的な取り組みとして準備が進められている。その意義の大きさを認めるのにやぶさかではないが、同時に私は一抹の懸念も覚えている。幅広く人を集めるということで、集会の目的や決議文の内容が最大公約数的な形で曖昧になりはしないかと。
そこで思い出すのは一九九五年の10・21県民大会である。日本政府を揺り動かすほどの集会として実現されながら、そのあとに起こったのは米軍基地の県内たらい回しという事態であり、それによって問題の解決は進まず、県民は今も苦しみ続けている。
私たちは同じ過ちをくり返してはならない。教科書検定意見の撤回と「集団自決」に日本軍の強制があったという記述の完全復活・明記を、けっしてゆずることのできない一線として確認し、曖昧な形での妥協をしないことがきわめて重要である。
この問題が起こってから、県内紙には数多くの戦争体験者の証言が掲載されてきた。それらを読みながら、もし日本軍が住民に手榴弾を渡して自ら命を絶つように命令・指示していなければ、どれだけ多くの県民が死ななくてすんだか、と考えずにいられない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓は、軍人の行動規範を示したものだ。軍人でもない非戦闘員の住民までも「捕虜」(戦争難民)となることを許さず、手榴弾を配った日本軍の行為は、死の強制でなくして何だというのだろうか。