日刊ケボチ さんより転載です。
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竹島の真実 - 【竹島問題】李ラインと韓国の非道
www31.atwiki.jp/turu_takeshima/pages/16.html
李承晩ライン(李ライン)
1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。
同宣言により朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、すべての天然資源、水産物を利用する権利を主張した。
日本側はこのラインを認めず、結局65年の日韓漁業協定で李承晩ラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。
李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数
抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻
死傷者数:44人
死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
韓国が卑劣であったのは、 拿捕した漁民を人質として利用し、日韓条約を韓国に圧倒的有利な内容で締結させたことである。
日韓には不幸な歴史があったことは事実である。
日韓条約の内容についても、どんな卑劣な手段で決定されたとしても認めよう。
卑劣な方法で日韓条約を結んでおきながら、さらに謝罪を要求する韓国人は脅迫犯罪者と変わらない。
又、日韓条約に違反し、竹島問題を国際裁判所で解決しようとしない韓国は卑怯者である。
中日ニュース(ライブラリー映像)
昭和33年の記事212号「韓国から抑留漁夫帰る」
http://home.att.ne.jp/theta/chunichieiga/212.jpg
韓国が竹島を侵略、占領した理由
1945年(昭和20年)日本が戦争に負けた結果、台湾と朝鮮半島は日本の領土から切り離され、台湾人、朝○人は日本国民ではなくなった。アメリカの提示したポツダム宣言には、海外の領土を破棄せよってのがあります。つまり日本がポツダム宣言を受諾したから、朝鮮は日本から解放されたわけです。このことから日本国籍を奪った犯人はアメリカであって、国籍を奪うことが悪であるというのならポツダム宣言そのものを否定することになります。
日本は1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効により、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係 諸命令の措置に関する法律」(法律126号)に基づき、「日本国籍を離脱する者(旧領土出身者)で、昭和二十年九月二日以前から日本に住むものは、引き続 き在留資格を有することなく、日本に在留することができる」としました。
問題なのはその時です。
サンフランシスコ講和条約が発効された頃は、朝鮮半島は朝鮮戦争の真っただ中でした。
戦火を逃れ、また朝鮮半島で生活していくことへの不安から日本に渡った朝○人の密航者たちがいて、彼ら密入国者たちは出生を誤魔化して多数在留資格を得たとされているのです。その時歴史が動いたならぬ、その時民族が動いたってところでしょうか。
その13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」を結ぶことになります。それを有利に進めるため韓国はなにをしたと思います? なんと竹島を武力で侵略したのです
1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視した「李承晩ライン」という領海線を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと主張してこれを占領しました。
竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3929人もの漁師が抑留されています。その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間もの間です。拿捕時に銃撃や追突を受け、44人の死傷者も出ている。
つまりその人たちを人質にして、「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」の交渉を有利に進めたって事です。正に暴君そのものです。
しかも日本の刑務所に収監されていた韓国・北朝鮮の犯罪者472人の釈放と在留特別許可まで日本に認めさせたというのです。本来なら戦争になってもおかしくないほどの犯罪行為です。
しかし当時、戦争に負けた日本には軍隊はありません。ちなみに自衛隊の前身、警察予備隊が誕生したのがまさにこの頃。朝鮮戦争でいそがしくなった在日米軍の代わりに、日本国内の治安維持を担当します。
アメリカの統治下にあり、軍隊がない。日本が刃向かわないとわかっているからこそ、韓国はこんな暴挙にでたんだ。
韓国が竹島を侵略したのもそういう状況だったからなんだよ。
世界から卑怯者と非難されても致し方ない行為だ。
この「日韓法的地位協定」によって、在日はその子孫にまで永住許可を得ることが出来たのです。(協定永住)。