海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「風流無談」番外篇

2008-02-13 16:22:43 | 「風流無談」
 『わしズム』2008年冬季号の「天籟」というエッセーで小林よしのり氏が、琉球新報社や私への批判を行っている。相も変わらず独りよがりで幼稚な議論を展開しているが、小林氏の文章を読んでいると、この人は沖縄戦に関する本をろくに読んでいないし、「集団自決」(強制集団死)をめぐる議論の経過についても無知であることがよく分かる。
 同誌の9ページに、沖縄の新聞では「軍命」から「強制」という表現に変わっていると、さも新しい発見であるかのように書いている。書くほどに無知をさらしているといったところか。小林氏は石原昌家氏や安仁屋政昭氏の著作は元より、実は沖縄タイムス社の『鉄の暴風』や曾野綾子著『ある神話の背景』、宮城晴美著『母が遺したもの』といった基本的文献さえちゃんと読んでないのではないか。それをうかがわせるのが『わしズム』の前号(2007年秋号)に載っている座談会の次のような会話である。
 
宮城 おまけに、どうやら渡嘉敷島にいた軍隊はあまり頼りになりそうもなかったという話ですよね。
小林 回天に乗った特攻隊の部隊でしょう。彼らは自分たちが死ぬために来た。死を賭けて攻めるのが任務だから。
宮城 そう、住民を守るために来てるわけじゃないんですよ。その意味では、「軍隊は住民を守らなかった」というのも事実で、住民は頼りないと感じたでしょう。
 ……以下略。(『わしズム』2007年秋号 22ページ)
 
 引用した文章で「宮城」というのは沖縄大学教授の宮城能彦氏であり、「小林」は小林よしのり氏である。
 これまで多くの人が「集団自決」(強制集団死)の問題を論じてきているが、渡嘉敷島の部隊を海軍の「回天」の部隊と勘違いしている人を初めて見た。先に挙げた基本的文献を読んでいれば、慶良間諸島に配備されていたのが陸軍の「マルレ」という水上特攻艇であることは容易に知り得ることだ。同座談会では小林氏も宮城氏も、さも沖縄戦の専門家でもあるかのような口振りで話をしているのだが、そういう基本的事実さえ知らないのだから読者は失笑するしかない。
 ということで参考までに、小林氏が問題にしている琉球新報12月24日付に掲載された私の文章を以下に載せておきたい。

 十二月十八日付の本紙文化欄に、私が書いた「風流無談」に対する小林よしのり氏の反論が載っている。相も変わらず沖縄戦における「集団自決」について、家族への愛や県民の主体性か、それとも日本軍の命令かと二者択一的に問題設定している。
 〈わしには当時の沖縄県民がそこまで主体性を喪失していたとはどうしても思えない。沖縄県民の家族への愛情は健全であった〉
 小林氏はこう書いているが、平時であれ戦時であれ、あるいは「集団自決」が起こったその瞬間であれ、住民に家族への愛情があるのは当たり前のことだ。
 「集団自決」における沖縄県民の「主体性」に関しても、小林氏が今さら言うまでもなく、沖縄では一九六十年代から問題にされ、論じられてきている。行政の幹部や教育、メディアの関係者らが戦時体制下でどのように軍に協力し、民衆を戦争に動員していったか。その実態と主体的責任を問う議論は行われてきているし、現在も引き続き重要な問題であることに変わりはない。
 私が批判しているのは、家族への愛情や沖縄県民の主体性を強調することで、「集団自決」における日本軍の命令・強制という決定的要因を曖昧にし、その事実を否定していく小林氏の手法のまやかしである。
 沖縄には数多くの離島がある。その中で大規模な「集団自決」が起こったのは慶良間諸島と伊江島である。そこには水上特攻艇基地と飛行場が建設され、住民もその建設工事に動員されていた。日本兵が民家に寝泊まりするなど、住民と軍との関わりも深く、住民は日本兵から中国で行った捕虜への虐待行為をじかに聞かされている。
 とりわけ慶良間諸島は、特攻基地という機密性の強い基地が置かれたため、日本軍による住民の統制・監視も徹底していた。慶良間諸島では、米軍に収容された住民がスパイ容疑で日本軍に虐殺される事件も相次いで起こっている。それは住民がいかに日本軍に統制・監視されていたかを端的に示している。
 当時の沖縄にあった「同調圧力」とは、このような軍の統制・監視によって作られたものであり、共同体一般のそれとして論じられるべきものではない。また、「集団自決」が家族への愛情を主要因として起こるものでないことは、日本軍のいなかった島では起こっていないことからも明らかである。
 何よりも「捕虜にならずに自決せよ」と日本軍から住民に手榴弾などの武器が渡されたことが、「集団自決」の決定的要因となっていることは、住民の証言や沖縄戦研究によってすでに明らかにされていることだ。
 小林氏はこのような事実や沖縄戦研究を無視して、「通州事件」の報道を強調することでマスコミに責任転嫁し、サイパンや樺太の「集団自決」にまで問題を一般化している。小林氏は〈全体主義の島「沖縄」〉と銘打った雑誌『わしズム』の座談会で、渡嘉敷島の赤松隊を海軍の回天の部隊と勘違いしているが、その程度の基礎知識もなく沖縄戦について自分の思いこみを羅列するより、沖縄戦研究者の著作をちゃんと読んだらどうか。
 小林氏は当時の第三十二軍が「住民統制に特別手間をかけられる状態ではなかった」とも書いているが、軍が住民を「統制」しないで戦争ができると思っているのか。戦時体制は行政・議会・労働・報道・教育・民間などのあらゆる組織を軍の統制下に置くことで成り立つのであり、当時の沖縄も例外ではない。第三十二軍が一年前に配備されたと強調し、住民への軍の影響力を小さく見せたいのだろうが、急速に臨戦態勢に入っていく沖縄の状況を事実に即して見るきだろう。
 慶良間諸島における「集団自決」も日本軍の統制下で起こったことだ。渡嘉敷島においては兵器軍曹によって事前に住民に手榴弾が配られ、さらに防衛隊によって「集団自決」当日も手榴弾が配られている。防衛隊は軍の指揮下で行動しているのであり、手榴弾も軍の厳重な管理下にある。赤松隊長の命令なくして住民に配られることはあり得ない。座間味島においても島の最高指揮官は梅澤氏であり、梅澤氏の許可なくして住民に手榴弾がわたることはないというのは、大阪地裁で行われている裁判で、梅澤氏自身が証言している。
 小林氏は座間味島の役場職員が「集団自決」を引き起こしたかのように書いている。しかし、その職員に事前に「軍命」が下っていたという新たな証言が出ている。私は大阪地裁で梅澤氏の証言を傍聴したが、宮城晴美著『母が遺したもの』と梅澤証言の重要な違いもある。梅澤氏が実際に「自決するな」と言ったのなら、それに逆らって役場職員が「玉砕命令が下った」と住民を集めることはあり得ない、と私は考えている。
 私はこの問題は想像より事実の積み重ねが重要だと考えるし、日本軍の命令・強制を否定するために「家族愛」を利用し、住民に責任転嫁するのは卑劣な手法としか思えない。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「建国記念の日」反対集会と... | トップ | 『語り継ぐ戦争 第1集』より1 »
最新の画像もっと見る

「風流無談」」カテゴリの最新記事