約10万人が亡くなった東京大空襲から67年となる10日、犠牲者らの遺骨が安置されている東京都慰霊堂(東京都墨田区)で法要が営まれ、石原慎太郎知事は追悼の辞で、「戦争の悲惨さと天災の脅威を語り継ぎ、平和な世界を次世代への財産として引き継いでいかなければいけない」と強調した。
都は米軍による複数回の大空襲のうち、最も大きな被害が出た3月10日を「平和の日」に定めている。この日の法要には秋篠宮ご夫妻も参列された。
石原知事は東日本大震災にも触れ、「震災から1年がたつが、依然として膨大ながれきの処理などの困難がある。災害の脅威から東京を守り、安心して暮らせる首都東京を創造していくことを誓う」と語った。
また、石原知事は都庁で開かれた平和の日記念式典にも出席。「焦土と化した東京が復興を遂げたように、国民の力と英知を結集して被災地の復興を成し遂げ、日本を築き直さなければならない」とした上で、「復興の先にオリンピックを東京に迎えることは、日本の再生を実感する何よりの瞬間となる」と述べた。
コメント:
戦争がいけないのは、非戦闘員が犠牲になることから理解できる。
日本は原爆と各都市の壊滅的空襲で非戦闘員が大量に犠牲になった。
ホロコースト(人種根絶)と言っても良いくらいだ。
日清日露戦の負け知らずの奢りがあった罰だから反省すべき点はあるが、
何もかも日本が悪かったとして、原爆と空襲を正当化するのは間違っている。
今だに、日本悪しと弁償させる国(中国や朝鮮)とは、戦争は終わっていない。
「白人の有色人種差別と白人による植民地が当然の考え」を打ち砕いたのだ。
植民地に投資をするのか?日本は本土以上の投資をしたのだ。
イギリスの植民地から解放させた日本の恩義や功績を忘れることは、
人間の尊厳をないがしろにする行為である。
これらの目的のために、人柱になった人達を慰霊するのだ。
ただ戦争を繰り返さない決意だけでは、浮かばれない。
無駄死だったとか、とばっちりだったのだと慰めるのは、
あまりにも情けないではないか?