夕刻の備忘録 さんより転載です。
今一度確認しておきたいことがある。
それは我が国が「世界最強の国家である」ということである。
しかし、これには但し書きがつく。
正確には、「世界最強の自然国家である」という意味である。
「最強」に抵抗感のある人は、最高でもいい、最善でも、歴史を尊ぶ意味からは最古でもいいだろう。どのような表現を採ろうと、我が国は人類の長い歴史の中で、「特別の位置にある」ということである。
この自覚の無い日本人は、必ず判断を誤る。
自惚れでも卑下でもない、的確な判断ができない。
世界の歴史の中で昔も今も、最も重要な国家の一つとして君臨してきた我が国の本質を知らない、あるいは意図的に無視する人間は、日本について語る資格がない。
そして、この話は「対」にして語らねばならない。
それはアメリカが「世界最強の人工国家である」ということである。
何が自然で何が人工か、その細かい定義、解釈は様々にあるだろうが、「自然と人工」という二つの切り口で、国家を語ろうとすれば、必ずそれぞれの頂点に位置する国家として、挙げられるのが日本とアメリカであろうことは疑いがない。
★ ★ ★ ★ ★
従って、日米問題は常に「頂上決戦」になる。しばしば、日本が「多勢に無勢」的な立場に追い込まれるのは、それだけ発言力のある自然国家が少ないからである。
アメリカは、このことをよく理解している。日本のことを熟知しているといっていいだろう。それを端的に表した表現が「日本はよく分からない国だ!」という定番の台詞である。
アメリカ人は、自分達の価値観の外にあるものに、極めて冷淡である。それは人工国家の宿命ともいえるものだろう。同情的にいうならば、狭い価値観で、強いルールがなければ国家たり得ない国に住む人々の知恵である。「日本は異質だ」と叫んでいなければ、自分達の立ち位置を失うからである。それが彼等の日本理解なのである。
その逆はどうだろうか。
日本からみてアメリカをどう評価するべきだろうか。
「アメリカは異質だ」と日本人は叫ぶだろうか。
我々の価値観のみを強要して、「斯くあるべし」というだろうか。
決してこんなことは言わないのである。
何故なら、自然国家は人工国家をライバルとは認識しないからである。人の繋がりで生まれ、それによって長く国家を形成してきた我々にとって、所詮は新興国に過ぎない、人工的で現代的な、即ち、人の上に強大なルールを置いて、それによって支配しなければならないような国家には、特段の感興を持たないからである。
★ ★ ★ ★ ★
さて、結論である。
TPPは人工国家アメリカの日本潰しである。
異質な国家を潰して、全てをルール至上主義の、彼等がいうところの「普通の国家」にし、そしてそのルールの決定権だけは公平分配せず、自分達だけで決めて頂点を確保しようという戦略である。この点を全く無視して、TPPの参加を叫ぶ日本人は、まさに自国の歴史を知らない、自国の歴史を冒涜する輩であると断じられる。
「世界の潮流に乗り遅れる」などと寝言をいうのは、寝てからにして頂きたい。明らかにこれは「アメリカの潮流に乗り遅れる」の間違いであり、さらには人工国家の頂点たるアメリカの支配を「受け損なう」という焦りの文言である。
こうした視点を、一人でも多くの日本人が持つべきである。最強であり最高である事実を認めず、傲慢の一言で事実を曲げることこそ傲慢であり、世界全体に対して、迷惑至極な発想となることを知るべきである。特殊な三国を除き、誰も日本に謙虚さなど求めていない。むしろ、多くの国がアメリカとは異なる価値観を、日本から発信して欲しいと望んでいるのである。
そうした認識があってこそ、本当の謙虚さの意味が分かる。日本が謙虚であり、世界の中でより貢献していくためには、先ずは事実を事実として認めるべきである。我々は虚言ではなく、事実によって語りうる祖国を持っているのだ。それを誇りに思い、それを堂々と主張することから始めるべきである。
今一度確認しておきたいことがある。
それは我が国が「世界最強の国家である」ということである。
