震災の教訓
2012-03-10
村上よしあき 氏、ブログ転載
東日本大震災から明日でちょうど一年。
あらためて、震災で被害を受けられた方、
お亡くなりになられた方々に、心からお見舞いと
お悔やみを申し上げます。
この震災は、いろいろな教訓を示したと思います。
国際的にも、政治的にも、経済的にも、そして個人個人にとっても。
ただ、その中で、大事な視点があると感じます。
昨日の産経新聞に珍しいコラムがありました。
「神社と大震災」(産経新聞 外信コラム)
「東日本大震災から1年が経過するのを前にワシントン
でも種々の行事が催されているが、2月29日、
ジョージタウン大学の宗教研究の「バークレー・センター」が
「日本の2011年3月の大災害への神道の対応」
という討論会を開いた。
同大学の東アジア研究部門のケビン・ドーク教授が
まず日本の神道の概要を説明し、1年前に東北を襲った
大地震や津波の被災者たちと神道や神社との関係にも
大きな影響があったのではないか、という疑問を提起した。
日本社会での神社や神道の浸透度からみれば、
自然な疑問だろう。
これに対し、基調講演者の日本の「神道国際学会」
ニューヨーク駐在代表で神職の中西正史氏が、被害を
受けた神社や避難する被災者を受け入れた神社の数などを
報告した。
神道組織が各地から東北へ救済のグループを送り込んだ実態や、
被災地の神社が従来どおりの祭りを催して住民を励ました
実例をも伝えた。
しかし参加者からの「震災は被災者と神社や神道との
信仰面での関係を変えたか」という質問に中西氏も明確な
答えが出せないことを率直に認めていた。
「日本ではマスコミも宗教や信仰をほとんど取り上げないので」
という中西氏の補足の言葉が、この種の課題へのアプローチの
日米の相違を映し出していた。(古森義久)」引用ここまで。
神道に限らず、今回の震災では多くの宗教団体が、
それぞれ復旧活動に参加しておりました。
そうした目に見える活動はもちろん重要で
大変有効ではありましたが、
一方で、目に見えない、信仰心の問題については、
マスコミでも報道されず、表にでることは皆無でした。
しかし、津波被害の大きかった地域では、今も、
幽霊を見るという相談や、声が聞こえて困るといった
現象が現実に報告されています。
こうした問題に対して、果たして伝統的で信用あると
言われる宗教界が、答えをはっきりと示し、悩みを抱える方々に
処方箋を出すことができているかというと、残念ながら
できていないと言えます。
しかし、本当の復興とは、物心両面での復興であるはずです。
いくら物資が豊富で温かく暮らせるようになっても、
亡き人への思いや、根本的な心の幸福感が解決されなければ、
何のために生き残ったのかわからず、未来への力強い復興は
なしえないと思います。
震災から一年。
あらためて、生かされたのは神仏のおかげ、
一方で亡くなられた方であってもいずれちゃんと天国に
帰り幸せに暮らすんだという、ごくごく昔ながらの
信仰の復権が、求められていると考えます。
もともと日本という国は、そうした神仏のもとでの平安を求め、
神仏のもとでの繁栄を求める国家だったと
私は理解しておりますが、
そうした日本の象徴であるはずの富士山さえ噴火の可能性が
叫ばれているのは、何かまだ私たちにさらなる教訓を
つかみなさいと、我が国の神様がおっしゃっているように
思えてなりません。
そして、政治もまた、本来は「まつりごと」
神様の心をどこまでも忖度(そんたく)して、
世のため人ために現実の政治を行うことが為政者に
絶対必要な精神であると思います。
震災から一年。
本当の絆のもとは信仰であり、
政治が乱れたり、信仰薄くなったときに災害が多く
おきたという我が国の歴史を、
今一度振り返りつつ、
私自身、今後の復興活動にまたかかわってまいりたいと思います。
皆様のご協力やご指導を、心からお願い申し上げます。
転載、させていただいた記事です
http://ameblo.jp/yocchi-mura/entry-11188417074.html