先日、またしても通り魔による強盗殺人のニュース。その容疑者は17歳と18歳の若者とのこと。生きるということ、毎日懸命に生きている人々、それを他人がむやみやたらに殺戮することがいかに愚かなことで、重大なことか分かっていない者が多くなっている。
「人間は死ぬところに向かって生まれた日から進んでいる、それしか分かっていない。あとのことは全部わからない。・・・・・そのことをよくよくのみ込まないといけない、若いうちから」(池波正太郎著 [男の系譜] より)
まさにこのことである。人は遅かれ早かれ必ず死ぬる。永遠の命はないから、1日、1日を懸命に生きようと頑張っている。簡単に人の命を奪う人間は、幼児からの家庭教育・学校教育・社会教育のどこかに欠陥があるものと思われる。
一方、先日、女性教諭が保護者からの度重なるクレームにより、不眠症になったとのことで、保護者に対して慰謝料請求の訴えを起こしたとのニュース。その結末は、報道のとおりであるが、学級における些細な子供同士の喧嘩が発端であったらしい・・・。
これらは、相手をおもんばかる気働きの欠如以外の何ものでもないであろう。
「昔(例:炊事洗濯など)はいっぺんに二つも三つものことを全部やらなければならない。頭の中にいつもいくつかのことがあって、それを同時進行でこなしてゆくのが気働きですよね。今は、電気がまのスイッチを入れるだけだから、気働きがいらないため鈍化しちゃうんですね。対人関係でも気を使わなくなっている」(池波正太郎著[男の系譜] より)
さらに保護者も教諭も、物事を白と黒にはっきりと分けようとする対立軸でのものの見方が強すぎるのであろう・・・とかく、今の世の中は、欧米の訴訟社会そのものである。煎じ詰めれば、次のようなことかも知れない。
「日本人というのは、虎之助。白と黒の区別があっても、その間の色合いがない。白でなければ黒、黒でなければ白と、きめつけずにはいられないところがある。しかしな虎之助。人の世の中というものは、そのように、はっきりと何事も割り切れるものではないのだよ。何千人、何万人もの人びと、みなそれぞれに暮らしもちがい、こころも身体もちがう人びとを、白と黒の、たった二色で割り切ろうとしてはいけない。その間にある、さまざまな色合いによって、暮らしのことも考えねばならぬし、男女の間のことも、親子のことも考えねばならぬ。ましてや、天下をおさめる政治(まつりごと)なら尚さらにそうなのだ」(池波正太郎著[その男] より)
と、今は亡き池波正太郎氏が、数々の小説の中で現代の日本人に足りない部分、足りなくなっている部分について、各小説の主人公の言葉を借りて教えている。
当方が、池波小説に惚れ込んでいるのは、まさにその部分である。
ただ単にストーリーが面白いとか、娯楽性が豊かであるとか、そのような単純なことではない。連綿として受け継がれてきた日本人としての気高き誇りと豊かな見識が、西洋文明が入ったことで廃れつつあることに対する問題点を言い当てている。
だから、池波小説は面白いのである
前述するような事件や出来事が余りにも多すぎる世の中になり下っており、それこそが、歪んだ戦後教育の大きな欠点である。そろそろ、本気で教育改革をすべきであろう。
安部内閣もこの点の認識は人一倍強いと思われるから、教育全般の改革がなされるものと期待できる。一刻も早いキチンとした昔の道徳教育の確立から取り組んでもらいたいものである。(夫)
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「人間は死ぬところに向かって生まれた日から進んでいる、それしか分かっていない。あとのことは全部わからない。・・・・・そのことをよくよくのみ込まないといけない、若いうちから」(池波正太郎著 [男の系譜] より)
まさにこのことである。人は遅かれ早かれ必ず死ぬる。永遠の命はないから、1日、1日を懸命に生きようと頑張っている。簡単に人の命を奪う人間は、幼児からの家庭教育・学校教育・社会教育のどこかに欠陥があるものと思われる。
一方、先日、女性教諭が保護者からの度重なるクレームにより、不眠症になったとのことで、保護者に対して慰謝料請求の訴えを起こしたとのニュース。その結末は、報道のとおりであるが、学級における些細な子供同士の喧嘩が発端であったらしい・・・。
これらは、相手をおもんばかる気働きの欠如以外の何ものでもないであろう。
「昔(例:炊事洗濯など)はいっぺんに二つも三つものことを全部やらなければならない。頭の中にいつもいくつかのことがあって、それを同時進行でこなしてゆくのが気働きですよね。今は、電気がまのスイッチを入れるだけだから、気働きがいらないため鈍化しちゃうんですね。対人関係でも気を使わなくなっている」(池波正太郎著[男の系譜] より)
さらに保護者も教諭も、物事を白と黒にはっきりと分けようとする対立軸でのものの見方が強すぎるのであろう・・・とかく、今の世の中は、欧米の訴訟社会そのものである。煎じ詰めれば、次のようなことかも知れない。
「日本人というのは、虎之助。白と黒の区別があっても、その間の色合いがない。白でなければ黒、黒でなければ白と、きめつけずにはいられないところがある。しかしな虎之助。人の世の中というものは、そのように、はっきりと何事も割り切れるものではないのだよ。何千人、何万人もの人びと、みなそれぞれに暮らしもちがい、こころも身体もちがう人びとを、白と黒の、たった二色で割り切ろうとしてはいけない。その間にある、さまざまな色合いによって、暮らしのことも考えねばならぬし、男女の間のことも、親子のことも考えねばならぬ。ましてや、天下をおさめる政治(まつりごと)なら尚さらにそうなのだ」(池波正太郎著[その男] より)
と、今は亡き池波正太郎氏が、数々の小説の中で現代の日本人に足りない部分、足りなくなっている部分について、各小説の主人公の言葉を借りて教えている。
当方が、池波小説に惚れ込んでいるのは、まさにその部分である。
ただ単にストーリーが面白いとか、娯楽性が豊かであるとか、そのような単純なことではない。連綿として受け継がれてきた日本人としての気高き誇りと豊かな見識が、西洋文明が入ったことで廃れつつあることに対する問題点を言い当てている。
だから、池波小説は面白いのである
前述するような事件や出来事が余りにも多すぎる世の中になり下っており、それこそが、歪んだ戦後教育の大きな欠点である。そろそろ、本気で教育改革をすべきであろう。
安部内閣もこの点の認識は人一倍強いと思われるから、教育全般の改革がなされるものと期待できる。一刻も早いキチンとした昔の道徳教育の確立から取り組んでもらいたいものである。(夫)
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