しかし、これには但し書きがつく。
正確には、「世界最強の自然国家である」という意味である。
「最強」に抵抗感のある人は、最高でもいい、最善でも、歴史を尊ぶ意味からは最古でもいいだろう。どのような表現を採ろうと、我が国は人類の長い歴史の中で、「特別の位置にある」ということである。
この自覚の無い日本人は、必ず判断を誤る。
自惚れでも卑下でもない、的確な判断ができない。
世界の歴史の中で昔も今も、最も重要な国家の一つとして君臨してきた我が国の本質を知らない、あるいは意図的に無視する人間は、日本について語る資格がない。
そして、この話は「対」にして語らねばならない。
それはアメリカが「世界最強の人工国家である」ということである。
何が自然で何が人工か、その細かい定義、解釈は様々にあるだろうが、「自然と人工」という二つの切り口で、国家を語ろうとすれば、必ずそれぞれの頂点に位置する国家として、挙げられるのが日本とアメリカであろうことは疑いがない。
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従って、日米問題は常に「頂上決戦」になる。しばしば、日本が「多勢に無勢」的な立場に追い込まれるのは、それだけ発言力のある自然国家が少ないからである。
アメリカは、このことをよく理解している。日本のことを熟知しているといっていいだろう。それを端的に表した表現が「日本はよく分からない国だ!」という定番の台詞である。
アメリカ人は、自分達の価値観の外にあるものに、極めて冷淡である。それは人工国家の宿命ともいえるものだろう。同情的にいうならば、狭い価値観で、強いルールがなければ国家たり得ない国に住む人々の知恵である。「日本は異質だ」と叫んでいなければ、自分達の立ち位置を失うからである。それが彼等の日本理解なのである。
その逆はどうだろうか。
日本からみてアメリカをどう評価するべきだろうか。
「アメリカは異質だ」と日本人は叫ぶだろうか。
我々の価値観のみを強要して、「斯くあるべし」というだろうか。
決してこんなことは言わないのである。
何故なら、自然国家は人工国家をライバルとは認識しないからである。人の繋がりで生まれ、それによって長く国家を形成してきた我々にとって、所詮は新興国に過ぎない、人工的で現代的な、即ち、人の上に強大なルールを置いて、それによって支配しなければならないような国家には、特段の感興を持たないからである。
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さて、結論である。
TPPは人工国家アメリカの日本潰しである。
異質な国家を潰して、全てをルール至上主義の、彼等がいうところの「普通の国家」にし、そしてそのルールの決定権だけは公平分配せず、自分達だけで決めて頂点を確保しようという戦略である。この点を全く無視して、TPPの参加を叫ぶ日本人は、まさに自国の歴史を知らない、自国の歴史を冒涜する輩であると断じられる。
「世界の潮流に乗り遅れる」などと寝言をいうのは、寝てからにして頂きたい。明らかにこれは「アメリカの潮流に乗り遅れる」の間違いであり、さらには人工国家の頂点たるアメリカの支配を「受け損なう」という焦りの文言である。
こうした視点を、一人でも多くの日本人が持つべきである。最強であり最高である事実を認めず、傲慢の一言で事実を曲げることこそ傲慢であり、世界全体に対して、迷惑至極な発想となることを知るべきである。特殊な三国を除き、誰も日本に謙虚さなど求めていない。むしろ、多くの国がアメリカとは異なる価値観を、日本から発信して欲しいと望んでいるのである。
そうした認識があってこそ、本当の謙虚さの意味が分かる。日本が謙虚であり、世界の中でより貢献していくためには、先ずは事実を事実として認めるべきである。我々は虚言ではなく、事実によって語りうる祖国を持っているのだ。それを誇りに思い、それを堂々と主張することから始めるべきである。